竹崎季長と蒙古襲来絵詞
元寇について調べていくと、『蒙古襲来絵巻絵詞』を製作したことで知られる竹崎季長がとてつもなく興味深い人物だったことがわかりました。今回はそんな竹崎季長と蒙古襲来絵詞について掘り下げてみたいと思います。
蒙古襲来絵詞
蒙古襲来絵詞とは、竹崎季長が元寇(文永の役・弘安の役)の様子を描かせたもので、当時の詳細な様子を絵巻で表しています。内容は絵巻を発注した竹崎季長を中心に描かれていますが、蒙古襲来に応戦した他の御家人も登場しています。当時の鎌倉武士の姿だけでなく、モンゴル兵の様相も(ほぼ)リアルタイムで描かれているという超一級品の歴史的資料です。
『蒙古襲来絵詞』 |
竹崎五郎兵衛季長の出自と周辺勢力図
それでは、竹崎季長のいた鎮西(九州)地方の勢力図を把握しておきましょう。まずは筑前国(福岡)には九州北部を束ねる少弐氏、豊後国(大分県)に大友氏、肥後国(熊本県)に菊池氏、肥後の沿岸寄りに松浦党、肥前国(佐賀県)に白石氏、そして本土の長門(山口県)には三井氏が拠していました。そしてこれら一族は蒙古軍を迎え撃った主な精鋭たちでもあります。ちなみに少弐氏はイコール武蔵国出身の武藤氏であり、大友氏は相模国出身で三浦氏と姻戚関係にありました。
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そして竹崎季長の出自ですが、彼の本貫地は肥後国(熊本県)だと云われています。また肥後国のなかでも玉名郡・益城群・阿蘇郡などに竹崎の地名が伝わっており、それらが候補地となっています。服部英雄著『蒙古襲来と神風』によれば、玉名郡が有力視されていますが、それ以外にも長門国(山口県)の赤間関竹崎浦ではないかという説もあるようです。
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季長が菊池武房に対し同族だと話す記述が絵詞にみられるので、竹崎家が藤原姓である肥後菊池氏と同族であること、そしてこちらも同じく藤原姓で長門の三井季成が季長の烏帽子親となっているため、季長が三井氏と姻戚関係にあったことがうかがえます。またNHKの歴史秘話ヒストリアでは、季長が元寇に際し、相続争いに敗れ土地も財産もない無足人状態であったと紹介されていました。下画像はそんな季長と姻戚関係にあった三井資長がモンゴル兵を追撃する一幕です。姻戚関係だけあって「長」という字を共有しています。
蒙古軍を追撃する三井資長『蒙古襲来絵詞』より |
それでは、蒙古襲来絵詞を読み解きながら竹崎季長という鎌倉時代の武士に迫ってみましょう。
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竹崎季長は騎射の名手
下画像は教科書にも載っている『蒙古襲来絵詞』(以下絵詞)の中でも一番有名なシーンではないでしょうか。ここに描かれている鎌倉武士こそが竹崎季長です。ところでこの絵、一見すると季長がモンゴル兵から攻撃を受けているだけのようにも見えますが、実は左右に続きがある異時同図法として描かれています。
モンゴル兵と竹崎季長『蒙古襲来絵詞』より |
下画像は上図の左側部分です。敗走するモンゴル兵の中に目に矢が突き刺さった人物(下画像赤〇)が描かれている点に注目してみましょう。解像度の低いこの画像では判別しにくいものの、絵詞では個人の所有を表す矢の模様まで詳細に描かれているので、この一撃が季長の放った矢であることがわかっています。またこのことからも、季長が馬上から敵の急所を一撃で仕留めることのできる弓の名手であることがうかがえます。
敗走するモンゴル兵『蒙古襲来絵詞』より |
このように絵を分断してしまうと、上画像では苦戦する季長という印象が残るものの、逆に下画像だけを見ると、血気迫る季長の攻撃に逃げ惑うモンゴル兵という真逆の印象となります。ちなみに絵図の右側には肥前の白石勢が多数で押し寄せてくるところが描かれています。モンゴル兵が敗走しているのは、この新たな軍勢(白石勢)の出現によるものだと解釈されています。
スパイ活動まで行う竹崎季長
こちら下画像の赤〇部分には人が描かれています。これは志賀島での攻防を描いたもので、これまでは、水浴びをするモンゴル兵と解釈されていましたが、服部英雄氏によって偵察活動をする季長であることが判明しました。
偵察活動をする季長『蒙古襲来絵詞』より |
弘安の役で九州の陸地に拠点を作れなかった蒙古軍は志賀島を占領します。そこで季長は島の偵察を行います。この絵の解像度では見えにくいのですが、季長ともう一人の人物は紐を持っているそうです。紐を使って距離などを測り、船が入れるのか、もしくは隠せるのかなどを調べているんだそうです。
