〈大山不動尊〉の謎と〈滝本観音〉
「千葉にも大山寺があるの?」ということで今回訪れたのは千葉県は鴨川市にある大山不動尊こと大山寺です。しかも開創時期や開山が良弁という点まで一緒なんです。何はともあれとりあえず向かってみることにしました。
大山不動尊
〇山号寺号 :高蔵山大山寺〇建立 :神亀元年(724)
〇開山 :良弁
〇住所 :千葉県鴨川市平塚1718
高蔵山大山寺と雨降山大山寺の縁起の類似・共通項
現地案内板によれば、高蔵山大山寺は神亀元年(724)に良弁によって開かれたとあります。ちなみに神奈川県の大山寺は良弁の開山で755年の開創です。ということで、なんと、千葉の大山寺は神奈川の大山寺より開創時期が若干早いことになります。
但し、こちら千葉の大山寺の縁起はあくまでも伝承で、実際はよくわからないようです。確実なところでは、建武五年(1338)に土地の寄進に関する文書が残されているとありました。また裏山にある高蔵神社の創建は、こちらも神亀元年(724)と伝わっており、当初は大山祇神を祀っていたことから大山神社と呼ばれていたとあります。さらに、石尊大権現と称し、また”かっこ舞”(雨乞い祭)の文化が弘安五年(1282)以来続いているともありました。
高蔵神社 |
開創時期が不明確ながらも、千葉の高蔵山大山寺と神奈川の雨降山大山寺には「良弁」「石尊大権現」「雨乞い」という共通点がみられます。また本尊が不動明王という点も同じです。そしてここからは若干こじ付けに近いかもしれませんが、そもそも神奈川県の相模平野中心地域の辺りを古代では高倉郷と呼称しており、またここ千葉の大山寺が所在する地を平塚と云います。さらに、後述する滝本堂を再興したという糟屋氏ですが、糟屋氏といえば、大山のある伊勢原市(糟屋庄)を根拠地としていた一族です。何か繋がっているとしか思えません。
大山寺概要
大山不動尊の裏山に高蔵神社が鎮座し、また大山不動尊の参道を下りていくと滝本堂(跡)となります。HP安房国礼観音霊場巡りによれば、滝本堂はもとは長徳寺と云い、貞永元年(1232)に慈悲上人が安房観音霊場の三十四番納めの札所に選んだとあります。そして大永二年(1522)に土豪の糟谷石見守家種が寺を再興し、寺号を大永山普門寺長徳院と改め、千手観音菩薩立像を本尊としました。しかし明治の廃仏毀釈によって廃絶してしまったため、その滝本堂の千手観音像が現在は大山不動尊に安置されています。
大山寺境内案内図 |
大山不動尊境内
それでは、その大山寺に行ってみましょう。大山寺は丘陵頂部にあるので峠坂状の道を登り駐車場に到着した時点で既に本堂のある地点となります。なんとも紅葉の美しい景色が待ち受けていました。
大山寺からの景色 |
大山不動尊境内 |
大山寺境内 |
本堂には本尊の不動明王坐像、そして滝本堂の千手観音像、その他大黒天や十王像などがあります。不動明王を本尊としているところが雨降山大山寺と同じですし、また鎌倉中期の作と現地案内板にありました。でもコレなんか現地案内板の画像と違うような気がします。一方で滝本観音こと滝本堂の千手観音像は歴史を感じさせる趣きのある雰囲気を醸し出していてとても素敵でした。
不動明王坐像 |
滝本堂の千手観音像 |
上記したように大山不動尊は駐車場に車を停めた時点で本堂のある位置まで来てしまうんです。だからせっかくなので参道も堪能してみようと下りてみました。
本堂地点からの景色 |
車で本堂まで行けるんだからわざわざなんてバカな、と思われるかもしれませんが、せっかくですしね。ということで参道はやはり現在はほとんど使われていないようで、とても古めかしい雰囲気が伝わってきます。
大山寺参道 |
大山寺参道 |
高蔵神社
下から大山不動尊を堪能したので、今度は裏山の高蔵神社に向かってみます。またまたこちらも素敵な景観となっていました。
高蔵神社参道 |
ちょっと振り返ってみた |
高蔵神社参道 |
高蔵神社参道から見た大山寺本堂 |
参道途中には1353年の宝篋印塔、頂部には高蔵神社、そして良弁旧跡碑に富士浅間祠などがあります。こうして下から上まで大山寺を堪能してみましたが、結構壮大な造りであることがわかります。現在は参道を縫うように峠坂状の車道が作られてしまいましたが、往時では大山不動尊の山全体が霊地だったことがうかがえます。
高蔵神社 |
富士浅間祠 |
大山千枚田
大山不動尊の近くにあるとてつもない規模の棚田地帯を大山千枚田と云います。なんと、現在も雨水だけで耕作できる天水田なんだそうです。雨乞いの神さまでもある大山不動尊のおかげでしょうか。
大山千枚田 |
文化14年(1817)に建てられた開山良弁旧跡碑には「伊勢原の大山から東方の空にたなびく紫雲を見て、それに導かれるようにして、この平塚の大山にたどりつき、大山寺を霊山として開くことになった」と刻まれているそうです。
この一文からはやはり雨降山の霊験があってこそ、後に高蔵山大山寺が開かれた雰囲気が伝わってきます。ということで、高蔵山に雨降山の影響がみられること、そして高蔵山の不動明王坐像が鎌倉中期の作であること、また”かっこ舞”(雨乞い祭)の文化が弘安五年(1282)以来続いていることなどを合わせて勘案すると、高蔵山大山寺の創建時期は、願行が雨降山大山寺を再興した文永年間(1264~1275)以降で、高蔵山でかっこ舞(雨乞い祭)の文化が始まった弘安五年(1282)以前の範囲ではないでしょうか。
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