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阿弥陀寺(箱根塔ノ沢)と弾誓上人の岩屋(奥の院)

2017/06/18

紫陽花 寺院 箱根

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阿弥陀寺(箱根塔ノ沢)

箱根塔ノ沢阿弥陀寺

箱根の搭ノ沢にある阿弥陀寺に行ってきました。大山にある浄発願寺を開いた弾誓上人が、箱根の塔ノ沢でも寺院を開いていたということを知り、今回訪れてみました。そしてこれが意外にですね、険しい山道あり、謎の地形あり、岩屋ありと、思った以上にボリュームのある面白い史跡でした。

阿弥陀寺

山号寺号:阿育王山放光明律院阿弥陀寺
建立  :慶長九年(1604)
開山  :弾誓上人

住所  :神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤24
拝観時間:9時~17時
拝観料 :なし
駐車場 :有り

公共交通機関:箱根登山線塔之沢駅より徒歩15分


中世の箱根路は箱根外輪山を伝って湯本に下りてくる湯坂路を通っていました。その湯坂路が通る山を湯坂山と云います。阿弥陀寺はこの湯坂山の谷間に流れる早川を挟んだ峰山の中腹に所在しています。峰山の頂部を搭の峰と云います。

搭ノ沢を流れる早川

阿弥陀寺参道


阿弥陀寺は箱根湯本駅からも歩けるようですが、箱根登山鉄道の搭ノ沢駅が最寄り駅となります。初めて乗るローカル線は新鮮です。箱根登山鉄道はその名のとおり本当に登っていきます。ですから搭ノ沢が箱根湯本からたった一駅といえど、箱根湯本~搭ノ沢間の傾斜を省けるので、体力にあまり自信のない方は、乗車した方がいいかもしれません。線路沿いには紫陽花がたくさん咲いていました。

箱根登山鉄道搭ノ沢駅
搭ノ沢は無人駅
阿弥陀寺参道入口からの景色 手前じゃなくて向こうの山が湯坂山

驚くことに駅からそのまま旧態地形に入って阿弥陀寺参道にアクセスできます。参道がこれまた古そうな石段の続く趣きのあるものでした。

ここから参道
さっそく石像仏のお出迎え

なんだか凄い石造物があります。大きめな岩石をくり抜いた中に磨崖仏が彫られています。とてつもなく希少性の価値あるものなんじゃないかと思いましたが、特別扱いされている感じはありません。箱根ではこんなの日常茶飯事なのでしょうか。

なんだか凄い石造物

しばらくすると山門です。これがまたイイ雰囲気です。門の向こうに石段の続く景色が広がります。

阿弥陀寺山門

石段が普通に”苔むして”ます。鎌倉の苔寺では苔のお手入れが大変だとお寺の方がおっしゃっていましたが、箱根まで来ると何もしなくても”苔むして”くれるようです。これぞ自然のワイルドな苔寺ですね。素敵な掘割状の参道には石造物が点在しています。

箱根の自然な苔寺

しばらくすると六地蔵のお出迎えです。ここまで来たら阿弥陀寺はもうすぐです。

六地蔵

阿弥陀寺境内


阿弥陀寺に到着。ここでもまた六地蔵のお出迎えです。そういえば、箱根登山鉄道の車内アナウンスで阿弥陀寺を「あじさい寺の名刹」と紹介していました。阿弥陀寺はどうやら箱根のあじさい寺と呼ばれているようです。なんてタイミングの良さ。でも、小田原や箱根の平野部では紫陽花が咲き乱れていましたが、山中だからでしょうか、阿弥陀寺では未だそんなに咲いてはいませんでした。

六地蔵
阿弥陀寺
前日からの雨が残る瑞々しい紫陽花

本堂にお参りするため、お賽銭をし、上から吊り下がっている紐を掴もうと思ったら、こんなモノがありました。百万遍転輪と云うそうです。初めて見ました。紐を引っ張りながら回すと何とも表現しづらい音が出ます。

百万遍転輪

阿弥陀寺縁起


静岡県観光のHPによると、阿弥陀寺は慶長九年(1604)、弾誓上人によって開かれました。浄土宗で芝増上寺の末寺です。興味深いことに、この地には元々室町時代に大雄山最乗寺の安叟(あんそう)が曹洞宗のお寺を開いていました。ですから阿弥陀寺はその安叟が開いたお寺の跡地に新たなに開かれた寺院となります。

そしてこの室町時代の前身のお寺のものなのか、阿弥陀寺のものなのか、わかりませんが、そもそも阿弥陀寺のある搭ノ沢や搭ノ峰という地名は、その名の通り、搭がこの地にあったことに因みます。また、皇女和宮が搭ノ沢で亡くなった関係から、阿弥陀寺には和宮の位牌が祀られています。


本堂に訪れると、お寺の方から「どうぞ中へお入りください」と声をかけられます。抹茶をいただけるそうです。申し訳ありませんが、何よりも奥の院に向かいたかったので、裏山へと向かうことにしました。

