くらやみやぐらは住吉城の抜け穴か?
小坪の正覚寺に「くらやみやぐら」と呼ばれる隧道があります。その正覚寺は中世にて住吉城の大手として活用されていたことが鎌倉市史に記されており、この「くらやみやぐら」はその住吉城の抜け穴ではないかと噂されています。ということで今回はその真相を探るべくこの正体不明の横穴に潜入してきました。
基本情報
名称 :くらやみやぐら分類 :隧道・トンネル
用途 :丘陵間連絡路
所在地:住吉山悟眞院正覚寺
住所 :神奈川県逗子市小坪5−12−2
料金 :なし
駐車場:なし
正覚寺と住吉城
くらやみやぐらは小坪の正覚寺に所在します。正覚寺は光明寺の開山である然阿良忠(ねんありょうちゅう)が仁治元年(1240)に建てた悟真寺を前身とする古刹です。またその良忠が荼毘に付された場所でもあります。一方で正覚寺は住吉城の大手としても活用されていたと考えられており、実際にも境内は城郭の如く3段のひな壇状地形を形成しています。
正覚寺 |
住吉城 |
正覚寺ひな壇状地形最上段にある住吉社 |
くらやみやぐら
正覚寺ひな壇状地形の最上段にある住吉社の傍にそのくらやみやぐらがあります。いざそのくらやみやぐらを目の前にすると、「奥が見えなさ過ぎてこれはやぐらとは言えないのではないか・・」というツッコミが頭によぎります。そしてやはりちょっと躊躇してしまいます。でも行くと決めたので行ってきます。
くらやみやぐら 右わきは井戸 |
とりあえず本当に先が見えません…
ひとまず真っ暗になったのでフラッシュを焚いてみたところヤヴァイものが写ってしまったと思いビックリしました・・。たぶん洞内の湿気が多いのだと思います。
少し奥に進むと、底部に水分が多く含まれているためか、ツルツルしています。しっかり歩かないと足をとられて転びそうです。あと削り方が意外とキレイです。近代的です。
洞窟内の上部と下部で削り方が違うように思えます。それともこういうものなのでしょうか。
さらに少し進むとまた削り方が変わりました。こちらは荒々しいので中世からある洞窟と言われればそうかもしれないと思ってしまいます。
フラッシュを焚かないとこんな感じです。ホント真っ暗闇です。真中のボーッとした明かりはペンライトです。暗すぎてあまり役に立ちません。
画像だと平坦に思えるかもしれませんが、意外に傾斜があるんです。ただでさえ底面がツルツルしているので気を抜くとホント転びそうになります。
道が折れ曲がり、向こうに明かりが見えてきました。
そのまま進むと、行き止まり。なんか映画や舞台裏のセットみたいです。
帰り道、正覚寺の方からお話をうかがうことができました。「この隧道は少なくとも戦時中より前の明治か大正時代頃に掘られたものらしい」との事です。「隋道の向こうにマンションが出来たので、通り抜けが出来なくなった」とおっしゃってました。
「お城の抜穴じゃないんですか?」と尋ねたところ、「そう考えると面白いけど、残念ながら違うよ」とお話しされてました。
その後、鎌倉市史を読んだところ、丘陵の向こう側にある「幣原邸への通り抜けが許されなくなったため、この隧道が民用路として掘られた」と記されていました。世の中には知らなくてもいいことがあるのだとこれまでの人生で初めて思ったかもしれません。中世に作られた城の抜け穴かと思ってドキドキしながら歩いていた時が一番幸せでした・・
もう一つのくらやみやぐら
サラッと大事なことを言いましたが皆さんお気付きになったでしょうか。「幣原邸への通り抜けが許されなくなったため、この隧道が民用路として掘られた」という部分です。ということは、その「幣原邸に向かう道が別にあるの?」ということになりますよね。そうなんです。なんと、この丘陵にはくらやみやぐらだけでなくもう一本別の隧道が存在していたのです。
小坪実測図 ①正覚寺住吉社 ②ぼんばたけ ③げんじヶ谷 |
上画像は実測図です。今回探検したくらやみやぐらが①正覚寺住吉社から現在マンションが建つ②のぼんばたけという場所に繋がる連絡路でした。そして鎌倉市史がいう「幣原邸」とは③のげんじヶ谷と呼ばれてきた場所です。実測図を見るとこちらにも道が通っているのがわかります。そしてこの実測図を頼りに正覚寺境内を探すと、ひな壇状地形の中段奥に何かを塞いだ跡のある壁面が確認できます。どう考えてもこれはその「幣原邸」へ通っていた道跡としか思えません。
正覚寺にある不自然な壁面 |
壁面下部 何かを塞いだとしか思えない造作 |
つまり明治か大正時代までは正覚寺から隧道を通ってぼんばたけという場所とげんじヶ谷に向かえていたのです。そして正覚寺の方がおっしゃるとおり、これは城の抜け穴ではなく、この丘陵周辺住民の方々の通り道だったということがわかりました。
ぼんばたけとげんじヶ谷
住吉城の丘陵頂部にあった平場をぼんばたけと呼び、げんじヶ谷にはお殿様が住んでいたと伝えられています。ぼんばたけは鎌倉市史によれば馬場から転訛した呼び名だとありました。そして「幣原邸」ことげんじヶ谷はお殿様が住んでいたというだけあって目視しづらい立地にあります。
大崎公園から見たぼんばたけ |
丘陵上部にある少しだけ見える家がげんじヶ谷 |
ちなみに「幣原邸の幣原さんって誰?なの」と思った方に説明すると、幣原さんとは第44代総理大臣です。幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は、明治5年(1872)生まれで、三菱グループ創設者の岩崎彌太郎の三女と結婚しています。その幣原元総理がげんじヶ谷に自宅、もしくは別荘を構えていました。まさにお殿様のお屋敷です。
まとめ
住吉城の抜け穴かと思って訪れたくらやみやぐらでしたが、明治・大正頃に掘られた連絡路であることがわかりました。またそのくらやみやぐらがもう一本あったことがわかったのも興味深い出来事でした。城の抜け穴ではないとわかったときはガックリ肩を落としましたが、その後に調べていると、この隧道にこれだけの歴史と事情があったのです。くらやみやぐらの出口は塞がれていましたが、自分にとっては歴史探求の旅へと誘う目には見えない道に繋がっていたのです。
住吉隧道 |
正覚寺前の通りを登るように進むとまたトンネルがあります。こちらもいかにも明治・大正頃に掘られたものとしか思えません。一体この丘陵って・・。
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