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昨年(2012年)鎌倉の南境である材木座から小坪にかけたエリアに初めて足を踏み入れました。 光明寺・和賀江嶋・住吉城跡などなど鎌倉中心部とは一味違う寺社・遺跡に大満足の探索だったことを覚えています。
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住吉社 |
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正覚寺・住吉社背後にある洞窟・隋道 |
また『鎌倉市史 考古編』(以下市史)によると、通り抜けが出来ないとあったので、やはり隋道の類のようです。ひとまずこの隧道の全貌を確かめたいと思ったので、今回、懐中電灯持参でこの隧道に入ってみる事にしました。
住吉城には抜穴の存在が『鎌倉市史 考古編』に記されています。ですからこの「くらやみやぐら」は住吉城の抜穴だった可能性も考えられますが、真相はいかに・・。
くらやみやぐらの目の前には井戸が掘られていました。しかもちゃんと未だに水が湧いているようです。
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井戸 |
少し奥に行くと、底部に水分が多く含まれているのか、ツルツルしています。しっかり歩かないと足をとられて転びそうです。また、隋道内の上部・下部で削り方が箇所によって違うように見えます。隋道とはこういうものなのか、それとも違うグループの人達が削ったのか、違う時代に削ったのか、などなど色々と考えられます。
内部は多量の湿気によるものなのか分かりませんが、写真を撮ってもしばらくこのモヤモヤ感が写ってしまいます。一瞬、写っちゃいけない何かが写ったのかと思い焦ってしまいました。
隋道内は画像では平坦に見えるかもしれませんが、意外に傾斜があります。
結構進んだ感じです。この時点で、入口の光も届かない真っ暗闇の状態です。皆さんにはどうでもいいことかもしれませんが、この時私のドキドキ状態がクライマックスに達しました。そしてどうやら道が左にクランク状に折れ曲がるようです。
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あまり関係ありませんが、引き返す途中にこうして懐中電灯だけの明かりだけで写真を撮ってみると、木星みたいな表面に見えてキレイでした。
そして無事に元の住吉社のある平場に戻ることができました。
隋道の正体は
正覚寺に下りて行くと、何と運の良い事に、境内を清掃されているお寺の関係者らしきご老公がいらっしゃったので、この隧道について尋ねてみました。
そのご老公によれば、この隧道は少なくとも戦時中より前の明治か大正時代に掘られたものらしいとの事です。隋道の向こうにマンションが出来たので、通り抜けが出来なくなったとおっしゃってました。
てっきり抜穴かと思っていたため釈然としません。
「あれってお城の抜穴じゃないんですか?」と尋ねたところ、
「そう考えると面白いけど、残念ながら違うよ」とお話しされてました。
「えぇ~ 違うんかい・・」とガックリでしたが、でもとにかくこの非日常的な探検感がたまらなく面白かったです。やみつきになりそうです。
その後、市史を読み返したところ、丘陵の向こう側にある市史の云う「幣原邸」という場所への通り抜けが許されなくなったため、この隧道が民用路として掘られたと記されていました。世の中には知らなくてもいいことがあるとこれまでの人生で初めて思ったでしょうか。中世に作られた城の抜穴かと思ってドキドキしながら歩いて時が一番幸せでした・・
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探索期間 2012年7月~2013年5月
記事作成 2013年7月24日