2018年1月21日日曜日

鎌倉の雨乞い



雨乞いの歴史


高谷重夫著『雨乞習俗の研究』によれば、雨乞いの記述が『扶桑略記』の推古天皇三十三年(625)の記事、『日本書紀』の皇極天皇元年(642)の記事にそれぞれみられるとあることから、古文献で確認できる日本の雨乞いに関する最古の資料は七世紀に遡ることになります。その後、日本で初めて請雨経法を修したのが空海(774~835)だと云われています。そして中世では幕府や朝廷などの中央機関から雨乞いを依頼された高僧が(請雨経法などで)祈雨を行っていましたが、中世も15世紀頃になると、荘園領主である寺院が自ら祈祷を行ったり、さらには一般庶民が主導する例がみられるので、中世後期から近世にかけて雨乞いの儀式に多様性・地域性がみられるようになります。

雨崎

三浦市にある雨崎では、この地にある井戸に祈ると三日でも四日でも雨が降り続けたことから雨崎という地名になったという言い伝えがあります。


古代の祭祀場跡


京急線追浜駅を最寄りとする横浜市と横須賀市の境界線近くで古代の祭祀場跡が見つかっています。『追浜の史跡探訪』によれば、孝徳天皇の御世となる645年頃、全国的に雨量が少なく、作物が出来ないため、天神に対し可伯の儀を行い、降雨を祈ったとあります。現在は野球場グランドとして整備されている追浜公園の辺りがこの古代祭祀場跡となります。

矢印の辺りに古代祭祀場跡

上記したように、古文献で確認できる日本の雨乞いに関する最古の資料が七世紀であるにもかかわらず、源頼朝の時代でさえ辺境の地とされた関東で、しかも孝徳天皇の御世となる645年頃という古文献に記された事例とほぼ同時代のものである遺跡が追浜で発見されたことは、まさに特筆すべきことではないでしょうか。この可伯の儀に際し祀られた天神は、追浜駅からも近い雷神社に合祀されています。

雷神社に祀られている祠


雨乞いのアイテム


古代では一体どのような方法で雨乞いをしていたのでしょうか。ヒントとなる記述が高谷重夫著『雨乞習俗の研究』にありました。
「水の神の神体として石を祀ることは『皇大神宮儀式帳』の中の伊勢国度会郡の社にみられるところである。」
水の神の神体として石を祀る事例が伊勢国という重要な地域でみられます。また『肥前国風土記』や『出雲国風土記』に「祈れば雨を降らせてくれるという石がある」という伝承が伝えられています。これらのことから、雨乞いの全ての事例に石が使われていたとは一概には断定できませんが、少なくとも地域や時代によっては雨乞いの儀式に石が使われていたことがわかります。

阿夫利神社

関東における雨乞い信仰の一大聖地、大山に鎮座する阿夫利神社は、古くは石尊大権現と呼ばれ、自然石(磐座)を御神体として祀っています。阿夫利神社の御神体と雨乞いが直接関係あるのかはわかっていませんが、日向や湯河原などでも同じく雨乞いに石を祀るという伝承が伝えられています。


中世の雨乞い 七瀬の祓い


『吾妻鏡』でも雨乞いの記事をいくつか見ることができます。なかでも興味深いのが、鎌倉幕府が初めて”七瀬の祓い”という雨乞いの儀式を行った貞応三年(1224)6月6日条にある記事です。”七瀬の祓い”とは、コトバンクによれば以下。
「平安時代以降、朝廷で毎月または臨時に行った公事(くじ)の一。吉日を選んで、天皇の災禍を負わせた人形(ひとがた)を七人の勅使の手で加茂七瀬などの七つの瀬に持ってゆき、祓をして流した。鎌倉幕府もこれに準じて行った。」
貞応三年(1224)6月6日に行われた七瀬の祓いでは、コトバンクの説明にある”勅使”の向かった先が、①江嶋龍穴(江ノ島)②固瀬(境川)③金洗沢(七里ガ浜)④由比浜狎河(いたち川)⑥六連(六浦)⑦杜戸(森戸)の七ヶ所。現在の行政区画でいうところの、藤沢市、鎌倉市、横浜市栄区・金沢区、そして葉山町にまで及ぶ広大な範囲となります。

