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多々良浜横穴墓群

2016/07/18

横須賀市 古墳時代横穴墓

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多々良浜横穴墓群



横須賀市鴨居に多々良浜と呼ばれる場所があります。三浦大介義明の四男、四郎義春がこの地を領したので多々良氏を名乗ったと云われています。そしてこの多々良浜には三浦一族より前にこの地にいた人たちの横穴墓が残されています。

基本情報

名称 :多々良浜横穴墓群
所在地:たたら浜園地
管理者:観音崎自然博物館
分類 :古墳時代横穴墓
用途 :墓

住所 :神奈川県横須賀市鴨居4丁目1149
料金 :なし
駐車場:有り


多々良浜


浦賀方面から海岸線を伝ってやってくると、観音崎の手前に多々良浜が見えてきます。一見して岩浜の様相ですが、海水浴場として整備されており、また観音崎自然博物館があったりと、ちょっとした賑わいをみせています。

多々良浜

多々良浜及び観音崎自然博物館の山側は、”たたら浜園地”として広大に削平された平場となっています。多々良浜のお隣にある谷戸腰越に、文化八年(1811)、会津藩が陣屋を築きました。また、戦時中は陸海軍の演習が多々良浜で行われていたとあったので、この”たたら浜園地”の容赦ないまでの削平感はそうした歴史によるものなのかもしれません。

たたら浜園地

たたら


『三浦半島の史跡みち』によれば、「たたら」とは「踏鞴吹」(たたらぶき)のことで、大きな鞴(ふいご)を足で踏んで空気を送り、砂鉄や木炭を原料として製鉄する我が国独自の技法であり、その精錬場を「たたら」と呼んでいたとあります。つまり多々良浜の地名は、製鉄における精錬場だったことを示す痕跡となります。鎌倉にも鑪ヶ谷・金洗沢(七里ガ浜)など製鉄に関する地名が残されています。

注意!横穴墓へのアクセス


さて、横穴墓へは下画像を見てのとおり、鍵のかかったフェンスが行く手を阻みます。困りました。でも大丈夫、すぐ近くにある観音崎自然博物館に言えば鍵を貸してくれるそうです。面倒くさいからといってフェンスをよじ登って入っていくようなことはやめましょう。

横穴墓への入口

多々良浜横穴墓群


”たたら浜園地”を奥に行った丘陵部寄りは、緩やかなひな段状地形となっています。まるで神社の境内を歩いているかのようです。

たたら浜園地奥の地形

丘陵部寄りに横穴が施されているので丘陵中腹をハイキングコースのように歩いて進んで行きます。大した距離がある訳ではないのでハイキングコースと言ったら大げさかもしれませんが、地形の起伏に沿うようにアップダウンが結構あったので、丘陵部寄りの地形はそれほど破壊されていないようです。


横穴は8世紀前後のもので、著書・資料によって異なりますが、総数は17~20基だとありました。草木が生い茂っていたこともあり、陽があまり当たらず”じめっ”とした環境のため、なかには底面が水たまりになっているものもあったりと、あまり細かく観察できる状況ではありませんでした。


全体的な印象としては、小ぶりで、形状も半円(ドーム)型なのか、切妻(家)型なのか、はっきりしないものが多かったように思えます。そして下画像のものはある意味興味深く、左壁に”やぐら”にみられる漆喰の跡のような白い部分、そして右壁にはまさか補修でもされたのか、それとも壁面がただ崩れ落ちたのか、とにかく壁面の一部に違和感がみられます。

不思議な横穴

多々良浜横穴墓群での発見


横穴墓群は、面白いことに3~4基ごとに”ひとかたまり”のグループとなっており、しばらく歩いた先に次のグループ、そしてまた次のグループといった状態でした。この微妙に距離を置いた横穴墓群同士にはどのような意図があるのでしょう。血族でグループを形成しているのか、それとも時代が違うのか、どちらにしろこの谷戸が古代に墓場として活用されていたことが伝わってきます。

塚状地形

途中、ただの地形かもしれませんが、古墳状というか塚のような地形も確認できました。さらに奥へ進むと尾根道は登りとなります。どんな横穴が待っているのだろうとワクワクして進みましたが、ベンチが置かれているちょっとした休憩スペースとなっていただけでした・・なんて思わせぶりな。昔はこのエリアを自由に解放していたんでしょうかね。

丘陵中腹の休憩スペース

鎌倉の丘陵部でもよくみられる堀切のような掘割状地形がありました。たぶんこの丘陵を登る昔の道跡だと思います。ですから現在の尾根道は後世にて作られたものなのでしょう。

白線が尾根道ハイキングコース 赤線が堀切のような掘割状

古墳時代末期横穴墓という葬送スタイルは、一世紀以上に渡って有力者とその従者らの墓として用いられてきたため、大磯などでは同じ場所で形態の変遷が確認されています。ここにあるものは更にまたその形状がどこかに向かう途中だったのかもしれません。

高棺座タイプもなければその土地ならではの”レアもの”もないあまり特徴が見られない横穴墓群でした。でも逆にそこが多々良浜横穴墓群の特徴なのかもしれません。あまり陽の当たらない横穴墓群から浜辺に出ると、急に雰囲気が爽快でさわやかになります。

多々良浜からの景色

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