2018年5月28日月曜日

館山城

館山城

今回訪れた先は、歴史に詳しくない人でもその名前ぐらいは誰もが知っている南総里見八犬伝の里見氏の館山城です。城内案内図から察するに、公園として整備されてしまっていることは薄々気付いていましたが、せっかくなので行ってみました。


館山城の役割


房総半島の覇者・里見氏が最終的に拠した城が館山城です。安房を制した者が必ず押さえる鏡ヶ浦(館山湾)を望む絶好の位置にあります。これにて宿敵・後北条氏への備えも万全かと思いきや、よくよく調べてみると、天正五年(1577)に里見氏は後北条氏と和睦を結んでおり、また館山城を完成させたのが小田原征伐のあった天正十八年(1590)とのことなので、したがって館山城は前線基地ではなく近代化に向けた経済政策の色合いが強い城だったことがわかりました。

Google map 安房
①崖観音 ②那古寺 ③鶴谷八幡宮 ④館山駅 ⑤館山城 ⑥鉈切洞穴 ⑦光明院 ⑧洲崎神社

安房国にこれだけ広大な土地が広がっているに現在の館山市街地中心部が海岸線に偏っているのも里見氏が館山城の城下町として整備した名残りのようです。


館山城概要


迅速測図(明治初期の地図)で館山城を見てみると、この時代でもまだ水田に囲まれていることがわかります。これらは堀跡を水田として活用しているのかもしれませんし、もしくは後北条氏の玉縄城のように有事の際には水田を水濠として活用する目的だった可能性も考えられます。

Google map 館山
①館山城 ②熊野神社(熊野山) ③泉慶院跡 ④御霊山

西の見留川、東の汐入川を防衛線とし、最終防衛ラインとして水堀が城の周りに張り巡らされていたようです。上地図画像②の熊野山(熊野神社)には外郭としての切岸が、④御霊山・天王山には堀跡が現在も残されているので、館山城の大よそのアウトラインが想像できると思います。

熊野山の切岸

安房国に経済的な恵みをもたらしてくれる鏡ヶ浦(館山湾)のなかでも特に重要なエリアが高の島湊と呼ばれる辺りです。水深が深く島が西風を防いでくれるということから平安時代から活用されていたポイントで、里見義康が岡本城から館山に移る前から商人の岩崎与次右衛門などを送り込み整備をしていたと云われています。現在は地続きとなっている鷹ノ島公園の辺りかと思われます。

鷹の島公園の辺り(たぶん)


城山公園


それでは、城山公園として整備された館山城に行ってみます。頂部は戦時中に高射砲を設置するために10mも掘り下げられた挙句、現在では時代考証的にも本当に合っているのかよくわからない天守閣が建てられています。その他にも現地案内板を見ると孔雀園とかあるのであまり遺構は期待できそうもありませんが、きっと素晴らしい見晴らしが待っているはずなので行ってみます。

城山公園案内図

スロープを登っていくと中腹に広場があってその奥に館山市立博物館があります。こちらでしか購入できない郷土史関連の書籍を買うのがここに来た目的の一つでもありましたが、なんと欲しかった中世関連の本が既に売り切れで増版もしてないとのことでした。館内には展示物なんかもありますが、本を買えなかったことでちょっと気を悪くしたので入館せずに頂部を目指すことに。

館山市立博物館

頂部に到着!鏡ヶ浦(館山湾)と館山市街地を一望できます。素晴らしい眺め!それにしてもなんか見たことあるアングルだと思ったら、鏡ヶ浦も由比ヶ浜と同じく半円状に弧を描いているので鎌倉の光明寺辺りから見る風景と似ているような気がしました。

館山城から見た景色

水田が見えます。上の図で示したようにあの辺りに当時は水堀があったものと思われます。実際に上から見ると壮大です。

館山城から見た西側の水田

頂部は戦時中に改変されただけあってキレイに削平されています。天守閣と浅間神社があります。天守閣は時代考証的にどうなのだろうという部分もありますが、これ意外に遠くからも見えるんです。ですから一見さん観光客が館山市に訪れたときあの辺りが館山城なのだとわかるので結構役立つんですね。

天守閣
浅間神社

八遺臣の墓というものがあるそうなので南に向かってみました。ツツジが一部で植えられています。そして熊野山の切岸が見えます。あの山にある熊野神社”おくまんさま”に事前に行っていたので、方向音痴でも地理感覚が掴めます。

ツツジが咲いてます
熊野山の切岸が見えた!

