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三浦市の海蝕洞穴ツアー、第二弾となる松輪・間口海蝕洞穴です。今回は三浦市の松輪という地域にある大浦海岸、間口港、江名湾にやってきました。『三浦こども風土記』に”間口やぐら”なる史跡が紹介されていましたが、残念ながら見つけることはできませんでした。しかし、その史跡からも、中世にて墓を造営するような有力者がここ松輪にもいたことが伝わってきます。
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Google map 三浦市 ①雨崎 ②大浦 ③間口 ④江名 ⑤毘沙門 ⑥盗人狩 |
南下浦金田からの景色
前回の雨崎から三崎方面に向かいます。雨崎を過ぎると急激な坂道となっているので、三浦半島でよく見かけるロードバイカーたちの難所の一つなのでしょう。しかし、坂道があるということは高い場所に登るということなので、素敵な見晴らしが望める可能性があります。昨年にもこのルートを通ったので、そのときほどの感動はありませんが、それでもこの辺りからの景色は格別です。
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大浦海岸
金田でせっかく登ったところ、海岸に出るにはまた下らなければいけません。松輪の大浦海岸という場所にはちょっとした”やぐら”風の壁面に石塔が祀られていました。また近くには庚申塔類があったので、この辺りに旧道が通っていたようです。そして肝心の海蝕洞はというと、微妙に人工的な掘削がみられたので割愛いたします。こちら大浦海岸は雨崎と違って”ちゃんとした”ビーチです。多くの人で賑わっていました。
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大浦海岸 |
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大浦の横穴 もしかして元は横穴墓か・・ |
間口港
大浦海岸に隣接する間口港に到着。こちらには大浦山洞穴遺跡と呼称される海蝕洞があるそうです。一般の人が立ち入りをはばかる漁港に入っていきます。トンビが20羽ほど群れをなしていました。いつも空の上を飛んでいるところしか見ていないためか、トンビがこれほど大きかったのかと驚きます。しかも至近距離で同じ目線の位置にいるので結構迫力があります。
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目の前にトンビ |
大浦山海蝕洞穴・・・
意外なことに漁港内部に大浦山海蝕洞穴がありました。現地案内板の「この洞窟は海蝕洞穴と云い~」という説明に開いた口がふさがりません。「どこに穴があるんじゃいっ」と思わずツッコんでしまったのは私だけではないはず。洞穴は藪でスッポリ覆われていて穴がどの辺りなのかわかりません。そしてわかったとしても、この海蝕洞は完全に海から干上がった状態なので、もしかしたら恐怖のカマドウマがいる可能性も否めません。残念ですが、諦めて海岸に出ることにしました。
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思わずツッコミたくなる大浦山海蝕洞穴 |
間口海蝕洞穴
港から海岸に出て岩礁を歩くとすぐに穴を発見できました。しかも大きいです。比較対象物がないので、皆さんには伝わりづらいかとは思いますが、開口部の高さは15mぐらいありそうです。テンション上がる一方で、ここまで大きいとこれは”ひょっとすると防空壕の類なのでは?”という疑問がわいてきます。
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とっても大きい横穴 |
入口は人口的に削られているような気もします。もしくは落ちている岩石の雰囲気が新しいので、もしかしたら崩落があったのかもしれません。
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横穴入口部の落石 |
”ナニこれホント大きい”とドキドキしながら奥へ行くと、内部は自然の海蝕洞穴そのものだということがわかりました。後日資料をあたっていると、間口東洞窟遺跡・間口A・B洞窟遺跡などの記述がみられたので、この海蝕洞はそれらのうちの一つなのかもしれません。入口幅が縦にも横にも大きいので、奥まで光が届き見学しやすくなっています。結構色んな怪しい造作が確認できます。
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洞穴内部 |
海蝕洞穴は特に最奥部から高坏・器台・手焙形土器などの祭祀用土器が発見されることが多いため、洞穴の奥部分が生活や祭祀の場であったと考えられています。そしてまた人骨も奥から発見されるため、どちらにしろ、穴の奥に痕跡が集中しています。この洞穴の場合、最奥部に不規則な形状をした穴や窪みが確認できます。たぶん彼らの痕跡も含まれるのではないでしょうか。
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洞穴内部壁面 |
発掘調査の結果
大浦山洞穴遺跡における発掘調査の結果、弥生時代中期後半から古墳時代後期にいたる痕跡が確認されています。出土した遺物は、久ヶ原式土器・貝輪・貝刀・石包丁・卜骨・人骨・管玉・ガラス製小玉、そして骨角器では、回転銛頭・釣針・ヤス・弓筈状有栓角器・アワビオコシ・骨製笄などが、また金属製品としては鉄鏃・刀子の他、青銅製品が見つかっています。また、弦楽器のパーツともあったので、平安~鎌倉期でも何かしらの利用があったようです。こちらの名前のわからない洞穴でも、大浦山洞穴と同じエリアなので、似たような遺物が発見されているものと思われます。
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洞穴内からの景色 |
上画像は洞穴内側から見た外の景色です。これ凄くないですか、絶景です。しかもこちら側からのアングルの方がこの洞穴の大きさが伝わるかもしれません。
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入口から海へ参道が続いているよう |
それでは江名湾に向かいます。海岸からまた県道にアクセスするので高台に移動します。先ほどの間口港が遠くに見えます。
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間口港またね! |
江名
間口港から西に進むとあるのが江名湾。こちらでも漁船が並んでいます。江名にも海蝕洞穴の他、”やぐら”もあると記されていましたが、どこにあるのかわかりませんでした。また近くに”三浦観音”という小さなお堂がありました。ここでは”やぐら”風の壁面が確認できます。地面に中世のものと思われる石塔の残欠がいくつも転がっていたので、この三浦観音の縁起が非常に気になります。がしかし手元には何の情報もありません、あしからず。
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三浦観音の丘陵部壁面 |
江名湾は古くは”ゑな原”と呼ばれていて、湿原が湾の奥部分に広がっていることがその名の由来と云われています。享保十七年(1732)に”ゑな原新田”が開発されました。そのため、田畑の土砂が大雨の度に入江に流れ込み干潟となりました。きれいな鳥がたくさんいました。サギとこれはツルでしょうかね。
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江名湾の干潟 |
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ということで、どこか鎌倉遺構探索のメイン・テーマである中世の痕跡が漂う松輪でした。また機会があれば、訪れてみたいと思います。それでは、次は毘沙門に向かいます。
※参考資料
『三浦こども風土記』『たてやまフィールドミュージアム』
カテゴリー 探索記事(エリア別 三浦)
記事作成 2016年8月4日