2018年1月5日金曜日

大山信仰と阿夫利神社


大山は、ハイカー初心者向けの山として人気が高く、またケーブルカーが通っているので、観光地としても賑わっています。そんな現在の賑わいは、江戸時代から既に大山詣りとして関東一円から多くの人たちが訪れてきた歴史が背景にあります。そしてその歴史を調べていくと、近世というより古来から大山が信仰の対象とされてきたことが垣間見えます。大山の歴史は一体どれだけ遡るのでしょうか、また、大山がどのような信仰の対象とされてきたのでしょう、そして大山に鎮座する阿夫利神社とは・・。

大山 山王の辺りから

阿夫利神社の創建は紀元前!?


神奈川県公文書館によれば、延喜式神名帳に阿夫利神社の名が見え、また天平年間(724~748年)に創建されたと記されていることから、文献・資料で確認できる確実なところでは、少なくとも阿夫利神社の創建は8世紀頃まで遡ることができるとありました。ちなみに阿夫利神社のHPには「創建は二千二百余年以前の人皇第十代崇神天皇の御代」とあります。崇神天皇の御代、つまり紀元前100年前後の創建ということになります。この壮大過ぎる縁起をどう受け止めるかはその人次第だとは思いますが、大山山頂での発掘調査の結果、縄文時代の土器、古墳時代の土器・須恵器、平安時代の経塚壺・経筒などが出土していることから、大山が古くから何かしらの信仰の対象となっていたことは確かなようです。

伊勢原市三宮で発見された縄文時代の環状列石

同じく伊勢原市にある三宮では、縄文時代の環状列石遺構が発見されています。大山頂部に土器を残した縄文人と関係があるのでしょうか。現在は三宮比々多神社(式内社)にてその遺構が再現されています。

伊勢原市三宮で発見された縄文時代の環状列石


阿夫利(あふり)が先か、雨降(あふり)が先か?


最初に阿夫利(あふり)神社と聞いて、この「あふり」とはどういう意味なのだろうと思っていましたが、実際に大山に訪れてみると、大山寺の山号を雨降山(あふりさん)と云うことがわかったので、だから「あふり神社」なのだと理解しました。しかしですね、こちら伊勢原市にある産業能率大学のHPにあった一文。

阿夫利の呼び名は「あふり」を語源とし、アイヌ語説としての「アヌプリ」(偉大なる山の意味)から「あふり」「あぶり」とされた。

なんと、この説からは、阿夫利神社の「あふり」とは、雨降(あふり)からきたのではなく、元々アイヌ語から転訛した「あふり」と云う単語があったということになり、逆に「雨降」と書いて「あふり」と読ませる大山寺の山号が単に当て字に過ぎないということになってしまいます。

雨降山大山寺

また『延喜式神名帳』に阿夫利神社の祭神が記されていないことから、「初めは大山を神とする自然神崇拝ではなかったかと推察される。」ともありました。そこで思い出されるのが、以前に『鷹取山の秘密』で勉強したときに読んだこちら、岡谷公二著『神社の起源と古代朝鮮』にあったこの一文。

古代の神社には、社、つまり建物はなく、森、或は巨石を神の依り代として祀ったことにつていは多くの証拠がある。」

”自然崇拝=古代の神社”ということになります。ですから「あふり」がアイヌ語から転訛した単語であること、またその「あふり」が自然を崇拝する古式神社だったという説をとれば、阿夫利神社が崇神天皇の御代、つまり大よそ紀元前100年前後に創建されたかどうかというところまでには言及できないものの、大山寺が創建されるずっと以前から存在していた可能性が高くなります。また阿夫利神社の縁起にある「崇神天皇の御代」という点に着眼すれば、近年では崇神天皇が3~4世紀に実在していた人物だという説がwikipediaにあったので、そのまま阿夫利神社の創建も3~4世紀頃に結びつけてしまう考えも”有り”なのかもしれません。

