洲崎神社・養老寺
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洲崎神社・養老寺 |
今回訪れた先は、頼朝も参詣したことのある洲崎神社です。現地案内板によれば、洲崎神社は古代から漁師にとっての漁業神であり、船乗りにとっての航海神だったとあります。祭神は房総・安房を開拓した忌部氏の祖先にあたる天太玉命(アメノフトダマノミコト)の后で天比理刀咩命(アメノヒリノヒメノミコト)を祀っています。目の前に海が広がる壮大な神社です。
周辺の地理
洲崎神社(下地図画像⑧)は房総半島の西側突端に位置します。東京湾海上交通の要衝の地とも云えるので、洲崎神社が航海神として崇められてきたことが何となくわかるような気もします。また頼朝が石橋山での敗戦の後、『吾妻鏡』には、真鶴から平北群の猟島(現在の鋸南町)に渡り、北上するのかと思いきや、一旦南下し、ここ洲崎神社に参詣している様子が記されています。また『義経記』によれば、頼朝は真鶴から猟島ではなくここ洲崎に上陸したと記されているそうです。
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Google map 館山
①崖観音 ②那古寺 ③鶴谷八幡宮 ④館山駅 ⑤館山城 ⑥鉈切洞穴 ⑦光明院 ⑧洲崎神社 |
安房國一之宮の謎
ところで、安房国の一之宮と云えば、安房神社ですが、洲崎神社も「安房國一之宮」と表記されています。「一之宮って一国に一つじゃなかったっけ?」と、首を傾げてしまいます。一体これはどういうことなのでしょう。
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安房國一之宮 洲崎神社 |
上記したように、頼朝は石橋山での敗戦の後、房総半島に渡り、しばらくしてから洲崎神社に参詣しています。この後に頼朝は秩父党などの強大な組織を配下に組み込み、関東の主な武士団を結集させることに成功しています。たてやまGENKIナビによると、この頼朝の成功は洲崎神社に参詣したことによるもので、これにより、世間から願いを叶えてくれる神社、御利益のある神社だと認識され、多くの武士たちから崇敬を集めるようになったとありました。つまり自然発生的に洲崎神社が世間から一之宮扱いを受けるようになったと説いています。
洲崎神社・養老寺
それでは、壮大な洲崎神社の階段です。148段あって傾斜は30度とのこと。厄払い坂と呼ばれ、登るだけで厄が祓えるそうです。
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洲崎神社 |
階段を登って向かおうとしましたが、まずはお隣の養老寺にあるという岩屋を見たかったので、そちらに向かいました。窓ガラスの中に収められた仁王像がある風情のない仁王門を通り抜けると、幼稚園と一体化したこれまた風情のない境内に思わず萎えてしまいますが、とりあえず岩屋を探してみます。
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養老寺仁王門 |
境内を進むと、”やぐら”のような横穴造作の他、ありました!役行者の岩屋!現地案内板に、養老元年(717)に役行者を開祖とし開かれたとあります。この岩屋にはその役行者の石像が祀られているそうです。役行者を開祖とするあたり、洲崎神社周辺が修験道の場であったのかもしれません。
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役行者岩屋 |
岩屋から裏山に登っていけるようなので向かったところ、鳥居のある見晴台となっていて、想像通り、海の景色が望めます。また頼朝の「笠掛けの松」という説明書きがありました。きましたね、頼朝所縁の観光地に必ずある頼朝の腰掛石とか頼朝のお手植えとか、もうそういうのいいから!と思ってしまいます。
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鳥居のある見晴台 |
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思ったとおりの景色 |
そのまま尾根が続いているので進んでみたところ、遠くに何やらまた建物が見えてきます。「まさか養老寺に奥宮があるのか」と、胸を躍らせながら進んでみると「・・洲崎神社」の額。なんと、尾根道で繋がっていたようです。厄払い坂を登って厄を祓ってもらおうと思っていたのに、登らずに到着してしまいました。
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洲崎神社 |
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洲崎神社 |
社殿のある平場から眺めた景色です。ちなみに階段下にある鳥居とは別に、海岸にも鳥居があります。ですからこうして見ると結構壮大な参道です。
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社殿のある平場から眺めた景色 |
下るだけでも厄が祓えるのだろうかとセコイことを考えながら厄払い坂を下り、浜の鳥居までやってきました。素敵な岩浜が広がっています。
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浜の鳥居 |
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洲崎の浜 |
こちらには御神石というものがあって、竜宮から洲崎神社に奉納された二つの石の一つとされ、もう一つは三浦半島に飛んでいったと云われています。この三浦半島に飛んでいったもう一つとは、そう、安房口神社にある磐座のことです。安房口神社に訪れたとき、洲崎神社にあるこの御神石の存在を知り、機会があったら見てみたいとずっと思っていました。
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御神石 |
安房口神社にあるものは先端に丸い窪みがあることから阿形に例えられ、こちら洲崎神社のものは裂け目が口を閉じているように見えることから吽形となり、両者は東京湾を守る狛犬のような存在となるそうです。よく考えましたね。
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安房口神社と洲崎神社が守る東京湾の結界線 |
何もお供えがなかったのでせめて花をカメラで添えてみました(笑)
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御神石 |
海の向こうに城壁かと思ったほど巨大な物体があったのでカメラを思いっきりズームしてみると、ちょ~巨大なコンテナ船でした。ということで、洲崎を一言で要約すると、鎌倉幕府がもし安房国にあったら、洲崎は極楽寺の領地だったのでしょう。といった感じです。
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ちょ~巨大なコンテナ船 |
房総半島の史跡関連地図
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