おくまんさま |
今回は館山市の城山地区にある熊野神社を目指します。横穴に祀られているという鎌倉遺構探索的にはたまらないシチュエーションです。ちなみに現地の碑にこの熊野神社を「おくまんさま」と記してありました。この言葉の響きからも「おくまんさまの祟りが・・」といった昭和のB級サスペンス・ドラマに出てくるような不気味な雰囲気を想像してしまいましたが、よくよく調べてみると、熊野社を「おくまんさま」と呼ぶ例が全国で多々あることがわかりました・・。
周辺の地理
今回目指す”おくまんさま”こと熊野神社は館山城エリアにあります。ちなみに縁起がよくわかりません。中世山城にて神社が要所に配されていることはよくあることなので、館山城を築いた里見氏が勧請したのかもしれませんし、また墓地があったことから寺院が近くにあったのかもしれません。
Google map 館山 ①崖観音 ②那古寺 ③鶴谷八幡宮 ④館山駅 ⑤館山城 ⑥鉈切洞穴 ⑦光明院 ⑧洲崎神社 |
Google map 城山地区 ①館山神社 ②城山公園(館山城) ③熊野神社 ④慈恩院 ⑤泉慶院跡 ⑥妙音院 |
城山公園
城山公園(館山城)を見学しようと思っていましたが、かなり敷地が広大であること、そしてこの日のスケジュールがタイトであったことなどから、残念ですが今回は止めておくことに。
館山神社から見えた天守閣 |
館山城外堀地区
”おくまんさま”周辺がどうなっているのかよくわからないため、城山公園に車を停めて徒歩で向かいました。この辺り往時では館山城の外堀にあたるそうです。一見して”ほのぼの”風景の広がる景色ですが、有事の際には水田が水濠になる例があると『鎌倉市史』玉縄城の項にあったので、この”ほのぼの”風景、つまり水田は外堀・城郭の跡である可能性が考えられます。
城山外堀地区 |
向こうに切岸が見えます。そして手前の畑地に大きな岩石があります。どこか不自然です。やはりこれらも城郭の名残りなのかもしれません。
切岸と岩 |
さて、一見さん観光客が行くにはちょっと憚れるような場所となりましたが、スマホのGPSがこの先を示しているので入ってみることに。
おくまんさまはこの先らしい |
狭い道をしばらく行くと急に景色が広がりました。一瞬、湖かなんかが広がっているのかと思ったほどでした。広大な水田地帯です。
道を抜けるとそこは水田 |
熊野神社
熊野堂に到着したようです。墓地と小屋があって、それから丘陵壁面を浅く掘り込んだ造作なんかもみられます。
熊野堂にある墓地 |
横穴に祀られている熊野神社はどこかと見渡すと、奥に階段と鳥居が見えてきました。その向こうに”おくまんさま”がいらっしゃるようです。
熊野神社の鳥居 |
ようやくたどり着きました!”おくまんさま”です。イイですね。ところで、この”おくまんさま”が鎮座する横穴はなんでしょう。古墳時代横穴墓か”やぐら”を改変したもの、もしくは単に”おくまんさま”のために掘ったのか、ちょっとわかりませんが、内部に”やぐら”でみられるような造作もあったります。
熊野堂 |
熊野堂 |
横穴内部の造作 |
古墳時代横穴墓が単体で生息することはありませんが、これは形状的にはどう見ても古墳時代横穴墓でしょうか。少なくとも近世以前から存在した横穴が原型になっているものと思われます。というかそう考えた方がロマンがあるので鎌倉遺構探索としてはそういうことにしておきます。というより、”おくまんさま”の原型が何であれ、素敵な岩屋形式の神社だったということで締めくくりたいと思います。
おくまんさま周辺にあった石造物 |
館山城の魅惑の水濠跡
ちょっと気になったので、館山城周辺を迅速測図(明治初期の地図)で確かめてみたところ、やはり、玉縄城と同じく館山城も水田に囲まれているじゃぁないですかぁぁ!あの”ほのぼの”風景は水濠の跡で間違いないと思います。というかこの地形が当時からのものであれば、館山城の水堀・水濠のスケールはかなり大きいものだったと思われます。
迅速測図 館山城 ①館山城 ②熊野神社 ③泉慶跡 |
館山城周辺では、水堀の造作としての地固め用の割栗石が敷き詰められた鹿島堀が確認されています。廃寺となった泉慶院(上地図画像③)の池が現在も残されていますが、これも鹿島堀だと云われています。泉慶院の開基は里見義弘室の智光院殿と云い、彼女は鎌倉で有名なあの大平寺の青岳尼です。
泉慶院跡 |
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