大山山頂 阿夫利神社本社


山岳信仰・修験道場としての大山


大山の別当が供僧十一坊・脇坊六坊・末寺三・御師三百坊の惣領であった(現地案内板より)ということからも、その規模の大きさがうかがえますが、さらに、大山が修験道場の場として山岳信仰がいかに盛んであったかということが以下の資料からわかります。なんと、大山の修験者だけで一つの軍事勢力を構成することができたようです。以下神奈川県公文書館より。

大山は修験者を戦略的に利用しようとした小田原北条氏の支配を受けることになり、大山修験勢力は天台宗・本山派玉瀧坊の配下に組み込まれた。

天正十八年(1590年)の小田原征討に際して、大山修験勢力が北条方に与して激しく徳川方に敵対したこともあり、慶長10年(1605年)、家康は大山の大粛清に着手した。

大山登山道にあった造作

上画像は下社から本社に向かう登山道にあったもので、巨大な岩石があたかも門のように配置されていた箇所です。興味深いのは、同じく修験道場となっていた神武寺鷹取山にも同じような造作があったことです。ですからこれはもしかしたら修験道に関する造作なのかもしれません。また奇しくも、神武寺鷹取山も小田原征伐の際に攻撃を受けています。このことから、この岩石を門に見立てる造作は、修験道に関するものと考えられる一方で、後北条氏の勢力下にあった修験者たちの城郭遺構である可能性も考えられるでしょうか、どちらにしろ門に見立てている訳ですから、結界もしくは境界線を表していることは確かだと思われます。

神武寺鷹取山の結界造作


雨乞い信仰としての大山


大山の別名を雨降山と云うことからも、大山は古来から雨乞い信仰の地として多くの人たちから崇められてきました。江戸や相模国はもちろん、関東一円から多くの人が雨乞いに訪れていたようです。そして具体的にどのようなことをやっていたのかというと、高谷重夫著『雨乞習俗の研究』に具体例が記されていました。以下同書から引用。

阿夫利神社下社東方にある二重滝で、竹の筒にお水を入れ、滝の付近の杉の葉で栓をし、途中止まらずに持ち帰り、(地元の)稲荷社や氏神に供え、あるいは用水に流し込んだり、直接田んぼに注いだりする。

関東各地から地域を代表して大山に訪れた人々は、阿夫利神社の奥にある二重滝で水を汲み、それぞれが”オラが村”に持ち帰って行ったというのが、大山雨乞い信仰の大体の概要となるようです。また二重滝の現地案内板には「修験者の禊の行場であった」「滝に打たれ心身を清めていた」ともありました。

雨乞いの聖地 二重滝

同書にあった甲斐の南都留郡道志村の例が興味深く、こちらでは、二重滝から持ち帰った水を地元の金毘羅さまに捧げ、雨を祈り、験があれば返水するとありました。何故わざわざ水を返しに行くのかというと、返しに行かないと今度は降りすぎて困ってしまうからなんだそうです。

竹筒の栓に使われた?二重社の杉の木


岩石信仰としての大山


大山と阿夫利神社を語るうえでもう一つ注目すべきものとして、阿夫利神社の御神体が巨大な自然岩(磐座)であるという点が挙げられます。実際にも阿夫利神社は古くは石尊大権現とも呼ばれていました。吉川宗明著『岩石を信仰していた日本人』によれば、岩石信仰は、日本に1000例以上みられる確固たる信仰体系の一つで、その著者でさえ総数を把握できていないとありました。この岩石信仰、上記した”自然崇拝=古代の神社”そのものではないでしょうか。

安房口神社の霊石

以前に横須賀市にある安房口神社という社(やしろ)のない神社に訪れたことがあります。上画像はそのときのもので、鈴木かほる著『三浦半島の史跡みち』によれば「霊石を霊代とする古来の磐座の形を止めた古式神社」だとありました。阿夫利神社の御神体と同系統のものと考えられるでしょうか。

日向山に隣接する見城山頂にあった磐座としか思えない不思議な岩石


雨乞いと岩石はセット!?


