2019年1月1日火曜日

房総・安房のやぐら


房総半島の旧安房国圏内(館山市・南房総市周辺)にも”やぐら”があると聞き、昨年は鎌倉遺構探索に費やすスケジュールの大半を房総半島で過ごしました。今回はその統括といったら大げさですが、鎌倉遺構探索なりの視点で安房国の”やぐら”についてまとめてみました。但し、安房国での”やぐら”の浸透率は想像を超える規模であったため、まだまだ安房国には未知なる”やぐら”が数えきれないほど存在しているものと思われます。そういった意味ではこの記事は統括ではなく中間報告になるかもしれないという事情も付け加えておきます。


なぜ安房国にやぐらがあるのか


なぜ旧安房国圏内(館山市・南房総市周辺)をはじめとする房総半島にやぐらという鎌倉地方限定の葬送方式が広まっているのかというと、特に館山市街地周辺では中世にて瑞泉寺・円覚寺・鶴岡八幡宮・極楽寺などに寄進された寺院領が多く存在したことから、鎌倉寺院の影響を受け、やぐらという葬送文化が伝えられたと考えられています。

Google map 館山
①正木 ②府中 ③広瀬 ④萱野 ⑤宝貝 ⑥西長田

当時では群房庄と呼ばれた府中広瀬などを中心とする館山の広大な平野部が鎌倉期では新熊野社領でしたが、のちに貞治六年(1367)に足利基氏の遺命によって瑞泉寺に寄進され、また康応二年(1390)には鶴岡八幡宮の支配下となったことなどの記録が残されています。どちらにしろ南北朝・室町期の館山平野には鎌倉公方の御料所が存在していたようです。

群房庄

応永三十年(1423)の『鎌倉御所持氏御教書』(極楽寺文書)の記述からは、安東郷朴谷村(大字宝貝字宝ヶ谷)が極楽寺宝塔院領であることがわかっています。その他、貞治四年(1365)に足利基氏が長田保西方円覚寺仏日庵に寄進、貞和四年(1348)には足利義詮が建長寺住職の竺仙梵僊の死去に際し、浄智寺楞伽院正木郷を寄進したという記録が残されています。

長田保西方

安房国分寺跡からも近い萱野からは鶴岡八幡宮・東勝寺・極楽寺・建長寺などの北条氏得宗家と繋がりのある寺院に限定される平瓦が出土しています。つまり周辺に得宗家と関係をもつ寺院のあったことが想定されます。ということで、こうした事例からも安房国にやぐらが造営される下地が十分にあったということがわかりました。次は実際にその安房国のやぐらの特徴について触れてみたいと思います。



房総・安房のやぐらの特徴① 古墳時代末期横穴墓の改変


房総・安房国のやぐらの特徴の一つとして、古墳時代末期横穴墓を改変したものが多いことが挙げられています。横穴古墳が後世にて改変されることは珍しいことではありませんし神奈川県でもみられる現象ですが、個人的には古墳時代の横穴なのかやぐらなのか判別しにくいものが多かったという印象が強く残っています。墓を新築できなかった理由として、単に経済的な問題かもしくは被葬者の階級が高くなかったなどの理由が考えれます。また南条八幡神社・稲村城などの城郭として使用されていた地域にあることが多かったため、合戦による一時的な、もしくは早急に墓を造営しなければいけなかった事情もあったのかもしれません。

南条八幡神社の横穴墓
稲村城の横穴墓
該当史跡関連記事:『南条八幡神社』『稲村城やぐら』『おくまんさま



房総・安房のやぐらの特徴② 羨道がない


房総・安房国のやぐらの特徴の二つ目として、羨道(入口から玄室に至るスペース)のないものが多かった、というより皆無だったことが挙げられます。風化したため羨道のあったことに気付けなかったという可能性もあるかもしれませんが、鎌倉にある羨道付きタイプのような明確な造作を確認することはできませんでした。羨道のないものは鎌倉のやぐらのセオリーに当てはめると室町期のものとなります。やぐらは時代が下るにつれ形状が簡素化していきます。このセオリーが安房にも当てはまるのであれば、安房のやぐらの造営時期は鎌倉の一般的なものより幾分下る可能性が考えられます。

真野寺やぐら 安房地方では美品の部類


房総・安房のやぐらの特徴③ 二対


房総・安房国のやぐらの特徴の三つ目は、やぐら、もしくはやぐら内に浮彫された石塔が二対であったという例が複数みられた点で、こちらも鎌倉ではあまりみられない特徴と云えるでしょう。鉈切洞穴にある二対のやぐらは長者夫婦の墓とも伝えられています。夫婦で仲良く墓所を同じくするという弔い方は現代人の、または庶民の感覚に近いように思われます。もし安房国各地にみられるこれら二対のやぐらと浮彫が夫婦のものなのであれば、被葬者は豪商や豪農など、一般庶民に近い人たちなのかもしれません。

