2016年8月21日日曜日

海南神社


社号   海南神社
祭神   藤原資盈 盈渡姫
創建   貞観六年(864)~天元五年(982年)


藤原資盈


筑紫国を領していた藤原資盈は、清和天皇の皇位継承争いにおける伴大納言善男の謀挙に加担しなかたため、朝廷から兵を送られることに。このとき資盈は、家族・郎従ら53人と共に船に乗り東国へ向かい逃れました。しかし、暴風のため船は難破、貞観六年(864)11月、わずか主従6人だけが三崎に漂着するという結末を迎えます。その後、三崎に拠を構えた資盈は、海賊の退治や村人への教化など、三崎の人たちに貢献したため、天正五年(982)に彼を祭神として祀る海南神社社殿が造営され三浦郡の総鎮守となりました。

藤原資盈が漂着したと云われる城ヶ島の安房崎

三崎


Google map 三崎
①通り矢 ②北条湾 ③三崎城主郭 ④光念寺 ⑤海南神社 ⑥歌舞島

県道215号から三崎に進入すると北条湾が出迎えてくれます。その向こうに見える丘陵が三崎城跡なので、北条湾の名の由来を調べるまでもないでしょうか。

北条湾

そのまま中心地に向かうと三崎公園となります。遊覧船乗り場・バス発着所・飲食店などがある三崎で最も賑わったエリアとなります。

三崎公園の辺り

海南神社


そんな三崎の中心地に海南神社があります。鳥居から続く道が一直線に続いています。もしかしたら昔はそのまま海に続いていたのかもしれません。

海南神社

社殿は改装中だったようで、幕で隠されていました。残念。男前風で個性的な狛犬たちが出迎えてくれます。

海南神社と狛犬たち

御霊神社と三浦氏


御霊神社が合祀されています。土地柄的にも三浦さんの創建で間違いないでしょうか。ちなみに三浦義明義澄親子が参詣したと現地案内板にありました。頼朝の旗上げに際し、海南神社で源平の争覇を占ったそうです。

御霊神社

疱瘡神社と源為朝と通り矢


一方では疱瘡神社に何故か源(鎮西八郎)為朝が祭神として祀られています。三崎の東側に”通り矢”という場所があります。一説には源為朝が光念寺(三崎にある和田義盛開基のお寺)から放った矢が通り矢にあるトンビ山を通り抜けたことがその名の由来と云われています。そんな事情から為朝が疱瘡神社に祀られているのかもしれません。

疱瘡神社

それにしても、光念寺から矢を放ったということは、為朝さんが三崎に訪れていたことになります。そんな事実あるのでしょうか、初耳です。また、剱崎に”矢の根井戸”というこちらも為朝に由来する史跡がありました。伊豆大島から射た矢が剱崎まで届いたという、鎌倉飯島にある井戸と同じ伝承が残されています。

光念寺から見た三崎 左側奥にある丘陵のどれかをトンビ山と云うのかもしれない

稲荷社のやぐら風横穴


境内右手に稲荷社があります。社殿の後ろに”やぐら”のように穴が施されていて、その中に小さな鳥居がたくさん置かれていました。どんな意図があるのでしょう。

稲荷社
稲荷社の小さい横穴

頼朝さまのお手植え(笑)


境内にある樹齢800年と云われる銀杏の木は”頼朝お手植え”と伝えられています。きましたね!”頼朝お手植え”伝説。三崎では、大椿寺の椿に本瑞寺の桜にここ海南神社と、”頼朝お手植え”伝説が伝えられています。思い返せば衣笠の満昌寺や浦賀の叶神社などにも”頼朝のお手植え”がありました。ちょっと頼朝さんに植えさせすぎじゃないでしょうか。この手の話題は、鎌倉の誰々の墓と同じように、本気でツッコミを入れてはいけないものなのかもしれません。

海南神社の御神木 大銀杏

筌龍弁財天


社殿の奥に金毘羅さまの他、筌龍弁財天があります。石橋山合戦に敗れたとき、和田義盛が安房に向かう途中、竹で出来た筌が流れてきたのでそれで漁をして空腹を満たしていたそうです。のちに義盛が龍の夢をみたことからこの筌龍弁財天を祀ったと伝えられています。著書・資料などでは光念寺でこの筌龍弁財天を紹介していたので、いくつもあるものなのかもしれません。

同じく筌龍弁財天がある光念寺

チャッキラコ


境内にある神楽殿では毎年1月15日に女の子たちが”チャッキラコ”と呼ばれる踊りを奉納するそうです。”チャッキラコ”の起源には二つの説があって、一つは盈渡姫(資盈の妻)が三崎の女の子に教えたという説、もう一つは、三崎に訪れた頼朝が白拍子の舞に飽き、地元の母子に三崎の舞を踊るようにと話したところ、母が歌い娘が踊ってみせたことから由来するという説があります。



下世話な例えで申し訳ありませんが、そういえば、何かと六本木のキャバクラに連れて行ってくれた社長さんが最近は西葛西のキャバクラにハマっています。何故わざわざ都心から遠く離れた西葛西まで行くのかというと、都心とは違う気取っていない素人風な女の子が大勢いてそれがどうやらイイらしいんですね。もしかしたら白拍子に飽きた頼朝さんもそんな気分だったのかもしれません。

※参考資料『三浦こども風土記』『三浦半島の史跡みち』



カテゴリー 探索記事(エリア別 三浦
記事作成  2016年8月21日

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