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三浦市の海蝕洞穴ツアー、第一弾の雨崎海蝕洞穴です。今回訪れたこれら海蝕洞穴(下地図画像①~⑥)は、ただの洞窟ではありません。主に弥生時代から古墳時代にかけて住居や墓地として利用されていたことが発掘調査の結果わかっています。また場所によっては平安~鎌倉期までの痕跡が確認されています。
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Google map 三浦 ①雨崎 ②大浦 ③間口 ④江名 ⑤毘沙門 ⑥盗人狩 |
鎌倉の有名な”やぐら”などとは異なり、海蝕洞にまで興味を持つ人があまりいないためか、ネット上に記事はあるものの、場所を示してくれるなどの良質なサイトが一切見当たらなかったため、『三浦こども風土記』のさりげない記述などからそれぞれの海蝕洞穴の位置を探っていきました。見つけられなかったもの、そしてスケジュール的な問題からあえて寄らなかったところなど色々ありましたが、逆に、事前に見た資料に記されていなかったものを見つけることもできました。
三浦・岩礁のみち
海蝕洞穴が集中する三浦半島下部には、関東ふれあいの道”三浦・岩礁のみち”というシーサイド・ハイキングコースが設定されています。松輪から宮川まで大よそ10kmの道のりです。鎌倉遺構探索では、この道を歩いたのではなく、クロスバイクで移動し、事前に調べたポイントだけに向かうこととしました。
関東ふれあいの道「三浦・岩礁のみち」 |
雨崎周辺
三浦海岸から南に下ると金田、そしてその金田の東の突端を雨崎と云います。海岸沿いを通る県道を進むと、浦賀水道の海、その向こうに房総半島、そして太陽、モクモク雲、緑、山と、この世にこれ以上美しい景色があるのかと、クロスバイクを漕ぐ足が思わず止まってしまいます。
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金田の辺りから |
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鎌倉で初めて見たキレイな白い鳥がサギだということがわかり、もう一度見たいと鎌倉ではよく注意していました。確か三回ほど鎌倉で見かけることができましたが、ここ三浦半島の奥まで来るとこんなにたくさんのサギを見ることができます。
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サギ |
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雨崎の名の由来
さて、雨崎に到着。雨崎(あめざき)の名の由来は、この地にあった井戸で雨乞いをすると、三日でも四日でも必要なだけ雨が降ってくれたことに起因すると伝えられています。その雨崎神社が近くにあるそうですが、タイトなスケジュールのため、そちらに向かうことは断念しました。
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雨崎からの景色 |
アクセスに若干の難
雨崎海蝕洞穴には、海岸を伝って向かいます。がしかし、そのルート上には一般の立ち入りを禁じる看板が随所でみられます。でもこれまで訪れた三浦半島の漁港では、一般の立ち入りを禁じるとしておきながら、立ち入ったところで何も言われたことはありません。だからと言ってイイ訳ではありませんが、個人の私有地という訳でもないので、この日もずうずうしく立ち入らせてもらいました。途中からクロスバイクでは進めないので、歩いて岩礁の道を進みます。
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雨崎海蝕洞穴への道のり |
しばらく進むとちょっとした浜というかビーチに辿りつきました。遠くにやたら大きい穴が見えます。あれが雨崎海蝕洞穴で間違いないでしょう。遠目からもわかる洞穴の大きさにテンション上がります。
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雨崎海蝕洞穴 |
怪しすぎる謎のビーチ
しかしここで疑問が浮上、立ち入り禁止エリアのはずが、まばらながらも何故か人が結構います。ひょっとしてプライベートビーチ的なところなのかと不安になってきました。まぁ何か言われたら事情を説明して戻ればいいかと思い砂浜を進んだところ、今度はまたまた疑問が・・。ビーチでくつろぐ人たちが何故か全裸です。しかも男だらけで、単身者が多く、微妙な距離を置きながら点在しています。「ナニこの世界?」と不安になってきました。この雰囲気、もしかしたらセクシャル・マイノリティーのハッテン場にでも来てしまったのか?という考えに辿りついた矢先、少数ながら女性の姿を発見することができてちょっと安心。ちなみに女性はさすがに水着を着ています。それでもやはりこの雰囲気は異様、バーベキューセットを持参しているグループが全裸でお肉焼いてます。
