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鎌倉文学館【バラと寺院跡】

2016/06/01

鎌倉市 施設

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鎌倉文学館は、昭和11年(1936)に旧加賀藩主前田家第16代当主の前田利為が建築した建物を再利用したものです。園内には無数の薔薇が咲き乱れ、洋館内には文豪の作品が展示されています。一見してオシャレな施設ではありますが、鎌倉だけに、そこにはかすかながらも寺院跡ではないかと思われる痕跡も残されていました。

基本情報

〇名称  :鎌倉文学館
〇住所  :神奈川県鎌倉市長谷1−5−3
〇開館時間:9:00~17:00(10月~2月は16:30まで)
〇休館日 :月曜日(その他臨時休館日あり)
〇料金  :展覧内容で異なる
〇駐車場 :なし

公共交通機関:江ノ電「由比ヶ浜」駅より徒歩6分

文学館への道


鎌倉文学館へは、長谷寺行きのバス、もしくは江ノ電の由比ヶ浜駅を下車して向かいます。由比ヶ浜駅からは、海を背にしてまっすぐ歩いていれば文学館入口の交差点に出るので迷うことはないでしょう。交差点の手前には染屋太郎時忠の屋敷跡という碑があります。染屋太郎時忠は、神亀年間(724~728)頃まで鎌倉に邸を構えていた関東八ヶ国の総追捕使です。


前面バス通りは長谷小路、さらに昔は大町大路と云い、古東海道の道筋であったと考えられます。

鎌倉文学館


鎌倉文学館は、前述したように以前は加賀藩前田家の別邸でした。のちに佐藤栄作の別荘となり、最終的には鎌倉市に寄贈され文学館となりました。昭和初期に建てられた洋館内には鎌倉市にまつわる文豪たちの作品や直筆の書などが展示されています。庭園には多様な種類のバラが植えられており、特に鎌倉小町と名付けられたバラが人気でした。

旧前田邸
バラもキレイだけど緑もキレイ

長楽寺跡


鎌倉文学館のある辺りを長楽寺ヶ谷と云います。その名からもわかるように長楽寺というお寺がここ鎌倉文学館の地にありました。『かまくら子ども風土記』(以下風土記)によれば、長楽寺は元弘年間(1331~1333)の頃に焼失したと云われています。その後、現在の安養院の地に移されました。しかし、延宝八年(1680)にまた焼失してしまったため、比企ヶ谷にあった田代観音堂を移して再興されています。安養院は祇園山長楽寺安養院と号します。

鎌倉文学館にある長楽寺跡の碑

長楽寺縁起


長楽寺は嘉禄元年(1225)に北条政子が源頼朝の菩提を弔うために建立したと伝えられています。『鎌倉市史 社寺編』によれば、もと律宗願行房憲静が開山とあります。その他『新編鎌倉志』に「此谷ニ昔シ寺有、長楽寺ト号ス、法然ノ弟子隆寛住セシトナリ」とあることから、北条政子とは関係のない浄土宗寺院であったとも考えられます。ちなみに風土記はこちらの浄土宗説を支持しているようでした。

移転を機に律宗から浄土宗に改宗したのでしょうか、もしくは元々浄土宗だったのでしょうか、この謎解きのヒントとして、『日蓮聖人御遺文』に、日蓮が目の仇にするほどの高僧が長楽寺にいたという逸話が記されているそうです。「日蓮が目の仇にするほどの高僧」といえば、律宗極楽寺の忍性が思いつきますけど・・。

名越にある祇園山長楽寺安養院

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