少弐氏と島津氏の船団『蒙古襲来絵詞』より |
竹崎季長のお茶目な奮戦
こちら下画像は弘安の役のクライマックスで、季長が敵船に乗り込み敵兵を仕留めるその瞬間です。よ~く見ると、敵の首に刀を当てた季長の腕には矢が突き刺さって出血しています。まさに殺るか殺られるかの死闘を繰り広げている最中です。ちなみに季長が頭に被っているのは兜ではなくスネアテです(笑)。「慌てて出撃したら兜持ってくんの忘れたからスネアテ被ってみた」(本人談)とのことです。
敵船に乗り込む季長『蒙古襲来絵詞』より |
ということで、騎射の名手で、しかもスパイ活動までして、挙句に義経のように敵船にまで乗り込んで戦うという、まさに現代でいうところのミッション・インポッシブルのトム・クルーズばりの大活躍だった季長でしたが、兜忘れたからってスネアテを頭に被るというオチの付いてくるところがトム・クルーズ演じるイーサン・ハントには成りきれなかった部分でしょうか、惜しいですね(笑)。
日本の最強(最狂)兵器
下画像は絵詞に描かれたモンゴル兵です。鼻をつまみ目をつぶっています。彼らの身に一体何が起きたのでしょう。鼻をつまみ目を開けられない程の刺激が彼らを襲っています。
苦しそうなモンゴル兵『蒙古襲来絵詞』より |
実はこれ、推測ですが煮立てた糞尿をモンゴル軍の船に投げ込んでいるそうなんです。ただでさえ臭い糞尿を煮立てると目も開けられない程の刺激臭がするんだそうです。なんだか笑えてきますが、使えるモノは何でも使うというこの精神、凄いですね。リサイクル後進国と言われる現代日本において、ある意味見習うべき部分があると考えさせられるのではないでしょうか。
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竹崎季長が鎌倉にやって来た!
季長は恩賞を求め、鎌倉に向かい安達泰盛と対面します。しかしこれだけの大物と会うにはいつの時代もコネが必要なようです。このとき、季長と同族の菊池武房は北条実時(金沢流)に、季長の烏帽子親である三井季成は二階堂行忠にそれぞれ被官していました。北条実時も二階堂行忠も幕政の中心人物ですから、どちらにしろ安達泰盛に口利きをしてもらうことは可能でしょう。季長が鎌倉に向かう際、三井季成のところに立ち寄っているので、もしかしたら、季長は季成の二階堂ルートを頼ったのかもしれません。
安達泰盛(左)と竹崎季長(右)『蒙古襲来絵詞』より |
絵詞には安達泰盛の屋敷の様子が詳細に描かれています。鎌倉時代の武家屋敷を知るうえでとても価値のあるものです。一方でこうして季長に興味を持ったいま、彼が遠く九州から鎌倉に来ていたことに感慨深い気持ちでいっぱいです。
安達氏の菩提寺・無量寺跡 |
竹崎季長の謎
季長は恩賞地として現在の熊本県宇城市海東の辺りを与えられたと云われています。絵詞は弘安の役の10年後に完成しましたが、当時は墨も絵具も輸入品の時代です。高価な絵巻を発注できるのは皇族・貴族・大社寺ぐらいでした。季長のような一地方の御家人がどうやってその高額な費用を工面したのかは現在のところ未だ推測でしか語られていません。
PlayStation 『Ghost of tsushima』より |
『アンゴルモア元寇合戦記』より |
プレイステーションから発売された『Ghost of Tsushima(ゴースト・オブ・ツシマ)』は、1274年の元寇をテーマに対馬を舞台にしたゲームです。また『アンゴルモア元寇合戦記』といってこちらも対馬を舞台とした元寇に関する物語がアニメとなっています。元寇が、そして鎌倉時代がより多くの人たちに関心を持たれる起爆剤となることを願っています。
参考資料
〇服部英雄著『蒙古襲来と神風』〇NHK『歴史秘話ヒストリア』
2 件のコメント:
NPO法人・歴史人物学習館 案内役の 安達 弘 と申します。
素晴らしい情報発信をありがとうございます。
現在、小中高生のための「歴史人物学習のためのデジタル教材の案内板」を構築中であり、その 北条時宗 のページから、貴ホームページ(または貴動画)をリンクさせていただきたいと希望しております。
現状では、以下のような画面を考えております。
https://rekijin.net/houjou_tokimune/
リンクに問題があるようでしたら、取りやめますので、ご連絡いただけたら幸いです。
また表示上、ご意見ご要望がありましたら、ご遠慮なく、お申し付けください。
安達さま
リンクは何も問題ありません。
記事を気に入っていただけて幸いです。
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