2017年4月18日火曜日

御成敗式目と北条泰時


貞永元年(1232)、北条泰時によって制定された御成敗式目は、51カ条から成る武家初の成文法です。歴史の授業でも太字で習う重要な項目ですが、肝心の中身まで知っている方は多くはないかもしれません。これを機に一緒に勉強してみましょう。ということで、今回はその51カ条のなかでも特に興味の惹かれる条文をピックアップしてみました。

初めに神ありき


条文の初めに、神を敬うこと神社を修理すること祭り事をきちんと行うこととあります。これが御成敗式目の第1条です。信心深い中世の人たちならではの優先順位ではないでしょうか。そういえば『吾妻鏡』に「合戦があるからお経をあげられないじゃないか」と、頼朝が不機嫌になる描写が確かありました。そもそも合戦に負けたりでもしたら、お経をあげるどころか生きているかどうかもわからないのに何を言っているんでしょうね。この時代の人たちの信心深さは、我々現代人の理解を越えた側面なのかもしれません。

鎌倉で神といえば八幡さま

神社など人間の作った建物に神さまなど宿るのでしょうか、伝統ある祭りって本当に意味があるのでしょうか、科学的根拠がなければ信じないと考える現代人の感覚からはこうした疑問が浮かび上がってくるかもしれません。がしかし、よくわからなくても、それが理解できなくても、昔の偉い人がそうしなさいと言っていたんだから、素直に従っておけば、それをわかるときがいつか来るかもしれません。


弱者に優しい法律


意外にも女性や子どもなど立場の弱い人たちを守るための条例が多いことに驚きます。でもそれが御成敗式目の特徴の一つなのかもしれません。18条は女子に財産が相続されるための条例、21条は前妻や妾の財産を守るための条例となっています。さらに、22条では後妻によって追い出されてしまった先妻の子にも財産を相続させること、27条では未処分の財産を妻子に分配させることなど、状況に応じた細かい条例がみられます。また41条では10年以上使役していない奴婢・雑人を自由にさせること、そして42条では領内の農民が逃亡したからといってその妻子の財産を奪ってはならないなど、いわゆる撫民政策の一環ではないかと思われる方向性がもう既にこの時期で垣間見ることができます。

横須賀満昌寺からの景色

三浦義村の娘で泰時の妻になった矢部禅尼などは、莫大な財産を有した女性の一例ではないでしょうか。上画像はそんな彼女の故郷である横須賀市大矢部にある満昌寺からの景色です。


意外に厳しいかもしれない法律


10条に殺人罪は死刑か流罪とし財産を没収するとあり、また33条では強盗犯・防火犯も死刑とあります。現代の法律より厳しいように思えますが、そこは相次ぐ争乱によって殺し合いが間近にあった時代だったからこそ、逆に現代人以上に人の命の重さを理解していたのかもしれません。そして特筆すべきは、10条の続きにある仇討ちも同罪という点です。仇討ちは結局のところ次の仇討ち事件を引き寄せるだけの負の連鎖でしかありません。鎌倉時代なら正当な仇討ちならOKとか言ってそうなイメージを勝手に持っていましたが、この辺り、随分と現代的な感覚ではないでしょうか。ちなみに13条では、御家人が暴力をふるってはいけないとあり、50条では喧嘩に加勢してはいけないともあります。

三浦氏と小山氏の小競り合いがあった前浜の辺り

『吾妻鏡』にこんなエピソードがあります。三浦氏と小山氏が下らないことで喧嘩になったとき、のちに執権となる若き日の北条経時が三浦氏の加勢に駆けつけました。北条泰時はこれを軽率な行動として戒めています。それもそのはず、経時のとった行動は50条の喧嘩に加勢してはならないという規則に反する行為です。泰時が怒るのも致し方ありません。