道を進むとコンクリート舗装されていない尾根道が現れました。何か期待できそうな雰囲気を感じていたらありました!堀切!当時の名残りでしょうか。

イイ感じの尾根道
堀切

八遺臣の墓に到着。奥壁に”やぐら”のような造作がみられます。元々浅い掘りだったのかもしれませんが、風化して崩れている感じもします。そして想像通り八基の石塔が並べられていました。またこちらはオンマヤ下のウバカミ様とも呼ばれているそうです。ここから14世紀の陶磁器が出土し、またこれら八基の石塔は南北朝期のものなので里見氏の時代より遡るそうです。鎌倉の誰々の墓のように、そういうことにしておいてあげよう的なスタンスのものでしょうか。

オンマヤ下のウバカミ様

慶長十九年(1614)徳川家康は里見忠義に国替えを命じます。しかしこれは事実上の改易に等しく、忠義はわずかな家臣と共に倉吉(鳥取県)に蟄居のようなかたちで閉じ込められてしまいました。その後、元和八年(1622)に忠義は失意のまま29歳の若さで病死し、そのときに殉死した家臣がこれら八遺臣の墓とされているそうです。これが曲亭馬琴(滝沢馬琴)に著わされた南総里見八犬伝の原案・モデルになったと云われています。

八遺臣の墓


その他里見氏所縁の史跡


館山城にほど近い南側に里見氏所縁の史跡があります。元々は城内にあったと云う里見義康の菩提寺・慈恩院、里見義康が高野山から招いた快算を開山に創建された妙音院、大平寺の青岳尼で知られる智光院殿が開基となった泉慶院跡などが近接しています。

Google map 館山城
①館山神社 ②城山公園 ③熊野堂(熊野神社・熊野山) ④慈恩院 ⑤泉慶院跡 ⑥妙音院 ⑦御霊山
慈恩院
妙音院
泉慶院跡

参考資料
〇さとみ物語
〇たてやまフィールドミュージアム



史跡住所  〒294-0036 千葉県館山市館山351−2
カテゴリー 探索記事(房総・安房で鎌倉遺構探索)
記事作成  2018年5月28日

房総・安房で鎌倉遺構探索関連記事


房総・安房で鎌倉遺構探索【概要編】

房総・安房国での旅のダイジェスト編

崖観音・大福寺

崖観音の名で親しまれる魅惑の岩屋寺院

那古寺・那古山

鎌倉期の仏像あり、岩屋あり、展望台あり、那古観音こと那古寺

おくまんさま

館山城外堀地区にある横穴に祀られたおくまんさま

鉈切洞穴

海蝕洞穴に祀られた色んな意味で真っ二つな神社

光明院・地蔵堂跡

後藤義光の彫刻・岩屋形式のお堂跡・やぐら

洲崎神社・養老寺

鏡ヶ浦の突端に位置する漁業神・航海神の神社

安房神社・忌部塚

忌部氏の祖先を祀る安房国一宮神社

小網寺・法華谷やぐら

保持する文化財は一級品ばかり!

南条八幡神社

背後に城と横穴(やぐら)群を背負う八幡神社

大日山・舎那院

縁起不明の摩崖仏とやぐら群

稲村城やぐら

安房地方ならではの遺構残存度の高さが魅力の城跡

ヒカリモ黄金井戸

ヒカリモで満たされた幻想的な横井戸

岩屋観音堂

横穴墓を限りなく改変・転用した珍しい史跡

正木氏菩提寺・正文寺

前身は真田(佐奈田)氏の菩提寺だった正文寺

丸氏菩提寺・安楽寺

背後に城とやぐら群を背負う丸氏の菩提寺

真野大黒天・真野寺

覆面観音と大黒天に代表される文化財の宝庫