金龍禅院 九覧亭
横浜市金沢区にある金龍禅院は禅寺なのに江戸時代では九覧亭といって眺望を楽しめる観光名所として賑わっていたそうです。それではどんな景色が見えるのか楽しみです。
金龍禅院 |
金龍禅院
山号寺号:昇天山金龍禅院建立 :永徳年間(1381~1384)
開山 :方崖元圭
宗旨 :臨済宗建長寺派
住所 :神奈川県横浜市金沢区瀬戸10−12
駐車場 :なし
公共交通機関:京急「金沢八景」駅より徒歩4分
金龍禅院の境内と縁起
昇天山金龍禅院(しょうてんざんきんりゅうぜんいん)は、建長寺長老47世の方崖元圭(ほうがいげんけい)を開山に迎えて建立されました。開基となる人物を記した資料が見当たりませんでしたが、上杉憲方が開基となった明月院・能仁寺とほぼ同時期に建立されているので、ここでも関東管領が関わっているのかもしれません。往時ではここから六浦港のほぼ全景を見渡せたそうです。特に近世にて、裏山にあった九覧亭からの展望が人気を集めていました。
金龍禅院 |
金龍禅院 |
九覧亭跡
境内にあった横浜市教育委員会の現地案内板によれば、九覧亭は能見台からの眺望の衰退により江戸後期にここ金龍禅院に新しく設けられた展望台だとありました。野島・平潟湾・瀬戸橋などの金沢お馴染みの八景に、富士山もしくは能見台の一景を加えて九覧亭と命名されました。つまり金沢八景以上の景色が堪能出来るという事でになります。楽しみです。それでは早速裏山へ登り、その九覧亭があったとされる場所へ向かいます。
九覧亭への道 |
山腹にそれ程広くはない平場がありました。石塔などありましたがよく分かりません。まだ上があるので頂部を目指します。
山腹の平場 |
頂部平場には聖徳太子堂が建てられています。ここが丘陵最上階なので展望台としてはもってこいです。どうやら九覧亭跡のようです。
九覧亭跡聖徳太子堂 |
そして待望のその九覧亭からの展望ですが・・ え~と、あれっ?ここじゃないんでしょうか。イヤ、これ以上のスペースがないのでここで間違いないようです。
九覧亭からの景色 |
九覧亭からの景色ズーム |
九覧亭からの景色さらにズーム |
木々で景色が遮られているばかりか、平潟湾のほんの一部が見えるだけです。ズームして船が見えると若干ですが観光客が期待する金沢の景色になります。
金沢が近現代で大々的に宅地造成されているので、木々の関係とかそんなことではなく、そもそも見える景色が昔とは違うようです。ある程度予想はしていましたが、ここまでとは思いませんでした・・ 残念。
そして立ち入ってはいけない場所だとは思いますが、尾根がまだまだ続いていたので、その奥へちょっとお邪魔させてもらいました。なんと凄いです。大々的な石切り場跡になっていました。
石切り場跡 |
石切り場跡 |
石切り職人さんが彫ったと思われる文字まで確認できます。ものすごく明瞭なので近世というか明治・大正ぐらいのものかもしれません。随分と最近まで金龍禅院裏山では石切り場とされていたようです。そういった視点で見ると確かに、切り口がキレイです。近現代手法なんでしょう。
石切り職人さんの文字 |
その他に金龍禅院には金沢四石の一つで「飛石」というものがあるそうです。上の『江戸名所図会』にも描かれています。ただ、現在境内にあるものは、絵図に描かれていた位置から落下してサイズも小さくなっているそうです。
江戸名所図会に描かれた九覧亭跡
ちなみに『江戸名所図会』に往時の九覧亭が描かれています。絵図を見るとやはり別世界と言っていいほど周辺の環境が違うようです。
江戸名所図会 九覧亭 |
気になるのは展望台と思われる広場から更に階段を登って行ける様子が描かれていることです。これはもしかしたら聖徳太子堂のある頂部ではなく途中にあった平場をこの絵図はメインに描いているのかもしれません。確かに絵図からもあまり広そうには感じないのでたぶん途中にあった山腹の平場だと思われます。ですから九覧亭とはこの丘陵全体の事を指すのかもしれませんね。
2 件のコメント:
今日は。としちゃんと申します。ブログの中の「江戸名所図会に描かれた九覧亭跡」の絵図は、右上に「金龍院飛石」とタイトルにある様にあくまでも飛石の絵図です。金沢飛石金龍院山上八景眺望之図(歌川広重)を見ますと、右上の階段を登ると太子堂に着きますが、九覧亭は既に跡形もありません。太子堂は復元されてあたかもそこに九覧亭が有ったかのようにふるまわれていますが、じつは金沢飛石金龍院山上八景眺望之図(歌川広重)を見ますと、山上には太子堂とは別に九覧亭が有ります。恐らくはブログ主様が書かれている石切り場の辺りに有ったものと思われます。調べますと江戸末期から明治にかけてこの付近の石が売れたようで、その際に経済的な理由から(九覧亭跡と言うもうからない物よりもその下の石が大事なので)無視されてしまったような気がします。
突然のコメントで申し訳ありません。九覧亭についてですが、「武陽金沢八景略図」を見ますと、金龍院裏山の上には「太子堂」と「九覧亭」それぞれ有るのが分かります。昭和の初め位までは侍従川から金龍禅院までは海(含む潟)でした。ですから金龍院裏山から見る六浦方面も綺麗だっただろうと思います。当時(埋め立て前)の様子は「図説かなざわの歴史」(金沢図書館に有ります。)に写真が載っております。御覧になると驚かれるでしょう。そうすると貴殿が写真を撮られた石切り場が「武陽金沢八景略図」の時代には山頂だったことが分かると思います。つまり九覧亭は石を切り出す為に壊されて、山頂は石を切り出した際に削られて無くなったのだと思います。御参考になれば幸いです。
コメントを投稿