船越鉈切神社内にあるやぐら
延命院やぐら
該当史跡関連記事:『鉈切洞穴』『小網寺・法華谷やぐら



房総・安房のやぐらの特徴④ 階段造作が多い


房総・安房国のやぐらの特徴の四つ目として、やぐらの前面に階段造作が施されているものが多かったことが挙げられます。階段付きのものは百八やぐらにもありますが、こちらも鎌倉ではあまりみられない造作です。ここで考えられるのは、上の項で安房国のやぐら造作に羨道がないと言及しましたが、もしかしたら安房国では階段造作が羨道の意味合いに当たるのかもしれません。もしくは墓前にて行われる供養のための造作などが考えられます。実際にも横穴は階段を必要とするような高い位置にある訳ではありませんでした。

真野寺の階段付きやぐら
安楽寺の階段付きやぐら
該当史跡関連記事:『真野大黒天・真野寺』『丸氏菩提寺・安楽寺』『洲崎神社・養老寺』『明星山城と加茂坂



房総・安房のやぐらの特徴番外編 技法に劣る


房総・安房国のやぐらの特徴番外編として、浮彫造作にみられる技法が鎌倉のそれより数段劣っていた印象が挙げられます。鎌倉のやぐらにある浮彫を写実的だとすると、こちら安房地方のものは子供の絵レベルと評するしかありません。やはりいつの時代も一流の職人や商売人などは都市部に集まるものなのでしょうか。しかし一方で旧朝夷郡に所在する正文寺のやぐらにある浮彫は安房地方にしてはなかなかの逸品であったことも確かなので、この辺りの事情はよくわかりません。正文寺は日蓮宗ですがもとは禅宗寺院だったと云われているので、もしかしたら宗派にも関係するのかもしれません。

千手院やぐらの浮彫
正文寺やぐらの浮彫
該当史跡関連記事:『安東千手院やぐら群』『正木氏菩提寺・正文寺



房総・安房の特殊なやぐら


次に房総・安房にある鎌倉ではなかなか見ることもないであろう特殊型を紹介します。まずは、富津市数馬区にある岩谷観音堂は古墳時代末期横穴墓を改変したものに分類されますが、改変するにも程があるという点において特筆すべき形態と云えるでしょう。横穴と横穴を繋げ空間を拡大し回廊を設けさらに浮彫を施したその様相は、あたかも横穴アミューズメントパークと表現したくもなります。アパートという表現もありかもしれませんが、鎌倉の浄光明寺や東林寺跡にアパート式やぐらがあるので避けました。また岩谷観音堂が所在する地は厳密には旧安房国圏内ではなく旧上総国圏内となります。

岩谷観音堂

次は館山市安東にある千手院です。やぐらそのものがお堂となっています。鎌倉にも朱だるぎやぐらなどの特殊な存在が確認されていますが、やぐらがお堂そのものであるという点においては鎌倉では見られない形態ではないでしょうか。鎌倉都市部のように、大檀那のいない地方都市では予算的な関係からも、やぐらごとお堂にしてしまおうという発想が生まれたのかもしれません。但し厳密にいうとやぐらではなく窟堂とか岩屋と呼ばれるジャンルに分類されるのかもしれません。

千手院
該当史跡関連記事:『岩谷観音堂』『安東千手院やぐら群



まとめ


ということで房総半島のやぐらを鎌倉のものと比較した場合、①古墳時代末期横穴墓を改変したものが多かった。②羨道がない。③二対が存在する。④階段造作が多い、といった違いがみられました。その他、若干サイズが小さめであり、また若干浮彫などの技法が劣るといった点が印象に残りました。

そして何よりも驚いたのは、房総半島でのやぐらの浸透率です。普通に道端にあったり、また開創時期などの縁起もよくわからないような限られた地域のお堂にやぐら群が存在していたこともありました。

南台地蔵堂

また、やぐらではないものの、池を祀る小浦弁財天、ヒカリモを祀る黄金井戸、その他、摩崖仏を岩屋形式で祀る崖観音や舎那院など、房総半島では多様な横穴造作をみることができました。房総半島での横穴に祀る風習は単に鎌倉寺院の影響を受けたというような雰囲気には感じられず、そもそもこちらにもそうした風習が元々あったのではないかと考えさせられるほどでした。

黄金井戸

房総半島の歴史を調べていくと、相模国の特に三浦半島と歴史や文化を共有していたことがわかります。現在の東京や神奈川の人たちからすると、房総半島と海で隔てられていると感じてしまう人が多いと思いますが、昔は水運が当たり前の交通手段だったので、当時は逆に神奈川(東京も)と千葉の人たちはお互いの距離感をもっと近くに感じていたのかもしれません。房総のやぐらや岩屋などの横穴造作を見てそう思わずにはいられませんでした。

海ほたるから眺めた東京湾
該当史跡関連記事:『ヒカリモ黄金井戸』『鯨塚と大黒山』『崖観音・大福寺』『光明院・地蔵堂跡』『大日山・舎那院

参考資料
〇館山市教育委員会『稲村城跡』
たてやまフィールドミュージアム
安房文化遺産フォーラム
南房総いいとこどり



カテゴリー 鎌倉遺構探索事典
記事作成  2019年1月1日

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