Google map 七瀬の祓い
①江嶋龍穴 ②固瀬 ③金洗沢 ④由比浜 ⑤狎河 ⑥六連 ⑦杜戸


雨乞いの地に当てはまる仏法寺


それでは次に、雨乞いをするためにはどのような場所が適しているのでしょう。こちらも高谷重夫著『雨乞習俗の研究』に興味深い一文が記されていました。
「請雨経法を行うためにはまず国中四望の勝地、または竜の棲むに都合のよい池泉の地を選らばなければならない。」
鎌倉で雨乞いといえば、鎌倉フリークの皆さんならご存じ仏法寺跡を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。忍性が雨乞いをしていたと伝わる仏法寺(跡)には、文中にある「国中四望の勝地」「竜の棲むに都合のよい池泉の地」が見事に当てはまるじゃぁないですか!

由比ヶ浜を見渡せる仏法寺跡からの眺め
極楽寺境内絵図に描かれている仏法寺と請雨池


田辺ヶ池と近世の雨乞い


中世も後期に入ると在地の寺院や一般庶民が主導する形で雨乞いが行われるようになります。高谷重夫著『雨乞習俗の研究』からその辺りの要約を記します。
「雨乞いは共同の地域を次々と拡大し、より大勢の力に頼ろうとする傾向とならんで、各自の村の神仏に願って効のない場合は、より権威ある遠方の神仏の力を頼もうとする傾向がみられ、これが最も顕著にみられるのが村から遠く離れた地の著名な水の神や大社・名刹に詣でて、その神火・神水、もしくは神幣等を受けてくる風習である。相州大山のお水の霊験は広く世に知られている。」
例えば鎌倉の場合、田辺ヶ池(現在の霊光寺)で雨乞いが行われていたという記述が同書にみられます。そして「各自の村の神仏に願って効のない場合は、より権威ある遠方の神仏の力を頼もうとする傾向がみられる」とあるように、鎌倉の村人たちは、まずは田辺ヶ池で祈り、それでもダメだった場合、大山へ参詣していたのかもしれませんね。

田辺ヶ池 往時では池泉が広がっていたのだろう

田辺ヶ池は、極楽寺境内絵図にも描かれており「田那谷龍池」と記されています。正安三年(1301)に忍性がこの田那谷龍池で祈雨祈祷を行い、寺まで帰らないうちに大雨になったと云われています。また田辺ヶ池が金洗沢池とも呼ばれていることから、もしかしたら、七瀬の祓いにあった金洗沢とは具体的にこの地を指すのかもしれません。

極楽寺境内絵図に描かれている田辺ヶ池


なぜ大山なのか


上の項にあった「相州大山のお水の霊験は広く世に知られている」とあるように、大山は関東一円から多くの人が訪れてきました。でもなぜ大山が雨乞い信仰の聖地として昔から崇められてきたのでしょう。大山の別名を雨降山と云うように、大山に鎮座する阿夫利神社や大山寺が古くから信仰の対象とされてきたことが起因するのは言うまでもなく、そして何と言っても、日向川の存在が大きかったのではないでしょうか。広大な相模平野に水を配給する日向川の源流がここ大山・日向地区にあるんですね。

日向川


雨乞いの聖地 大山・日向


それでは、実は大山だけではなく、日向川沿いにある浄発願寺・石雲寺・日向薬師などにも雨乞いの伝承が伝えられているんです。大山を含む各社それぞれの事例をみていきましょう。

日向にあった現地案内板より


大山詣り


大山詣りで知られる関東における雨乞い信仰の聖地、大山では具体的にどのようなことがなされていたのでしょう。高谷重夫著『雨乞習俗の研究』に具体例が記されていました。以下同書から引用。
阿夫利神社下社東方にある二重滝で、竹の筒にお水を入れ、滝の付近の杉の葉で栓をし、途中止まらずに持ち帰り、(地元の)稲荷社や氏神に供え、あるいは用水に流し込んだり、直接田んぼに注いだりする。
関東各地から地域を代表して大山に訪れた人々は、阿夫利神社の奥にある二重滝で水を汲み、それぞれが”オラが村”に持ち帰って行ったというのが、大山雨乞い信仰の大体の概要となるようです。また二重滝の現地案内板には「修験者の禊の行場であった」「滝に打たれ心身を清めていた」ともありました。

