〈鯨塚〉と大黒山
鯨塚と大黒山 |
千葉県は鋸南町にある勝山港は、なんと、江戸時代から明治初期にかけて捕鯨基地として活用されていました。そもそも東京湾にクジラがいたことに驚きますが、それだけでなく、鯨塚といって当時の人たちが捕獲したクジラを供養していたという心温まる史跡が残されています。
さらに、こうした勝山における捕鯨の歴史を調べていると、里見水軍までもが登場するという面白い展開が隠されていました。なかなか面白そうなのでさっそく行ってみることに。
基本情報
名称:鯨塚住所:千葉県安房郡鋸南町竜島
勝山港
今回向かった先は、頂部に鯨見石と呼ばれる岩石と中腹に初代醍醐新兵衛の墓がある(下地図画像①)大黒山。そして鯨を供養した祠が残されている②加知山神社と③鯨塚。また④八幡神社は里見氏時代から江戸時代の藩主・酒井家まで城郭として使用されてきた勝山城跡です。今回はこれら勝山にある鯨に関する史跡及び周辺に訪れてきました。
地理院地図 勝山 ①大黒山 ②加知山神社 ③鯨塚 ④八幡神社(勝山城跡) |
勝山漁港から見える浮島 |
勝山の捕鯨の歴史
そもそも勝山でなぜ捕鯨が始まったのかというと、慶長年間(1596~1615)頃、紀州太地の捕鯨船が遭難・漂流し勝山に漂着したことから、その乗組員が勝山の漁民にクジラ漁の技術を伝えたことに始まると云われています。それから明治初期に至る200年以上もの間、勝山は捕鯨基地として活用されていました。
歌川国芳(1798~1861)捕鯨の図 |
醍醐新兵衛と鯨組(里見水軍)
勝山でクジラ漁の元締めをしていたのが醍醐新兵衛です。諸説あるものの、醍醐家は里見氏時代から既に勝山で名主の家柄であったと云われ、また代々新兵衛を名乗り、明治初期まで11代に渡って勝山で捕鯨に取り組んでいました。
勝山の路地から山が見える風景 |
醍醐新兵衛は75隻・500人と云われる里見水軍の子孫で鯨組を構成し世襲制を与えました。また実際に漁をするこの鯨組の他、クジラの油をとる釜前、クジラを解体する出刃組などがありました。
加知山神社弁財天前にある石祠(鯨塚) |
地元の加知山神社の弁財天奥にあった寄進者名簿には、この醍醐の名がみえる他、安房といえば安西、そして『戦国大名里見氏の歴史』家臣団一覧項のなかにもみえた石井・鈴木・黒川・和田などの名を確認することができます。もちろんこれらが実際に里見水軍、そして鯨組の人たちの子孫なのかどうかはわかりませんが、場所が場所だけに少なくともそれに近しい家なのかもしれません。
大黒山
さて、それでは勝山捕鯨の要所・大黒山に登ってみます。麓には醍醐氏にも関連する身代わり観音のある長谷寺があります。丘陵頂部に天守閣のような建物(展望台)があるので、ここが勝山城跡だと勘違いする人も少なくないそうです。
大黒山 |
丘陵を少し登ると初代醍醐新兵衛の墓があります。初代新兵衛の時代にこんな現代と変わらぬ墓石だったのかというツッコミは置いといて、そんなことよりも”やぐら”ですよコレ。
初代醍醐新兵衛の墓 |
続く丘陵壁面にもやぐららしき削り跡が確認できます。しかし下画像をご覧のとおり、フェンスが張られているので直接壁面を確認することができません。また金尾谷村(旧富浦町)の名主・忍足佐内を入れたと云う岩牢獄を説明するものもありました。鎌倉でいうところの唐糸やぐらみたいなものでしょうか、つまりお伽話かもしれません。
フェンスで塞がれてしまった丘陵壁面 |
登り道は息をつかせぬまま延々と登り坂となっているので、元々あった道筋をそのまま整備したものと思われます。
大黒山登山道 |
展望台からの景色です!素晴らしい。勝山港の全景を一望できます。ちょうど正面向こうに見える丘陵が勝山城です。
大黒山から見た勝山港 |
大黒山から見た勝山港 |
当時、山見方という人たちが大房岬と洲崎に配置され、クジラを見つけると狼煙やホラ貝で知らせてきました。クジラの存在を確認した大黒山では鯨見石から手旗信号で港に待機している漁船に指示していたそうです。つまりここ大黒山は勝山港の管制塔なんですね。里見氏時代、水軍が北条氏方の商船・運搬船を見つけては襲いかかっていたそうなので、もしかしたら同じ要領だったのかもしれません(笑)。
大黒山から見た大房岬と洲崎 |
こちらは展望台から見た内陸部方面です。高い建物がないので、高山・低山・平野部など、地形を確認することができます。なんかある意味すごい。
大黒山から見た内陸部方面 |
「三浦半島が見える!」と眺めていたところ、なんか特徴的な建物が見えました。たぶんこれ久里浜にある火力発電所だと思います。三浦海岸~観音崎間をサイクリングするときに距離の目安としていました。
大黒山から三浦半島が見えた! |
勝山城跡
では、せっかくなので大黒山の対面にある八幡さまが鎮座する勝山城跡にも登ってみました。城跡だけあって参道が立派です。そしてこちらからも勝山港はもちろん、大黒山とその背後に鋸山を望むことができます。
勝山城跡 |
勝山城跡から見た大黒山 背後に鋸山 |
鯨塚
次に、クジラを供養するという鯨塚という所に向かってみました。なんと、モミジが植えられていて丁重に扱われている感じが伝わってきます。
鯨塚 |
現地案内版によれば、ここは勝山藩酒井家の弁財天境内で、上述した出刃組(解体係)が一年に一基の供養碑を建てていたそうです。また祠の大きさはその年の捕獲量によるともありました。その祠がたくさんありますが、200年以上の歴史がある訳ですから、これら祠はそれでもほんの一部なのでしょう。
鯨塚 |
鯨塚 |
興味深いことに醍醐新兵衛の墓と同じくこちらもやぐらのような岩屋形式となっており、中には石祠と石像仏が祀られています。酒井家の弁財天境内とあったので弁財天を現在も祀っているのかもしれませんし、何か特別な鯨塚を祀っているのかもしれません。
鯨塚 |
江戸時代の人たちがクジラを供養していたという、そんな心温まる史跡に惹かれてここに訪れてみましたが、その鯨塚が興味深い岩屋形式だったり、醍醐新兵衛の墓がやぐらだったりと、鎌倉遺構探索が安房で求めていたものと巡り合うことができました。また実は品川にも鯨塚があることはあるのですが、ここ勝山のようにこれだけまとまった数があるのは全国でも稀な例となります。
参考資料
〇ちばTV『ちば見聞録』〇川名登著『戦国大名里見氏の歴史』
0 件のコメント:
コメントを投稿