ホームルームの議題か!ってツッコミたくなる法律


12条に悪口を禁止する悪口を言った者は流罪もしくは牢に入れるとあります。悪口を禁止するって、思わず「小学校のホームルームの議題かっ」てツッコミたくなりました。でもよ~く考えたら現代でもありましたね、そう、ヘイトスピーチ規制(対策)法です。外国人に人権を侵害する悪口を言ってはいけないというルールです。まぁこの場合の外国人というのはご存じのとおりぶっちゃけほぼ韓国人や在日の人たちに限定されます。根深い問題が背後にあります。現代におけるこうした観点からは、もしかしたら鎌倉時代でもわざわざ悪口を禁止するという条例を出さなければならないほどの問題があったのかもしれません。

三浦義村の墓と伝わる石塔

ちなみに和田合戦ののち、同族和田義盛を裏切って北条方に付いた三浦義村に、千葉胤綱が「三浦の犬は友を喰らう」と言ったと云われています。頼朝や千葉常胤が在命中ならまだしも、この頃の千葉氏が三浦義村のような大物に対して本当にこんなことを言えたのかどうかは疑問です。がしかし、もしこれが事実であれば、この12条の悪口禁止に当てはまります。でもこの頃はまだ御成敗式目が制定される前のお話でした。


いつの時代も人妻は魅力的?


面白いことに、34条に人妻と密通することを禁ずるとあります。この罪を犯した者は所領の半分を没収され、所領のない者は遠流という罰を受けます。所領の半分も取られてしまうんですよ、人妻との不倫がとてつもなくリスキーな行為だということが伝わってきます。また、わざわざ法として定めるということは、そうした前例があったからだと思います。ということは、いつの時代も、そして鎌倉時代でも、人妻という存在が魅力的だったと云えるのかもしれません。なんか鎌倉時代の人たちがより身近に感じられる条例です。

頼朝の愛した亀ノ前がいた飯島・小坪の辺り

不倫ってその人の魅力というより、障壁のある恋愛に酔いしれているところが大きいと思います。だから一旦冷めてしまえば、何であんな人に入れ込んでいたのだろうと自分でも不思議に感じると思います。そしてそう思ったときは既に手遅れ、あなたが鎌倉時代の所領もない貧乏御家人であれば、遠流という重~い罰を受けることとなります。


北条泰時は鎌倉時代最高の為政者か?


御成敗式目は、近世に至るまで武家のお手本とされ、後世の人たちから高く評価されています。でもよく考えてみてください。御成敗式目によって立場の弱い人たちにも財産が分配されるようになりましたが、逆にこれがいわゆる”田分け”状態を生み、御家人の力を低下させた要因の一つと云えるのではないでしょうか。人を侮辱する「たわけ者」の語源がこの”田分け”、つまり田を分けていくことによって一族の力が分散し、結局のところ一族の力が衰えていくことだと云われています。北条氏の下に統率される御家人たちはこうして徐々に力を失い、富めるのは北条氏一門と御内人と呼ばれる一握りの一族だけとなり、権力の一本化が進んでいきます。支配する側からすればこれほど都合のいいことはありません。泰時がそれを見越してこの”田分け状態”を生じさせたのであれば、彼は鎌倉時代で最も優れた為政者と云っても過言ではないでしょう。

常楽寺にある北条泰時の墓と伝わる石塔
泰時邸や幕府があった辺り


あとがき


いかがだったでしょうか、御成敗式目って現代の価値観にも十分通じる近代的な法律だったという印象を受けた方も多いのではないでしょうか、少なくとも私個人的にはそう思いました。ちなみに今回、御成敗式目を調べるにあたって何冊か本を読んでみましたが、古いものばかりだったためか、現代語訳がイマイチ現代語訳になっていないという、あまり参考になるものを見つけられませんでした。しかし、なんとありがたいことに、玉川大学のサイトにある「現代語訳御成敗式目」のページで全51カ条を読めてしまいます。しかも小学生でも理解できるようなちょ~現代語訳であるところが助かります。お勧めです。

カテゴリー 鎌倉事典
記事作成  2017年4月18日