南条八幡神社
南条八幡神社 |
今回の向かった先は、館山の南条という所にある八幡神社です。といってもただの八幡神社ではありません。丘陵中腹にある社殿の背後には、なんと、38基もの古墳時代横穴墓(やぐら)があるそうです。・・なんてエクセレント。
伝承と周辺の地理
伝承によると、古代南条村は海辺の漁村で、あるとき疫病が流行したため、その病難を免れるための神を祀ったのが南条八幡神社のはじまりだとされています。ということは昔の館山は南条まで入江だったということになります。地図を見ると南条って結構内陸の方なんですけどね、当時は随分と様相が違っていたようです。但し、古墳時代横穴墓の大よそは、もしくは少なくとも個人的にこれまで見てきた横穴墓のほとんどが、海、もしくは川の近くにあったので逆に納得します。
Google map 館山 ①崖観音 ②那古寺 ③鶴谷八幡宮 ④館山駅 ⑤館山城 ⑥鉈切洞穴 ⑦光明院 ⑧洲崎神社 ⑨南条八幡神社 |
南条城と飯沼
八幡神社のある丘陵は中世山城・南条城跡でもあり、前期里見氏の家臣・鳥山氏や正木氏の居城だったと伝えられています。また、自害によって命を絶った里見義豊室の一溪妙周が南条城付近に葬られたと云われ、彼女を供養するためその場所に一溪寺が建立され、のちに移転し福生寺になったと云われています。
Google map 南条 ①南条八幡神社 ②福生寺 |
現地で気付きましたが、南条城と福生寺に挟まれた土地を飯沼と云います。飯沼といえば個人的に後深草院二条との恋仲が噂された飯沼判官(資宗)を思い出します。何が言いたいのかというと、同じ飯沼だからといってちょっと短絡的かもしれませんが、鎌倉時代後期では安房に得宗家の所領があったこと、飯沼判官が安房守であったことからも、もしかしたら、飯沼判官の飯沼とはこの地に因む、もしくは何か関係がある、なんてことだったら面白いと思いました。さらに想像を膨らませると、南条城も飯沼判官の安房での拠点が基礎になっていたりして。
南条八幡神社の周辺の景色 基本的に田んぼだらけ |
南条城主の鳥山氏が在地領主だったのか、里見氏によってこの地に配置されたのかわかりませんが、伝承に海岸線が近いとあったことから、水運をここまで引くことができたのかもしれません。そうすると南条は立派な拠点と成り得ます。
神宮寺跡
さて、県道沿いにある八幡神社の鳥居をくぐって奥に進みます。一見して無駄なスペースが広がっているように思えますが、往時では応神山神宮寺という八幡神社の別当寺かあったそうです。平場と池がその神宮寺の名残りなんだそうです。
南条八幡神社 |
南条八幡神社の無駄に広いスペース |
池跡 |
階段を登ると、そこには社殿とその後ろに横穴群が広がっています。スペースの関係で横穴群を一望する角度を確保することはできませんが、凄いです、横穴だらけです。かつてこんな神社あったでしょうか。
南条八幡神社 |
八幡神社背後の横穴 |
形状からして古墳時代横穴墓であることは間違いありませんが、後世にて改変を受けている部分が見受けられます。数量だけでなくバリエーションも豊かで、デフォルトのアーチ型はもちろん、高棺座タイプに加えドーム型と思われる横穴が基礎になっているようです。ちなみにこちらの横穴群を東山横穴群と云います。
八幡神社背後の横穴 |
八幡神社背後の横穴 |
八幡神社背後の横穴 |
八幡神社背後の横穴 |
八幡神社背後の横穴 |
こちらは特に後世にて改変を受けた横穴で”やぐら”に見られる造作・特徴が顕著に現れています。古墳時代横穴墓ですが、中世にて改変を受けているようなので、東山横穴群は”やぐら”に分類されるのでしょう。
八幡神社背後の横穴 |
八幡神社背後の横穴 |
八幡神社背後の横穴 |
八幡神社背後の横穴 |
横穴群に紛れて稲荷神社がひっそりと佇み、また横穴そのものに権現様が祀られています。ところで権現様って何の権現様でしょうかね。
権現様 |
神社と横穴墓の関係
興味深い点は、神社という神域にこれだけの横穴墓群があることです。例えばですね、横穴墓だらけの相模国大磯の丘陵に唯一横穴のないエリアがあります。それは高麗権現(高来神社)のある辺りです。このことからも古代の人たちは神域と墓域を隔てていたことがわかります。古代大磯の人たちは、そこに既に高麗権現があったからこそ、高麗山に横穴墓を造営することを憚ったのだと思われます。
南条八幡神社 |
この大磯の例を南条に当てはめると、神社に横穴墓があるということは、南条八幡神社は横穴墓が営まれた後に神域となった、つまり横穴墓群があるところに社殿を造営したと考えられます。もしくは伝承の雰囲気から察するに、歴史が古そうなので、後世にてどこか近い場所からここに移されたのかもしれません。
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