ということで、大山信仰と一口にいっても、山岳信仰・雨乞い信仰・岩石信仰など多様な形態がみられることがわかりました。「凄いですね」と、ここで話は終わらず、高谷重夫著『雨乞習俗の研究』にこのような記述があります。

水の神の神体として石を祀ることは『皇大神宮儀式帳』の中の伊勢国度会郡の社にみられるところである。

同書では『肥前国風土記』や『出雲国風土記』にあった「祈れば雨を降らせてくれるという石がある」という伝承なども合わせて例に挙げています。このように石・岩を御神体、もしくは霊代とし、雨乞いをする例が西国でみられることから、阿夫利神社の御神体である”巨大な自然岩(磐座)”とは、もしかしたら雨乞いの儀式で使われてきたものである可能性が考えられます。ですから阿夫利神社の御神体である”巨大な自然岩(磐座)”を岩石信仰として単体で扱うのではなく、雨乞いの儀式とセットで考えるべきなのかもしれません。

日向山ハイキングコースにあった謎の巨石 亀石

但し、『岩石を信仰していた日本人』では、祭祀用に用いられた岩石は破棄される例があり、さらにその破棄された岩石が、後世にて古来に祭祀に用いられた岩石としてまた祀られる例もあることなどが記されています。・・もうこうなってしまうと、阿夫利神社の御神体の正体については、専門家でさえ推測の域を出ない答えしか出せないのでしょう。

雨降山石雲寺

お隣の日向山にある雨降山石雲寺では、雨乞いの儀式に岩石が使用されたと伝えられており、その石が現在も残されています。


山岳信仰+雨乞い信仰+岩石信仰=大山信仰


雨乞いと岩石という意外な組み合わせのあることがわかりましたが、ここでちょっと思ったことがあります。大山からも近い日向山ハイキングコースを歩いていたとき、湘南地域県政総合センターという行政機関の案内板がありました。下図はその案内板の一部で、「森林に降った雨は、土の中へ浸透し、時間をかけてゆっくりと川に流れだします。豊かな水をはぐくむには、豊かな森林が必要です」とありました。つまり森林の保護・整備のためのご理解とご協力をお願いしますといった旨が記されています。

日向山ハイキングコースにあった案内板

ここで、ある意味、水は山が作り出しているのだということに気づかされました。蛇口を捻れば当たり前のように水が出てくる現代人には、こうした自然の摂理を理解はしているものの、常日頃から山が水を与えてくれるなどと意識することはほとんどないでしょう。そう、水は山が作りだしていいることからも、水の神とは山の神でもあり、そして岩石も山が産み出したもの、つまり全てが繋がっていて、山岳信仰・雨乞い信仰・岩石信仰などと、現代人が現代人の感覚でカテゴライズしたところで、それは歴史の表面のほんの上っ面部分だけを見ているだけに過ぎないのではないでしょうか。少なくとも、古代の人たちは、山・森・海・川などそれぞれに神性を見出し、個人の利益ではなくもっと大きいテーマで願いや思いを込めていたのではないでしょうか。

大山頂上付近からの景色


阿夫利神社


ということで、大山にはとてつもない古い歴史があり、そして多くの人がそれぞれの思いを多様な形で信仰してきたことがわかりました。阿夫利神社は、上記したように、延喜式神名帳に天平年間(724~748年)に創建されたとあるので、大山寺と同じ時代に創建された可能性が高いものの、その原型となる古代の人たちの大山への崇拝は、阿夫利神社が云うように紀元前にまで遡るのでしょう。

阿夫利神社下社から
阿夫利神社下社からの景色



カテゴリー 鎌倉研究部
記事作成  2018年1月4日

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