2016年7月3日日曜日

浦賀城跡


浦賀湊の明神山に所在する浦賀城は、房総半島の里見氏対策のため、後北条氏によって築かれた三崎城の出城(支城)として構築されたと考えられています。北条水軍の根城・砦として機能していた模様です。

Google map 浦賀
①燈明堂 ②為朝神社 ③為朝神社 ④東福寺 ⑤西叶神社 ⑥浦賀駅 ⑦海守稲荷社 ⑧八雲神社 ⑨乗誓寺 ⑩東叶神社(浦賀城跡)

浦賀湊


浦賀湊は山に囲まれているため、風当たりが弱く水深があるので船を停泊させるには適した港となります。実際にもペリーが浦賀城跡の大室(船蔵)にあたる部分に停泊したと現地案内板にありました。また江戸時代のかなり早い段階でスペインの商船が招致されるなど、国際貿易港として活用されてきました。

浦賀城 右側が大室

浦賀城全景


丘陵部は地震による崩落や埋立用残土として切り崩されたため、完全な旧状を留めてはいませんが、東叶神社(下地図画像①)の裏山となる主郭部②などを現在も確認することができます。

Google map 浦賀城跡
①東叶神社 ②頂部平場(主郭部) ③帯曲輪 ④鞍部 ⑤曲輪 ⑥法幢寺 ⑦東林寺 ⑧専福寺 ⑨顕正寺 
⑩大室(船蔵)

『神奈川中世城郭図鑑』を参考に現地で実際に調べてみました。とてつもない藪のため、⑤の曲輪、そしてその曲輪の近くにあるという堀切を見ることはできませんでしたが、③帯曲輪・④鞍部、そして曲輪を繋ぐ経路などを実際に確認することができました。また、東叶神社のHPによれば、⑥法幢寺・⑦東林寺・⑧専福寺の前面に石垣が築かれていたとあったので、これら寺院の平場も有事では城郭として機能していた可能性も考えられます。

主郭部


①東叶神社から恵仁志坂、もしくは産霊坂とも呼ばれる大よそ200段の階段を登って②頂部(浦賀城主郭部)に向かいます。

恵仁志坂を登り始めたところ

頂部平場から広大な景色を堪能できます。周辺より標高が高く、広範囲に房総半島を見渡すことができるので、浦賀に砦を築くとすればやはりここだろうと誰もが納得することでしょう。

明神山からの景色

頂部平場には、本社・神明社・東照宮が祀られており、平場の中心を囲むように縁側が土塁のごとく高まっていますが、これを一概に城郭遺構と呼ぶには甚だ疑問でしょうか。また、さらに東叶神社の縁起をよくよく調べると、明治の頃までは永神寺という古義真言宗醍醐寺派三宝院に属する修験道の寺だとありました。お寺の時代には、この山頂で火渡り修行などが行われていたそうです。ですから平場は後世での造作も含まれると考えるべきでしょう。

頂部平場(主郭部)

帯曲輪


②主郭部から東側に向けてひな段状地形が連なっています。『神奈川中世城郭図鑑』に「帯曲輪」と記されていました。この帯曲輪状の地形は見方を変えれば丘陵を登り下りする道ともなります。ちょうど主郭部明神山の東側を⑩大室といって船蔵跡だと伝わっているので、何か関係があるのかもしれません。

ひな段状地形(帯曲輪)

ちなみに⑥法幢寺境内もひな段状地形そのもので、いわゆる帯曲輪状となっています。底面がコンクリート舗装されていますが、元々このような地形だったことは現地の雰囲気からも伝わってきます。

本堂より一段高い平場から
 
法幢寺はお寺の案内板などが設置されていないので、もしかしたら観光客の立ち入りを快く思わないのかもしれません。また⑦東林寺では完全に檀家以外の立ち入りを禁じる警告を出しています。見学の際は十分に注意しましょう。

鞍部はお堂跡か?