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謎の雨崎ビーチ |
雨崎海蝕洞穴
とりあえずビーチの人たちに絡まれることもないようなので、海蝕洞に近づき洞穴の中に入っていきました。入口の幅が7m、高さもそれくらい、奥行きは4m程。洞穴内にまた狭い奥行きのあるスペースがあります。まんだら堂やぐら群にも確かこんな感じの造りがありました。側面海側にもう一つの出入り口があります。こちらはどこか人口的な開削を感じるので、後世にて削られたのかもしれません。
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雨崎海蝕洞穴 |
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内部 |
弥生時代には住居として使用された雨崎海蝕洞穴ですが、確かに、4~5人の家族構成であれば、贅沢を言わなければやっていけるのかもしれません。雨風をしのげるし、生命の危険を脅かす野生動物からも身を隠せます。
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人工的な感じのするもう一つの開口部 |
発掘調査の結果
発掘調査の結果、洞穴の下層から弥生時代中期から古墳時代前期にかけての生活痕、上層からは古墳時代前期から末期にかけての墓所が確認されています。出土したものは、須和田式土器・ト骨・貝包丁・貝輪・鉄斧・貝刃・磨製片刃石斧など。その他、木棺や火葬人骨が発見され、木棺には人骨と一緒に碧玉・勾玉・管玉・臼玉などが納められていました。興味深いことに、人骨は小児で頭を北にしていたとのことです。北枕ってこの頃からある風習なんでしょうか、面白いですね。
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奥部壁面 |
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底面 |
ちなみにト骨(ぼっこつ)とは、動物の骨を焼いて棒などで穴を空け、そのひび割れ方で占いをするものです。TVなどで見たことありますよね、時代劇とかファンタジーな物語で老婆が亀の甲羅などを使ってやっていたアレです。本当にそんなことやっていたんだと、ちょっと感心してしまいました。但し、雨崎を含め三浦半島の海蝕洞からは主に鹿の骨が出土しているようなので、亀の甲羅はレアなのかもしれません。ちなみに追浜で発見された古代祭祀場跡でもこのト骨が出土したとありました、確か。
以前はハイキングコースだった?
三浦半島では”岩礁の道”としてシーサイド・ハイキングコースが設定されていることはご存じの方も多いと思います。現地案内板では、松輪のバス停から剱崎に向かうところが出発点に設定されていますが、もしかしたら昔は雨崎もそのコースの一端だったのかもしれません。途切れながらも整備された道の跡が残されています。
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ハイキングコースの痕跡 |
謎のビーチの正体
ということで、いつもなら”のん気”にビーチの写真でも撮るところですが、上記したようにビーチが異様な雰囲気のため早々に立ち去りました。後で地元の人と話したところ、雨崎は限られた人だけが知るヌーディスト・ビーチなんだそうです。といってもヌーディストは男性のみで、しかも比率的にほぼ男性ばかりです。何か下心を抱いて向かっても残念な結果になると思うのでお勧めはしません。事情を知らない人を寄せ付けない場所だからこその特色でしょうか、世の中色んなビーチがあるんですね。県道に戻る途中、ふと富士山が見えることに気づきました。三浦半島からはどこを見ても景色がキレイなので富士山の存在さえ忘れかけていました。
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富士山 |
よくよく考えたら、弥生時代の人たちが浜辺で日光浴するのに水着を付けていたとは思えません。そういった意味では、あのビーチにいた人たちは、”弥生時代にタイムスリップしたのではないか”という錯覚を一瞬でも与えてくれた一種のアトラクションを担ってくれたともいえるでしょう。盛り上げてくれてありがとうございました。それでは、次は松輪の間口港に向かいます。
※参考資料
『三浦こども風土記』『たてやまフィールドミュージアム』
お勧め関連書籍
海に生きた弥生人 三浦半島の海蝕洞穴遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」118)カテゴリー 探索記事(エリア別 三浦)
記事作成 2016年8月3日