2015年11月3日火曜日

能見堂跡


山号寺号 擲筆山地蔵院
建立   寛文年間(1661~1673)
開基   久世大和守広之


金沢を代表する史跡のひとつ、能見堂跡に行ってきました。能見堂というと、どうしても江戸時代の史跡といったイメージが強いかもしれませんが、意外にもその歴史は中世、もしくはそれ以上に遡る可能性があります。また能見堂跡前面通りは、こちらも金沢を代表する街道のひとつ、金沢道となります。

現地案内板

跡地周辺は緑地帯として整備されており、そのままハイキングコースとして金沢自然公園、さらに足を延ばせば鎌倉まで歩いて行くことができます。

能見堂縁起


現地案内板によれば、文明十八年(1486)の『梅花無儘蔵』に「濃見堂」の名が出てくるとありました。江戸時代に書かれた『能見堂縁起』では、平安時代に藤原道長が結んだ草庵を始まりとすると記されているそうです。その名の由来としては、よく見える(能く見える)からとか、巨勢金岡という絵師がこの景色を描こうとしたが、あまりの美しさと潮の満ち干の変化のため描けず、筆を捨てのけぞったから(のけ堂)とか、地蔵を本尊とするため六道能化の意味から取ったからなど、その他色々な説があります。寛文年間(1661~1673)に、芝増上寺の地蔵院をここに移して再興し、擲筆山(てきひつざん)地蔵院としました。

『金沢八景』 歌川広重

広重の絵に大きな木が描かれているのがわかると思います。この木を筆擲松(ふですてのまつ)と云います。この立派な松の木が能見堂名物の一つでしたが、残念なことに現在は存在しないそうです。それにしても広重さんの絵は素晴らしいですね。そして当時の金沢がこれほどまでに美しかったのかと、自分の目を疑ってしまいますが、でもこれはさすがに広重の絵の魅力が過ぎるからかもしれません。

『武陽金沢八景』 歌川広重

明から渡来した心越禅師が、故郷の景色を偲び、ここから見た金沢八ヶ所の勝景を漢詩に詠んだことから、金沢八景が世に広まるキッカケとなりました。

谷津浅間神社


能見堂跡は六国峠ハイキングコース上にあります。金沢文庫駅で降りた私は、少しでも早く尾根道を歩きたかったため、まぁ山なんか登っちゃえば道なんて繋がっているだろうと、駅から見える一番近い丘陵を目指しました。すると谷津浅間神社という丘陵を登って行くような史跡があったので向かってみることにしました。

Google map 金沢

谷津浅間神社から見える金沢の景色は、見渡す限り住宅が拡がり、背の高いマンションなども多くみられますが、意外にも思った以上に周囲を見渡すことができました。後で調べてわかりましたが、この丘陵を白井崎と云います。ここが瀬戸の内海に面する岬だったから「崎」なんです。ついでに谷津浅間神社の「谷津」も海が近いから「津」となります。鎌倉にも津がありますね。

谷津浅間神社から見た景色 昔は海の中

浅間神社の底面がかなりゴツゴツしています。歴史の痕跡でしょうか。横浜金沢観光協会のHPによれば、谷津浅間神社は、寛仁年間(1017~21)に藤原道長が富士浅間大菩薩を勧請したとありました。能見堂の縁起にも藤原道長が登場するので、能見堂と同時期の史跡となるようです。また、この山を塗桶山と云います。

谷津浅間神社 

そして思ったとおり、浅間神社裏側から尾根道が続いています。このまま能見堂跡に行けそうです。とここで、この辺りちょっと面白い地形になっています。堀切のような、尾根を断ち切るかのごとく造作が神社裏側に施されています。さらに今度はわかりやすい掘割状地形が下に続いています。意外にも歴史を感じる尾根道となっていますが、これはもしかしたら道跡でしょうか。

神社裏側の尾根道
掘割状地形

富士坂の切通


この後に訪れる能見堂跡の現地案内板に昔の海岸線想定図が載せられていました。なんと、浅間神社の裏側に丘陵越えの道が描かれているではありませんか、しかもそのまま海岸線を伝って白山道に繋がっています。多分あの掘割状はその道跡ではないでしょうか。下絵図の「白井崎」「塗桶山」の下の「赤井」の辺りに丘陵を越える道が描かれているのがわかりますよね。

海岸線想定図(絵図は南北が逆転している)

そしてさらに資料を見つけました。『金沢の古道』に「塗桶山浅間神社の崖下を通る、富士坂の切通は、赤井村と谷津村とをつなぐ古道であるが、道のかたわらには、いまも、行き交う人々を見守るように、五輪塔の残欠や、石仏、馬頭観世音像などが、安置されている」とありました。つまり私が見たあの地形は旧道跡で、しかもその名を富士坂の切通と云うようです。それにしても、偶然見つけた道らしき掘割状地形が、本当に旧道だったとわかったときの嬉しさったらありません。

赤井側にあった石造物群

後日、この谷津と赤井を渡す富士坂の切通の下に行ってみました。『金沢の古道』にあったように、五輪塔の残欠や、石仏、馬頭観世音像がひっそりと置かれていました。

釜利谷緑地


さて、話を戻して、富士坂の切通から尾根道を進むと三叉路に当たります。本当にこの道で能見堂跡にたどり着くのかと不安になったので、GPSを確認すると、この辺りは釜利谷緑地とのことで、また正法院というお寺が地上部にあるようです。能見堂跡方面の尾根道とは別に下りて行ける道があったので、これが正法院に続く道なのかもしれません。

尾根上に現れた能見堂方面とは逆の下り道

能見堂跡方面に向かうと藪のトンネルとなります。ちょっとこの辺りの地形も面白かったです。藪に隠れてはいるものの、周辺は尾根道より一段低い平場が拡がっているのがわかります。何かあったんですかね、この辺り。


そして尾根道はやがて能見堂跡に向う正規のルート、つまり金沢道とぶつかり、能見堂跡に至りました。

能見堂跡


能見堂跡到着。凄いです、平場、それから平場に残る細かい地形の凹凸、そして平場の縁を土塁状の地形が囲っています。そしてなんといっても、2つの平場の間を通る切通し路が素敵すぎます。

平場と切通し
切通し
平場 なんか石造物が普通に転がっている

お堂跡地以外も随分と土地が削平されているので、昔は能見堂に付随する建物などがあったのでしょうか。


能見堂跡から少し進むと、遠くを見渡せるポイントがあります。上で紹介した広重の絵図のように、往時はきっと美しい景観だったのでしょう。現在はご覧のとおり、見渡す限り住宅街です。カメラをズームしてようやく遠目に海が望めました。


金沢道の切通し


私は浅間神社経由というマイナーな道のりで能見堂跡に向かってしまいましたが、正規のルート、つまり六国峠入口から能見堂跡に行くと、これまた素敵な切通し路を通ることになります。

金沢道の切通し



カテゴリー 探索記事(エリア別 六浦・金沢
記事作成  2015年11月3日

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