2017年8月16日水曜日

湯河原・真鶴史跡めぐり 城山ハイキングコース編


今回は湯河原・真鶴で鎌倉遺構探索をしてきました。湯河原の辺りは『吾妻鏡』の序盤で登場する土肥次郎実平が治めていた土地です。また真鶴は頼朝が石橋山で敗戦したのち、房総半島へと船出した場所でもあります。周辺は山に海という夏ならではのロケーションに恵まれています。

概要


まずは①湯河原駅から②しとどの窟(いわや)・③土肥城跡・④城願寺をまわります。距離と標高差があるので、このたった3つの史跡をまわるだけでそれなりに時間がかかりそうです。その後、真鶴に移動して、レンタルサイクルで海岸寄りにある⑥岩地区で横穴が残された寺院跡に訪れます。そしてそのまま真鶴半島の先端まで向かい、その先にある⑩石切り場跡などを見てこようと思います。史跡の数はそれほど多くはありませんが、何せそれぞれの距離が離れているため、このスケジュールで日中いっぱいを要するでしょう。

Google map 湯河原・真鶴
①湯河原駅 ②しとどの窟 ③土肥城跡 ④城願寺 ⑤真鶴駅 ⑥岩地区 ⑦しとどの窟 ⑧貴船神社 ⑨三ツ石 ⑩番場浦採石場


湯河原


湯河原駅を出ると土肥実平の銅像がバスロータリーにありました。地元の英雄です。駅前はお土産屋さんや飲食店などが軒を連ねています。観光地ですから。

土肥実平夫妻の銅像
湯河原駅前

駅からバスに乗って移動します。30分ぐらいかかりますが、標高563mもある城山の頂部までバスが登ってくれます。

湯河原駅前バスロータリー

バスから見える景色に期待が高まります。「あの山頂からどんな景色が見えるんだろう」って。

バスからの景色


しとどの窟(いわや)


バスから降りると雄大すぎる景色に圧倒されます。その反面、山中に取り残された気分です。人の気配がありません。

バスから降りたところ

少し歩いてトンネルを抜けると、しとどの窟(いわや)へ続く入り口部分に到着。石造物が並べられています。ここからしばらくこうした石造物が並べられた道を歩くようです。

しとどの窟入口
しとどの窟へと向かう道

しとどの窟(いわや)に到着!凄い!大きい!向こうに見える灯篭がだいたい人の大きさです。あと画像だと伝わりにくいかもしれませんが、横穴上部にある岩盤の割れ目からちょっとした滝のように水が流れていて幻想的でキレイです。

しとどの窟(いわや)
しとどの窟(いわや)

石橋山の合戦で敗れた頼朝がこの横穴に隠れたと云われていますが、もちろん信憑性はありません。但し、その名の由来として、シトトと言われる鳥が急に飛び出してきたので、追手が人影がないものとして立ち去ったためだという、もっともらしい伝承もあるそうです。またこれだけの石像仏があるのは、現地案内板によれば、地蔵信仰の霊地で関東における山伏発祥の地だからなんだそうです。

したたる水の流れが見えるかな?

洞窟内には61体の立像・座像の観音像があり、この巌窟を含む付近の地が近郷の庶民の観音信仰の聖地であったそうです。


しとどの窟(いわや)周辺は、箱根外輪山の溶岩と火山砕屑物(噴火で放出された石や砂など)からできています。窟は固結した火山砕屑物の部分が削れてできた洞で、さらに人の手が加わった可能性も考えられます。鎌倉遺構探索を通して色んな横穴を見てきましたが、火山活動に関連する横穴は初めてかもしれません。見に来て良かったです。


城山ハイキング


それでは、しとどの窟(いわや)をあとにして城山ハイキングに向かいます。しばらく舗装された道が続きますが、空気までもが緑色をしているかのような素敵な空間です。

城山ハイキングコース

えっ~?、紫陽花が咲いています。もう8月も半ばなんですけど。そういえば大山に行ったときも5月なのに桜が咲いていました。標高の高い場所は開花時期が遅れるんでしょうか、まぁ何はともあれキレイな紫陽花が見れて良かったです。

城山の紫陽花

しばらくすると、尾根道の地形がちょっと人口的で人為的な雰囲気になります。土肥城が近いのかもしれません。

山頂近くの尾根道


土肥城跡


城山頂部に到着!削平された平場となっており、景色を眺めることができます。がしかし、夏だからでしょうかね、周辺の木が伸び放題で空と海しか見えません。標高563mから見える景色が楽しみの一つだったのでちょっと残念。

城山頂部

かすかに島が見えたので、伊豆大島かと現地では思っていましたが、地図で改めて確かめると、伊豆大島の前に初島があるのでそちらからもしれません。

山頂からの景色

さて、この辺りでは城郭が確認されており、土肥城と呼ばれています。山頂からしばらく下った辺りはかなり興味深い地形となっており、どこまでが当時の造作なのかといったところまではわかりませんが、曲輪や堀切らしき地形が確認できます。これらは土肥氏による造作だと云われていますが、鎌倉の歴史を少しでも勉強すれば、あの時代の御家人が標高563mの山頂に城郭など築いた例などないことがわかります。後北条氏による造作でしょう。

城山頂部付近の怪しい地形

城郭地帯を抜けると今度は完全にコンクリート舗装された道になります。新道は峠坂状に作られいるので旧道ルートを踏襲していないようです。コースを外れると所々に旧道らしき地形が残されています。

