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出世観音立国寺

2019/04/22

市原市 寺院

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出世観音立国寺



養老山立国寺は、出世観音とも呼ばれ、立身出世を願う者にはその願いを成就してくれると云われています。そんなパワースポットがあることを教えてもらったので、調べてみると、縁起に源頼朝も訪れたとありました。これは行かずにはいられませんね。ということでちょっと房総半島まで行ってきました。

基本情報

山号寺号 :養老山立国寺
住所   :千葉県市原市戸面401
駐車場  :なし
拝観料  :なし

立国寺周辺


立国寺は千葉県大多喜町にある養老渓谷沿いに位置します。ちなみにこの辺りは市原市と大多喜町の境となっているため、立国寺は市原市に所在するというややこしい事情となっています。養老渓谷は紅葉や温泉で有名なのでご存知の方も多いかもしれません。周辺にはキャンプ場などもあってアウトドアやハイキング目的で訪れる人も多いようです。史跡だけでなく自然も楽しめるまさに鎌倉遺構探索好みのロケーション。また意外にも、都内からアクアライン・圏央道を経て一時間弱程度の時間でアクセスできてしまいます。

Google map 立国寺
①やぐら ②立国寺 ③トンネル ④弘文洞跡

立国寺


廃墟となった宿も目立つ寂れた温泉街の近くに立国寺はありました。でも個人的には山奥にひっそりと佇んでいるのかと思っていたので逆に開けた印象です。温泉街沿いを通る街道から養老川を渡る観音橋を伝って立国寺に向かいます。

立国寺周辺の温泉街
養老川と観音橋

参道はハイキングコースのような雰囲気で、途中にはトンネルがあったりもしました。それにしても、お寺って住職によって個性が出ますよね、立国寺の住職は説教したがりなのかもしれません。有難いお言葉の書かれた看板がいくつも道沿いに掲げられていました。

参道
まさかのトンネル

丘陵中腹の平場に到着。広めの敷地に本堂があって、そしてなんと、まだ桜が咲いています。ちなみにこの日は18日、都内だとほぼ散っているのに。なんか出世観音に出迎えられた気がします。これは脈ありかも(笑)

立国寺本堂
立国寺本堂

何はともあれ、自身の立身出世の願いを伝えてきました。

立国寺本堂
まさに出世して金持ちになれそうな金ピカの出世観音像

境内には桜の他、芽吹いたばかりの新緑の景色が。

絶妙に素敵な色合い
新緑のもみじ

丘陵は本堂のある平場を囲むように深く削られていて、その端にある削り残し部分からちょっと登ってみました。本堂を直下に丘陵頂部から周辺を見渡せます。

立国寺周辺の景色

弘文洞跡


さて、立国寺からも近い場所に弘文洞なる洞窟を思わせる観光スポットが地図に記されていたので行ってみました。立国寺は橋で養老川を渡りましたが、今度はトンネルで渓谷沿いに出ます。このトンネルがまた怪しい雰囲気で素敵です。

トンネル

養老川沿いがこれまた素晴らしい。新緑と透き通るようなキレイな川の水に癒されます。紅葉の名所だと云われていますが確かにそうみたいです。でも個人的には新緑が好きなのでこれで満足。

養老川
養老川
養老川

さて、弘文洞に到着。「どこが洞なのか?」と思ったのでその場で調べてみたところ、大多喜町のHPによれば、耕地を開拓するため、養老川の支流・蕪来川を川まわしして造った隧道があったことは確かなようなのですが、昭和54年に天井部分が崩落してしまったそうです。確かに、観光マップにもグーグルマップにもよ~く見ると弘文洞跡と、跡の字がちゃんと付いています。

弘文洞跡 養老川の支流・蕪来川

粟又の滝


次に向かう三石山へのルートから少しだけ外れるだけなので粟又の滝という場所にも行ってみました。立国寺から大よそ4km程なので車ならすぐです。想像していた景色とは違い、ゴムボードで滑って遊んだら楽しそうな形状をしている滝でした。

粟又の滝

ということで、立国寺は立身出世の願いを聞いてくれるだけでなく、周辺では雄大な自然も満喫できるという素敵な場所でした。

立国寺の縁起とやぐら


立国寺から数百メートル離れた街道沿いに風化したものも含め”やぐら”(中世の横穴墓)が数基ありました。鎌倉限定の葬送文化である”やぐら”が房総半島にも展開されていたことは昨年の房総半島編で十分理解していましたが、房総半島での”やぐら”の浸透率の高さに毎度驚かされます。立国寺には歴史を感じさせる古い石造物など一切ありませんでしたが、”やぐら”の存在からも、周辺には鎌倉寺社の影響下にあった寺院が元々あったのかもしれません。

立国寺の近くにあったやぐら

困ったことに立国寺の詳しい縁起が見つかりません。頼みの立国寺でさえ、石橋山の合戦から逃れてきた源頼朝が立国寺のある山谷に篭り自身の観音像を奉祭し祈願していたとしか記されていません。また頼朝持参の観音像とありますが、頼朝は自身の観音像を湯河原に置いてきてしまったことが吾妻鏡の記述からもわかります。

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