2016年11月15日火曜日

管領屋敷


明月院のある明月谷の山内道沿いには管領屋敷という字名が伝えられています。関東管領山内上杉家が邸を構えていたことにその名が因みます。あまりにもその範囲が広いので、明月谷の入口を起点に円覚寺側を西管領屋敷、建長寺側を東管領屋敷と鎌倉市教育委員会の調査報告書では呼称しています。

Google map 山ノ内

管領屋敷・明月谷


管領屋敷、つまり明月谷周辺では”やぐら”が残されています。がしかし、ほとんどが民家敷地内に存在するため”まじまじ”と見学することはできません。また鎌倉市教育委員会の調査報告書によれば、崩落防止のための工事によって既に失われた”やぐら”も少なくないそうです。”やぐら”は関東十刹に数えられた禅興寺があったことに起因するものと思われます。

西管領屋敷のコンクリート化された丘陵壁面
明月谷の民家敷地内にあるやぐら

北鎌倉駅から円覚寺寄りの道を通って建長寺・鎌倉駅方面に向かうと明月院のある明月谷となります。その辺りの線路沿い、そして県道21号線沿いが大よそ管領屋敷となります。管領屋敷と意識せずとも大抵の人ならここを通ったことがあると思います。

西管領屋敷

東管領屋敷


何度も歩いたはずのこの道に、何故かこの日は谷戸の奥にある丘陵壁面の造作がこのとき初めて気になりました。住宅街なので観光客がズカズカと入っていくには”はばかれ”ますが、ちょっとだけ見学させてもらうことにしました。この辺りは東管領屋敷となります。

東管領屋敷の切岸

奥に入ると、なんとまぁ立派な切岸が残されています。しかもこれは何かがある雰囲気。近づいてみるとやっぱり”やぐら”がありました。しかもこちらは古そうな石塔まで残されています。がしかし、周辺では崩落防止のための工事が行われていたので、こちらの丘陵の寿命もあまり長くはないのかもしれません。

ちゃんと丁重に祀ってある
石塔はちぐはぐだけど古そう 土台は宝篋印塔っぽい

まさかの庭園造作?


ところでこちらの”やぐら”と切岸の造作、ちょっとオシャレじゃありませんか。これって葬送のための横穴という機能だけではなく、庭園造作の一つとしてデザインチックに作られているのではないかと思えてきます。壁面を”うねった”感じで削るところ、全体の雰囲気など、瑞泉寺のように往時では前面に池などがあっても不思議じゃありません。ですからこれは葬送のための横穴ではない、もしくはお墓でも庭園の一部となるように設計されたとか、そんな風に思えてきます。「禅宗寺院はお墓さえも禅なんです」と、どこぞのお坊さんか言ってそうじゃないですか。

やぐら壁面
デザイナーズ・マンションならぬデザイナーズ・グレイブ

やぐらの施工主は正法院か?


さて、東管領屋敷にあったこの”やぐら”に関連する資料は残されているのでしょうか。実は建長寺シリーズの記事を作成した際、『建長寺伝延宝図』を穴の開くほど見ていたので、東管領屋敷の辺りに建長寺の塔頭があることを認識していました。改めて確認してみるとやはり、絵図に建長寺塔頭の正法院とあります。

建長寺伝延宝図 東管領屋敷部分

尾藤ヶ谷を調べた際、あちらでは正法寺というお寺がありました。同じ寺号だし、しかも東管領屋敷は山内道を挟んで尾藤ヶ谷の対面にあります。何か関係があるのかと思いましたが、『鎌倉廃寺辞典』には同一ではないとありました。まぁどちらにせよ、東管領屋敷にあるこの”やぐら”は、絵図にも描かれている正法院のものである可能性が高いのかもしれません。但し、あの庭園造作のような切岸と横穴、もしかして管領さまの庭園でしょうか・・。

保寧寺跡


ちなみにそのまま並行するように建長寺方面に向かうと、”いかにも”って雰囲気の高台地形が現れます。『建長寺伝延宝図』にこの辺りの地形らしきものが描かれていて保寧寺と記されています。間近で見ると迫力あります。

階段を登った先は寺院跡

その後の管領さま


wikipediaによれば、山内上杉家の当主上杉憲政は天文15年(1546年)に長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後へと向かい、永禄4年(1561年)にその景虎を嗣子として家督と関東管領職を譲ったとありました。鎌倉期から足利氏の分家として君臨してきた名門山内上杉家が実質上表舞台から消え去った瞬間と云ってもいいのでしょう。但し、『吾妻鏡』読者からすると感慨深い部分もあります。長尾景虎の遠い先祖は平家方だったので吾妻鏡では囚人として登場します。そしてようやく赦免されたかと思ったら、今度は三浦宗家と運命を共にしてしまうという散々な時代を過ごしてきました。それが後世にて越後長尾氏として勢力を築き、関東管領職までを手に入れるという盛り返しぶり。歴史って面白いですね。

永享の乱(1438)の頃に長尾氏が邸とした地 円覚寺塔頭雲頂庵


カテゴリー 探索記事(エリア別 北鎌倉
記事作成  2016年11月15日

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