二重社


浄発願寺の雨乞い伝承


浄発願寺でも雨乞いが行われていました。現地案内板に「お寺が日向川の水源地に鎮座していることから、伊勢原をはじめ平塚や大磯などの下流域に住む人々からは雨乞い信仰の寺としても崇められていました。」とあります。

浄発願寺奥の院 旧浄発願寺本堂跡

そして高谷重夫著『雨乞習俗の研究』に浄発願寺の雨乞いに関する詳しい記述を見つけることができました。以下同書から引用。
住職が読経の後、什物の「南無阿弥陀仏」の大軸を仏前に掛け、最初の「南」という文字だけを現し、他は巻いたままにする。村民たちは裸になって一の沢に飛び込み「六根清浄、南無阿弥陀仏」と繰り返しながら、互いに水をかけ合う。これで降らぬときは次の「無」の字を現して水行をする。かくして次々に一字ずつを現し、六日間重ねて六字の各号を全部現すと必ず降ると云う。
浄発願寺は、昭和13年(1938)の山津波で堂宇が壊滅し、当地に復旧困難なため、昭和17年(1942)に現在地へと移転しています。現在地と旧跡は同じく日向川沿いにあって、1kmほど離れた場所にそれぞれあります。文中にある「村民が裸になって飛び込んだ」と云う「一の沢」は、旧跡を指します。その浄発願寺旧跡は浄発願寺奥の院として現在も残されています。

一の沢 浄発願寺奥の院


石雲寺の雨乞い伝承


同じく日向川沿いに所在する石雲寺の山号を雨降山と云います。大山寺と同じ山号ですが、向こうは「あふりさん」と読むのに対し、こちら石雲寺は雨降山と書いて「うこうざん」と読みます。とにかくこの山号からも、こちらも雨乞いに関する歴史があるお寺だということが伝わってきます。また、寺伝によれば、養老二年(718)開創という古刹で、伊勢原市観光協会によれば、「かつて日向川の対岸に石尊宮があり、霊石・雨降石が祀られていた。現在は本堂前に祀られている。」とあります。

石雲寺


日向薬師の雨乞い伝承


日本三大薬師の一つという名刹、日向薬師でも雨乞いに関する情報が残されています。こちらも同じく高谷重夫著『雨乞習俗の研究』から引用。
「日向薬師に室町時代を下らない獅子面が二つあり、これを本堂の東北方にある女滝・男滝に浸して雨を乞うたと云う。」
文中にある女滝・男滝がどこにあるのか、または現存しているのかがわかりませんが、このように日向薬師でも雨乞いをしていたことがわかります。

日向薬師


祈るということ


雨乞いの歴史を調べていたら、雨乞いとはどういうものであったのかというより、配水設備が整っていない時代にとっての水がいかに大切で有難かったのかが伝わってくるような気がしました。現代ではそこまでして水を欲する状況に陥るってなかなかありませんよね。また大山や浄発願寺の伝承からは、本気で降雨を懇願していたというより、地元に伝わる伝統だからと、一種のお祭り感覚で参加していた人たちも少なからずいたのではないかと思えました。


朝廷や幕府などの中央機関が雨乞いを高僧に依頼するという出来事に思わず微笑んでしまいましたが、よくよく考えると現代もそう変わらないですよね。縁結び神社や学業の神様と呼ばれる神社でお参りする人たち、パワースポット巡り、さらには除霊というビジネスが未だに存在しているぐらいですから。でもこの祈るという行為、祈ったところで雨は降りませんが、祈ることによって、自分の中で事態を好転させる、もしくは障壁を乗り越えるポジティブな思考や力が降ってくるのかもしれません。いや、もしかしたら、祈れば雨を降らせることも可能なのかもしれません。そう考えた方が夢がありますね。




カテゴリー 鎌倉遺構探索事典
記事作成  2018年1月21日

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