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金龍禅院 九覧亭

2013/10/01

金沢区 寺院

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金龍禅院 九覧亭


横浜市金沢区にある金龍禅院は禅寺なのに江戸時代では九覧亭といって眺望を楽しめる観光名所として賑わっていたそうです。それではどんな景色が見えるのか楽しみです。

金龍禅院

金龍禅院

山号寺号:昇天山金龍禅院
建立  :永徳年間(1381~1384)
開山  :方崖元圭
宗旨  :臨済宗建長寺派

住所  :神奈川県横浜市金沢区瀬戸10−12
駐車場 :なし

公共交通機関:京急「金沢八景」駅より徒歩4分


金龍禅院の境内と縁起


昇天山金龍禅院(しょうてんざんきんりゅうぜんいん)は、長寺長老47世方崖元圭(ほうがいげんけい)を開山に迎えて建立されました。開基となる人物を記した資料が見当たりませんでしたが、上杉憲方が開基となった明月院能仁寺とほぼ同時期に建立されているので、ここでも関東管領が関わっているのかもしれません。往時ではここから六浦港のほぼ全景を見渡せたそうです。特に近世にて、裏山にあった九覧亭からの展望が人気を集めていました。

金龍禅院
金龍禅院

九覧亭跡


境内にあった横浜市教育委員会の現地案内板によれば、九覧亭能見台からの眺望の衰退により江戸後期にここ金龍禅院に新しく設けられた展望台だとありました。野島平潟湾瀬戸橋などの金沢お馴染みの八景に、富士山もしくは能見台の一景を加えて九覧亭と命名されました。つまり金沢八景以上の景色が堪能出来るという事でになります。楽しみです。それでは早速裏山へ登り、その九覧亭があったとされる場所へ向かいます。

九覧亭への道

山腹にそれ程広くはない平場がありました。石塔などありましたがよく分かりません。まだ上があるので頂部を目指します。

山腹の平場

頂部平場には聖徳太子堂が建てられています。ここが丘陵最上階なので展望台としてはもってこいです。どうやら九覧亭跡のようです。

九覧亭跡聖徳太子堂

そして待望のその九覧亭からの展望ですが・・ え~と、あれっ?ここじゃないんでしょうか。イヤ、これ以上のスペースがないのでここで間違いないようです。

九覧亭からの景色
九覧亭からの景色ズーム
九覧亭からの景色さらにズーム

木々で景色が遮られているばかりか、平潟湾のほんの一部が見えるだけです。ズームして船が見えると若干ですが観光客が期待する金沢の景色になります。

金沢が近現代で大々的に宅地造成されているので、木々の関係とかそんなことではなく、そもそも見える景色が昔とは違うようです。ある程度予想はしていましたが、ここまでとは思いませんでした・・ 残念。

そして立ち入ってはいけない場所だとは思いますが、尾根がまだまだ続いていたので、その奥へちょっとお邪魔させてもらいました。なんと凄いです。大々的な石切り場跡になっていました。

石切り場跡
石切り場跡

石切り職人さんが彫ったと思われる文字まで確認できます。ものすごく明瞭なので近世というか明治・大正ぐらいのものかもしれません。随分と最近まで金龍禅院裏山では石切り場とされていたようです。そういった視点で見ると確かに、切り口がキレイです。近現代手法なんでしょう。

石切り職人さんの文字

その他に金龍禅院には金沢四石の一つで「飛石」というものがあるそうです。上の『江戸名所図会』にも描かれています。ただ、現在境内にあるものは、絵図に描かれていた位置から落下してサイズも小さくなっているそうです。

江戸名所図会に描かれた九覧亭跡


ちなみに『江戸名所図会』に往時の九覧亭が描かれています。絵図を見るとやはり別世界と言っていいほど周辺の環境が違うようです。

江戸名所図会 九覧亭

気になるのは展望台と思われる広場から更に階段を登って行ける様子が描かれていることです。これはもしかしたら聖徳太子堂のある頂部ではなく途中にあった平場をこの絵図はメインに描いているのかもしれません。確かに絵図からもあまり広そうには感じないのでたぶん途中にあった山腹の平場だと思われます。ですから九覧亭とはこの丘陵全体の事を指すのかもしれませんね。

周辺の史跡


泥牛庵

泥牛庵

金沢八景駅前を通る国道16号から泥牛庵が見えます。画像の国道を挟んだ左側に金龍禅院が所在しています。国道は旧六浦道でもあり、ほんの近世までは泥牛庵のある丘陵から金龍禅院まで丘陵が繋がっていたそうです。この光景からは信じられませんね。旧六浦道はその...

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