ハイキングコースとは別に残されていた旧道

しばらくすると木々の隙間から今日一番の見晴らしを望むことが出来ました。向こうに見えるのはもちろん真鶴半島です。これからあそこに向かいますが、山ばっかで平地がなさそうなんですけど、大丈夫でしょうか。あと山頂からこういう景色を見たかったと悔やまれます。でもまぁ何はともあれ素敵な景色。

この日一番の展望


石切りと立石とかぶと石


道を進むとあからさまに人口的で人為的に加工された石が道端に積まれていました。城山も石切り場だったのでしょうか。それにしても、鷹取山・大山・日向山・塔ノ沢など、修験道場として活用された山には必ずと言っていいほど石が関係します。どんな繋がりなのでしょう。今度調べてみようと思います。

完全に人の手が加わっている石

こちら城山でも大山のようにおかしな形をした奇石を祀っていました。しかもまた強引に頼朝と結びつけています。こちら立石と呼ばれる石は、文字通り石が立っている状態です。頼朝が運試しにこの石を投げて垂直に立てばいつか自分が天下をとるときが来るが、もし立たずに倒れれば、自身の時代ではなく、このまま滅びるであろうと念じ投げたとされたと現地案内板にありました。頼朝が何たら~とかいうとってつけたような話は置いといて、山岳信仰や修験道に関する造作かもしれませんね。

立石

そして次にあったのは、かぶと石と呼ばれるものです。頼朝が石橋山の合戦に敗れ、山中を逃げる途中、休息をとるために、兜を脱いで置いたと云われているそうです。石の形そのものが兜に似ているみたいです。見えないけど・・。まぁとにかく、こうした奇石を祀る風習が各地に、特に修験道場として活用された山にあるのが興味深いと思います。

かぶと石

麓に近づいてきたのでしょう。まだ山の中腹ですけど民家がちらほら現れました。坂道の向こうに海が見えます。それにしても、今さらですけど、城山ハイキング中に誰とも会いませんでした。ここ人気ないんでしょうか、夏だからでしょうか。

麓が近づいてきた城山ハイキングコース

今回は山頂までバスで行って下るのみの楽々ハイキングでしたが、下り道とはいえ、ずっと勾配のある坂道だったため、足が絶えず慣れない角度を保っていたためか、足の裏側をちょっと痛めました。下りでこんな具合なので、これ、駅から登っていく逆の順路だとかなり厳しいコースだと思います。

城願寺前 この傾斜感が伝わるでしょうか


城願寺


城願寺に到着!まずは何と言っても、境内にあるビャクシンが凄いです。これまで見てきた中で一番雰囲気があるかもしれません。

城願寺
城願寺のビャクシン

城願寺土肥実平一族の菩提寺です。土肥実平がこの地にあった密教寺院を一族の持仏堂とし、萬年山成願寺として再建しました。その後、臨済宗寺院として再興され、さらに15世紀には曹洞宗寺院として城願寺と改名し現在に至っています。ですからその歴史は800年以上も遡るようです。また、今回をきっかけに土肥氏を調べてみましたが、なんと、小早川秀秋で知られる大名小早川家が土肥氏の末裔にあたるそうです。しかも、実平の子の遠平が小田原市早川を領していたことから小早川を名乗り安芸に渡っていったようなんです。

城願寺

こちらは境内にある七騎堂です。土肥実平の木像が納められています。石橋山の合戦から房州に向かう際、土肥実平をはじめ、同行していた頼朝以下主従七人を祀っています。ということは、先ほどのしとどの窟に頼朝と一緒に隠れていたメンバーとも言えるのでしょう。

七騎堂とビャクシン

境内には土肥一族のものと思われる66基の石塔が確認できます。なかでも価値あるものとして、嘉元二年(1304)七月の銘がある五層の鎌倉様式重層搭、永和元年(1375)六月の銘がある宝篋印塔などがあります。

土肥一族の墓塔群

城山は30~35万年前に活動した箱根火山外輪山を構成する湯河原火山の噴出物で、その溶岩を採掘した文献に残る箱根火山最古の丁場がこの付近にあったと現地案内板で説明されていました。ですから城山にも石切り場があったようですね。また境内にある土肥一族墓所の墓石は、この外輪山溶岩の他、中央火口溶岩が使われているようです。ある意味、地産地消ですね。

土肥一族の墓所から見える景色

実平の死後、遺骸は広島県三原市の米山寺山形県鶴岡市静岡市の安養寺小田原市にそれぞれ分骨されました。前述した広島の遠平など、実平の子孫たちがそこにいたからなのかもしれません。もしそうであれば、実平の子孫たちは早くから地方で根を下ろしていたようです。鎌倉にいたところで北条氏に粛清されるのがオチですから、賢明な判断だったのかもしれません。

城願寺にあった栗


境内に栗が落ちていました。もう夏も終わりでしょうか、夏ってあっという間ですからね。それでは、真鶴に移動します。良ければ続きはこちら『湯河原・真鶴史跡めぐり 真鶴サイクリングコース編』で。



カテゴリー 探索記事(エリア別 小田原・箱根
記事作成  2017年8月16日

湯河原・真鶴史跡めぐり関連記事


湯河原・真鶴史跡めぐり 城山ハイキングコース編

湯河原の城山でハイキング!

湯河原・真鶴史跡めぐり 真鶴サイクリングコース編

真鶴でサイクリング!