弾誓上人


それでは、奥の院に向かいますが、その前に阿弥陀寺を開いた弾誓上人について触れてみたいと思います。弾誓(たんぜい)上人(1552~1613)は、浄土宗捨世派の僧侶で、諸国を遍歴し多くの寺院を開いた人物です。尾張出身で、佐渡・信濃・諏訪・京都などにも訪れています。浄発願寺奥の院では、旧境内の様相はもちろん、なによりも弾誓上人が修行したと云われる岩屋が残されていたことが印象的でした。これから訪れる奥の院も岩屋となっているそうです。楽しみです。

浄発願寺奥の院 一の沢

浄発願寺奥の院

浄発願寺奥の院

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阿弥陀寺裏山


奥の院へと向かう道筋が見当たらなかったので、お寺の方に尋ねたところ、お寺の裏を通って行くのだそうです。そして「私は行ったことないけど」と、こんな地図を渡されました。・・これはこれで江戸時代の文献の挿絵みたいで趣きがあります。とりあえず裏山を登れば奥の院は見つかるでしょう、きっと。

阿弥陀寺から頂いた地図・・・

それでは、標高566mの壮大な阿弥陀寺裏山を登ります。紫陽花の咲く境内から一変、裏山は大自然そのもので竹林がしばらく続きます。前日からの雨で足元がかなり悪かったです。

阿弥陀寺裏山

それにしても、大きめな岩石が”あちこち”に転がっています。まるで、神武寺鷹取山、大山、日向山のようです。これらに共通するのは、修験道の場として活用されてきた山ということです。もしかしたら峰山もそうなんでしょうか。

阿弥陀寺奥の院


しばらく行くと道標が現れます。その道標が示さない方にも道が続いているので、そちらを進むと阿弥陀寺奥の院があります。日向薬師で奥の院を見つけたときと同じパターンです。

岩屋

岩屋というより、丘陵壁面に出来た亀裂といった感じで、そこに祠が置かれていました。何かこう”しっくり”こないと思いつつも、この辺りに大きめな岩石がゴロゴロ転がっていることが気になります。やっぱり修験道の山っぽいです。

岩屋付近に転がる巨石群

岩石が転がる荒々しい地形を見ながら奥へ進んでいたところ、なんと、もう一つの横穴を発見、というか先ほどのモノとは異なり見た瞬間にピンときます。

本物の奥の院

この横穴、驚くことに奥の方まで光が届かないほど奥行きがあります。そして悔やまれることに、前回の曽我ハイキングでLEDライトが寿命を迎えていたことにここで気付きました。細部まで観察ができません。フラッシュで撮った画像をその場で確認するという情報量の少ない作業でわかったことは、卵塔(無縫搭)と石造物が置かれていること、そしてなんと、部屋が二つもあるということです。

岩屋
卵塔のある部屋
もう一つの部屋

岩屋・やぐらの類にしてはあまりにも奥行きがあること、そして部屋が二つもあることから、一見して防空壕の類かと思いましたが、削り方が荒く、これまで見たことのある防空壕の内部壁面とは様相が異なります。一体どういう類の横穴なんでしょう。

弾誓上人は何者なのか?


弾誓上人には”木食一派”(弾誓上人が木食修行を行っていたため)という固有名称が付けられるほど多くの信徒がいました。そんな弾誓上人が佐渡に渡っていた時期もあることから、佐渡市のHPにこのような記述がありました。

「木食一派の足跡は全国各地に見られ、鉱山地域との関わりが深いとされていますが、弾誓もまた、佐渡金山の開発時期である1500年後半に佐渡へと渡ったと伝えられています。」


この一文からは、木食一派が師である弾誓上人の跡を追って各地を訪れていることがわかります。そして見逃せないのが「鉱山地域との関わりが深い」という部分。改めて岩屋の画像を見てみると、どうでしょう、壁面から底面まで赤くなっているのがわかると思います。赤いので鉄分による変色です。これは峰山が鉄を多く含む地質であるか、もしくはこの岩屋にかつて膨大な量の鉄を材料とした何かが保管されていたことなどが考えられます。果たして弾誓上人とその一派は、木食修行を行っていただけの存在だったのでしょうか。

岩屋内部

弘法大師が各地で水源を掘り当てていたように、弾誓上人は鉄などの鉱石を採掘する技術を持っていた、もしくはそれら集団をまとめる存在だったなど、彼にはもう一つの顔があったのではないかと想像を膨らませずにはいられません。

阿弥陀寺からわずかに見える景色 箱根湯本の辺りかな?

さて、岩屋に訪れることができた達成感から、心地良い疲労感を味わいながら峰山を下山することができます。但し、阿弥陀寺はあくまでも最初にあった岩盤の亀裂のような箇所を弾誓上人の岩屋としており、一方で『神奈川中世城郭図鑑』では、奥行きのあるあの洞窟のような横穴を弾誓上人の岩屋として紹介していました。一体どちらが本当なんでしょうね。

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