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燈籠坂大師と造海城跡

2018/12/19

城郭 石切り場跡 富津市

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燈籠坂大師と造海城跡



今回訪れた燈籠坂大師と造海城跡は千葉県富津市竹岡に所在しています。ほぼ同じ位置に同居する両史跡は立地以外何の接点もないように思えますが、どちらも船や港に深く関連しています。また富津市竹岡付近は浦賀水道の最も狭まったエリアなので、中世、さらには古代から相模国との往来に最も使用された船の発着点だったのかもしれません。ということで、今回は寺社と城跡のどちらも堪能できる贅沢なポイントで史跡めぐりを楽しんできました。

基本情報

〇名称  :燈籠坂大師
〇住所  :千葉県富津市竹岡4487
〇拝観時間:常時開放
〇料金  :なし
〇駐車場 :有り

燈籠坂大師縁起


弘仁五年(814)、弘法大師・空海は、東国に行脚の折、東海道から海路でこの地にたどり着き、岩に自画像を刻んだと云われています。大師が去ったのち、里人たちは大師の徳を慕い、ここに常夜灯を点じ、海上安全・大漁を願い大師像を礼拝しました。これより漁をする船は大師の御灯明を灯台とするようになっことから、誰が言うともなく燈籠坂大師と呼ばれるようになったと伝えられています。また燈籠坂大師は同じく富津市竹岡にある東善寺の飛地境内地でもあります。

海ほたるから眺めた富津岬

造海城


造海城は15世紀後半に真里谷氏(上総武田氏)に築城され、のちに里見氏の城郭に移行したと考えられています。上記したように、竹岡周辺は浦賀水道の最も狭まったエリアであるため、里見氏と北条氏の熾烈な東京湾勢力争いの中心部となっていたことが想定できます。ちょうど里見氏の全盛を築いた里見義尭・義弘親子の時代で、浦賀水道の経済にも精通した安房正木氏が領主を務めていました。

浦賀港からの景色

造海城のある竹岡は対面の三浦半島にある浦賀城跡から距離にして直線で大よそ10km程の近さです。上画像は以前に浦賀港から撮ったものですが、確かに、房総半島に建つ個人の家がどのような形状をしているかといったところまで確認できてしまいます。もちろんズームしてますけどね。

燈籠坂大師と造海城跡概要


下地図画像は今回訪れる燈籠坂大師と造海城跡周辺です。城山と呼ばれる丘陵とそこから続く尾根の下に国道127号線とJR内房線が通っています。このことからもわかるように、周辺の往来が不便な地形であるため燈籠坂大師の入口には切通しが施されています。また造海城からの視点として、往時の権力者の居館のあった場所が港となっていた三柱神社のある辺り、もしくは木出根と呼ばれる辺りだと考えられています。三柱神社のある辺りには白狐川が流れているため、この川が造海城と連携した物資や人の運搬のための水運であったことは明白でしょうか。

地理院地図 富津市竹岡
①燈籠坂大師 ②木出根 ③三柱神社 ④白狐川

燈籠坂大師


さて、それでは燈籠坂大師に向かいましょう。入口のトンネルを抜けると今度はさらに大きな切通しが現れます。この景観を目当てに訪れる観光客も少なくないそうです。比較対象物がないので伝わりづらいかもしれませんが、ざっと10mぐらいの高さがあります。釈迦堂切通よりぜんぜん高さがあるんですよ。

燈籠坂大師の切通し

富津市オフィシャルHPによると、明治・大正の頃に工事が始まり、昭和初期の切下げ工事によって現在の形になったとありました。

燈籠坂大師の切通し 裏側から

切通しを抜けると燈籠坂大師です。階段にちゃんと燈籠が配置されています。階段を登るとお堂があって、・・それでお終いです・・。観光スポット的にはやっぱりあの切通しがメインとなるようです。

燈籠坂大師への階段
登り詰めたお堂から眺めたところ
燈籠坂大師

丘陵部壁面にはやぐら風の造作がいくつか施されています。竹岡周辺は黄金井戸や岩谷観音堂など独特な横穴造作がみられる地域なので、こうした鎌倉のような丘陵壁面造作は当たり前なのかもしれません。

燈籠坂大師のやぐら風丘陵壁面造作
燈籠坂大師の丘陵壁面造作
燈籠坂大師の丘陵壁面造作

造海城跡


さて、燈籠坂大師の丘陵壁面に怪しい切通しがみえます。どうやらこれが造海城跡への入口のようです。さっそく行ってみたいと思います。

造海城への入口

尾根道が複雑に削られています。鎌倉の尾根道のように色んな時代の痕跡があるような、一筋縄ではいかない深~い尾根道であることが出だしでわかりました。

城山尾根道

尾根道からひな段状地形が連なっているのが確認できます。もしくは城郭用語で言うところの帯曲輪です。鎌倉の一跨ぎで簡単に飛び越せる堀切などの遺構に慣れ親しんできた人間には逆に遺構が明確過ぎてそれでいて規模が大き過ぎるので戸惑いを隠せません。

明確すぎるひな段状地形

怪しい地形を横目にあまりの面白さに崖を下りよじ登り進んでいると、直下に海が見える位置までやってきました。どうやら城山の海側まで来てしまったようです。このとき何故かGPSがうまく作動してくれなかったので、これまで見てきた遺構の詳細な位置を把握することはできませんでした。また元来の方向音痴のせいでこの後迷いに迷って燈籠坂の入口までたどり着いたことは言うまでもありません。但し、そのおかげでさらに興味深い遺構を見ることができました。

海がすぐそこ


川名登著『戦国大名里見氏の歴史』によれば、里見系城郭の主な特徴として「海城が多い」「石積を使用している」「平場切岸遺構」「垂直切岸遺構」「貯水と防備を兼ねた水堀」などの項目が挙げられていました。なんとここ造海城ではそれら特徴がほぼ確認できるという遺構残存度なんです。凄い!

石積
垂直切岸遺構
貯水と防備を兼ねた水堀
虎口状地形
堀切もしくは虎口状地形
曲輪
土塁状地形

燈籠坂大師から進んだ比較的序盤で下画像の景色が望めます。安房正木氏があの辺りで船の荷の積み下ろしなんかをチェックしていたんだと思います。

造海城跡からの景色

遺構のあまりの明確さとその規模の大きさに後世にて改変を受けているのだと当初は思いましたが、その後に読んだ『戦国大名里見氏の歴史』や『房総の城郭』では不明瞭な部分はあるもののとしたうえで意外にも肯定的な内容が載せられていました。また、こうして後世の遺構を確認することによって、改めて鎌倉に戻りその遺構が大よそいつの時代なのかといったことが判断できる目安になると思います。とても勉強になりました。

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