〈高田寺〉蛇骨やぐらと高田姫
今回は館山市安東にある高田寺に蛇骨やぐらなる横穴があるということで訪れてみました。しかしその肝心の高田寺が見つからず、周辺の怪しい地形造作に誘われるまま丘陵の奥に入って行くと、平場・切岸・墓塔・横穴など、寺院跡としか思えない景色を目の当たりにすることとなりました。
基本情報
名称 :高田寺蛇骨やぐら所在地 :高田寺
住所 :千葉県館山市安東684
後で理解できましたが、安房地方はお寺やお堂といっても、それが地域の集会所のような簡易的な建物であるケースも少なくありません。そこはもちろん無住で必要最低限の法具や本尊などを収納するだけの建物なので、外観からはそれがお寺だとはなかなか気付けないこともあります。
今回訪れた高田寺はまさにそのケースで、近くを通っていたはずなのに最後まで気付かなかったという失態を犯しました。また事前に資料をよく読めばわかったことなのですが、昭和46年に移転したとありました。下地図画像①にある現在の簡易的な建物が高田寺で、往時では②の小谷戸部分に伽藍の建ち並ぶ境内があったようです。
Google map 高田寺 ①高田寺 ②高田寺跡 ③熊野神社 ④蓮蔵寺 |
高田寺・熊野神社・蓮蔵寺の背後・裏山には古墳時代末期横穴墓が十数基確認されています。さらにやぐらが混在していることから、この地が古代から中世まで葬送の谷として活用されていたことがうかがえます。
高田寺の縁起と高田姫
高田寺は曹洞宗で山号を福智山と云い虚空菩薩像を本尊とします。里見氏である高田姫の開基と云われていますが、この高田姫が里見氏の誰の娘なのかもしくは誰の妻なのかはわかっていません。天文五年(1536)没の位牌が伝えられているため、時代的には前期里見氏の縁者と考えられています。法号を高田寺殿花室妙香大姉と云います。
高田姫の伝承には諸説あって、彼女自身が双子だった、彼女の産んだ子が双子だったなどとあり、実際にも近くにある二子という地名の由来は彼女に起因するとも云われています。ちなみに中世では双子は縁起の悪いことだと考えられており、間引きされるか他所に預けられるなどの選択肢が日常的だったようです。また17歳のときに夫に先立たれとも伝えられています。
天文二年(1533)に勃発した天文の内乱によって里見氏庶流の義尭が嫡流の義豊を滅ぼし家督を簒奪したことにより、義尭以降の系譜を後期里見氏、それ以前の系譜を前期里見氏と大別します。
熊野神社
それでは、まずは近くにある熊野神社に古墳時代末期横穴墓があるということで向かってみました。横穴墓のある丘陵を背にするこの景色、どこかで見たことがあると思ったら、南条八幡神社の景色とそっくりです。横穴墓はこの地方でよく見かけるオーソドックスなタイプのものです。
熊野神社 |
熊野神社の横穴墓 |
熊野神社から連なる丘陵壁面に何かしら造作がみられます。なんでしょうねここ。
熊野神社から高田寺に向かう途中の丘陵部造作 |
そのまま高田寺方面に歩いていくと六地蔵や牛頭観世音などの石造物がまとめて置かれていました。近くに九重小学校があります。
高田寺近くの石造物 |
高田寺周辺の景色 |
高田寺跡
さて、高田寺のあった場所に入っていきます。上記したように、このとき本人は「高田寺ってこの辺のはずなんだけど・・」と思いながらもこの怪しい雰囲気のする地形に踏み入っていくことになります。下画像はなんか気になったので撮っておきました。桜なのか梅の木なのかわかりませんがポツンと木があってその背後に落葉植物が群集しています。今思うとこの配置、お寺の境内っぽい気がします。往時の姿をなんとなく想像できるような画ではないでしょうか。
高田寺跡 |
奥に行くとこの景色です。この雰囲気凄くないですか、絶対ここに何かあったのであろうとこのとき確信しました。でも「だからそこが高田寺跡なんだよ」と過去の自分に教えてあげたいもどかしい気持ちです。