②主郭部より北側に④平場があります。これを『神奈川中世城郭図鑑』では「鞍部」と呼称していました。主郭部との高低差は大よそ20m。だから鞍部と呼ぶのでしょうか。城郭としてどのような要素があるのかというより、ポイントは、この平場が⑥法幢寺の真裏であること。鎌倉寺社のパターンからは、本堂の裏手一段高い場所にやぐらやお堂などが祀られていることがよくあります。もしかしたらこの鞍部には、法幢寺が崇拝する対象となるお堂などの施設があったのではないかと、寺院を中心に史跡めぐりをしてきた私個人的な意見です。

鞍部平場一画にあった井戸跡

小径は修験の場の名残か?昔の登頂ルートか?


②主郭部と④鞍部を繋ぐ小径が確認できます。当時の人たちはこうやって城内を移動していたのかと、現地では大興奮でしたが、これもやはり上記したように、永神寺時代に山頂(主郭部)で行われていたという修行に関する造作も含まれるのではないかというネガティブな見方もできます。

①主郭と④鞍部を繋ぐ小径

現在、東叶神社から立派な階段を延々と登って頂部にやってきますが、途中でおかしな造作が目につきます。全く関係のない方向に階段の一部が残されています。これは何を意味すのかというと、たぶん、このような立派な階段ができる前の昔の登頂ルートの名残りかと思われます。藪の中で見つけたあの小径はもしかしたら単なる昔の登頂ルートなのかもしれません。

白丸部分に昔の階段

ということで、本家小田原城に比べてしまうと、城郭の印象はとても薄く感じられます。見ることができなかった⑤曲輪の近くにあるという堀切も、鎌倉寺社で見てきた法則を当てはめれば、隣接するお寺とお寺の境界線かもしれません。

浦賀城の文献・資料における初見


『横須賀市史』によると、『小田原衆所領役帳』に、玉縄衆の愛洲兵部小輔が浦賀で水軍を務めていたことが記されているとありました。弘治三年(1557)、後北条氏が領内の家臣に対し、浦賀城で務める船方役を免除する代わりに浦賀城にいる愛洲・山本・近藤の番手三人へ年貢銭を納めることを通達していることが記されています。これが浦賀城に関する文献・資料の初見のようで、つまり弘治三年(1557)には浦賀城が既に機能していたことがわかります。

浦賀から見える房総半島 

三浦一族との関連はあるのか?


上記したように、浦賀城は文献・資料のうえでは後北条氏の城としか言えませんが、これだけの良港、三浦道寸義同、もしくは当時の三浦一族が整備していなかったのでしょうか。丘陵沿いに位置する寺院の縁起を調べると、⑥法幢寺が明応二年(1493)、そして⑧専福寺が永正元年(1504)の創建とありました。つまり両社は後北条氏に三浦半島を制圧される以前からあったお寺となります。征服した者が前任者のインフラをそのまま活用するのは、歴史を調べていればよくあることです。もしかしたら浦賀城の原型を、道寸義同、もしくは当時の三浦一族が既に構築していた可能性も考えられるのかもしれません。

義同の時代に建てられた専福寺

お勧めポイント


湾を挟んだ反対側に燈明堂という江戸時代の灯台跡があり、ちょっとしたビーチとしても整備されています。三浦半島の人には「これくらい当たり前だけど」と言われるかもしれませんが、”星の砂”をばら撒いたかのような砂浜がとてもキレイでした。浦賀城はもちろん、房総半島と海が広がる雄大な景色を望めます。また一番上のタイトル画像はこちらも西側にある東福寺から見た浦賀城跡です。浦賀に史跡めぐりで訪れるときは、西から東までぐるっと回ることをお勧めします。

浦賀城主郭部から見た燈明堂跡
燈明堂跡から見た浦賀城跡

最後に、さらに欲張ると、怒田城もそれほど遠くないので一緒に見ておくべきでしょう。元々この辺りでは久里浜が三浦氏にとってのメインの港でしたが、久里浜の海岸線の後退によって港の機能が浦賀に移ってきたものと思われます。三浦半島の、そして三浦氏の歴史を知るうえでも理解が深まります。



カテゴリー 探索記事(エリア別 横須賀
記事作成  2016年7月3日

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