高田寺跡 |
切岸がかなりの範囲で続いていますが、山に登って行けそうなのでまずはそちらに向かってみることにすると、程なくして小さめな平場が現れそこに石塔が整然と並べられていました。
山に入っていける道筋が見える |
中腹にあった平場と石塔群 |
ちなみに高田寺跡には高田姫の五輪塔があると館山フィールドミュージアムにありました。ここでは卵塔に紛れて中世のものらしき宝篋印塔と五輪塔が置かれています。これが高田姫の五輪塔なのかはわかりませんがもしかしたら高田姫の五輪塔かもしれないのでご挨拶しておきました。
五輪塔 |
この石塔のある平場からさらに奥にいくと、やぐららしき横穴が単体で存在していました。周囲を観察すると麓からここに登ってくるためのものであるかのような小径跡の造作がみられるので、この横穴が単体で存在することも合わせて考えると、これは葬送のためというより開山塔や大檀那を祀る石塔を置くような特別なタイプの横穴だったのかもしれません。
山中にあったやぐら |
このまま山中を彷徨ってもどこかに行ってしまうので、元の切岸のある低地に戻ります。一部で竹林となっていますが周囲はあたかもジャングルのような雰囲気です。夏に来ていたら今回のような詳細な見学はできなかったかもしれません。
高田寺跡 |
報国寺でよくこんなアングルで写真撮るよね |
なんと、やぐららしき横穴を発見!そしてさらに奥に行くと、石切りでもされたかのような切岸とやぐらを発見しました!完全にここは高田寺の中世の墓地でしょう。しかも凄い雰囲気!素敵。
切岸 |
やぐら |
やぐら 左にある造形物は井戸だろうか |
高田寺跡の謎の横穴
ここで今さらですが、高田寺にある蛇骨やぐらという横穴がどのようなものであるのか一切の詳細な情報がないことに気付きました。蛇骨というどこか怪しい雰囲気のするネーミングに惹かれてここまで来てしまいましたが、その詳細な情報がない限り、どれが蛇骨やぐらなのかが全くわかりません。しかし、このやぐら群からさらに進むと、やぐらなのかよくわからないあまり見たことのない形状の横穴が現れました。
謎の横穴 |
入口部分は近現代の造作かと思わせる一方で、中を覗くと内部は古墳時代末期横穴墓のアーチ型に似ています。形状は末期横穴ですが、こんな入口は見たことがありません。意味がわかりません。そして撮った画像をよ~く見ると底面に縄のような物体が張られていて、また瓶が転がっているのがわかります。瓶はたぶんお酒で、何かを祀っている、もしくは祀っていた対象へのお供え物ではないかと思われます。この横穴の属性を判別できません。こんなこと初めてです。
謎の横穴内部 |
高田寺跡のまさかの紅葉
謎の横穴から景色の明るい箇所が見えたので進んでみると、なんと紅葉の綺麗な場所がありました。しかもですね、底面は自噴する池なのかわかりませんが、ちょっとした水たまりになっていました。”おどろおどろしい”雰囲気の土地にいきなり現れたこの美しい景色にちょっとビックリ。ここはもしかしたら往時の高田寺の庭園池のような場所だったのでしょうか。
急に現れたモミジ |
モミジと池 |
池 |
ここからすぐに高田寺跡入口部分に出ることができました。どうやら旧境内を一周してきたようです。それにしても、まさかの寺院跡で、しかもそれがかなり雰囲気のあるものであったため、とても面白い体験ができました。
あの謎の横穴は何だったのか、またあの五輪塔は本当に高田姫のものだったのか、そしてどれが蛇骨やぐらだったのかなど、わからないことがたくさんありますが、いつかの機会にそれらの謎を解明できたらと思います。
高田寺跡 |
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