清澄山〈清澄寺〉
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清澄山・清澄寺
今回は房総三山に数えられる名山・清澄山にある清澄寺に行ってきました。清澄寺は日蓮が出家・得度したお寺として周知されているのでご存知の方も多いでしょう。そしてさらに、ここには天富神社という忌部系の神社が鎮座していました。ということは、この山にはとてつもない深い歴史があるということになります。
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Google map 房総半島 ①御宿 ②勝浦 ③小湊 ④天津 ⑤鴨川 ⑥清澄山 |
妙見山・清澄山・元清澄山
コトバンクによれば、清澄山は地塁性丘陵の総称で妙見山が最高峰(標高377m)だとありました。専門用語がよくわかりませんが、妙見山など周辺の峰をまとめて清澄山と呼ぶものと思われます。
また下地図画像で示したとおり、元清澄山が気になるところですが、清澄寺が元々はそちらにあったことから元清澄山と呼ばれているそうです。但し、清澄寺がいつ現在地に移転してきたのかはわかっていないようです。オフィシャルHPもなぜかそのことには触れていません。もし日蓮が得度した場所が元清澄山の方であったなら、境内にある日蓮所縁の観光名所が全て台無しになってしまいますからね。
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Google Earth 清澄寺 |
歌川広重が清澄寺から見た景色を描いています。料理茶屋まであります。当時から既に観光地として賑わっていたことが伝わってくるようです。それにしても、昔はここに登って来るだけでも大変だったと思います。でも現代では現代なりの苦労があって、東京の人は帰り道で必ずアクアラインの渋滞に巻き込まれなければならないという過酷な状況が待ち構えています。
歌川広重の描いた安房清住山 |
清澄山
さて、この日は鴨川の天津から清澄寺に向かいました。この先に清澄寺があるとわかっているからかもしれませんが、でもそれでも、山の雰囲気や空気がどこか違うように感じました。凄いお寺や神社に行くと急に空気が変わるじゃないですか、そんな雰囲気が山全体にあるように感じました。
清澄山登山道 |
清澄山からの景色 |
ちなみに天津から清澄寺に向かう南側のルートはあまり問題ありませんが、清澄寺の北側ルートは、かなり長い区間で対向車とすれ違うには厄介で険しい道が続きます。首都圏の整然とした環境でしか車の運転をしてない人にはちょっと厳しいかもしれません。
清澄寺
清澄寺に到着。この日はスケジュールが遅れたので閉門時間に到着してしまいましたが、閉門時間になっても門を閉めるようなことはありませんとオフィシャルHPにあったので向かってみました。失礼な話、あの広重の絵に描かれた茶屋とは違い、寂れたお土産屋が数軒並んでいました。
お土産屋と白装束の方々 |
境内及び周辺は白装束の人ばかり、まさかこの格好をしないと拝観できないのかと一瞬不安になりましたが、普通の格好をした人を見かけたので一安心。この方たちは修行でもされているんでしょうかね。そして仁王門を通り境内へ。
仁王門 |
さすが日蓮宗大本山。本堂・祖師堂が豪華です。そしてこのいかにも日蓮宗といった雰囲気。
本堂 |
祖師堂 |
宝物殿前にあるこちらは応永14年(1407)の銘が刻まれた宝篋印塔と明徳三年(1382)の梵鐘です。
宝篋印塔と梵鐘 |
境内を奥に行くと、慈覚大師円仁や日蓮が修行の場とした練行場や日蓮が初めてお題目を唱えた旭が森などがあります。
練行場 |
旭が森の日蓮像 |
こちらは樹齢800年とも1000年とも云われる清澄の大杉・千年杉です。太さ15m、高さ47mもある巨木・霊木です。この迫力、もちろん画像だと伝わらないと思いますけど。
千年杉 |
千光山清澄寺縁起
清澄寺は、宝亀二年(771)に不思議法師が虚空蔵菩薩を祀ったことに始まるとされています。のちに承和三年(836)に慈覚大師円仁によって再興されたことから山岳信仰の霊地として栄えていきます。
清澄寺は日蓮が出家・得度したお寺として知られていますが、当時は天台宗だったと云われています。また鎌倉時代末期には金沢称名寺の影響で真言律宗に属したとされ、近世以降は真言宗智山派に改宗します。そして日蓮宗大本山として知られる清澄寺が日蓮宗になったのは、なんと、昭和24年のことなんだそうです。お寺の古い歴史からすればつい最近のことのようです。
旭が森から見た清澄八山の景色 天台宗時代は山岳信仰としてこれらの山々をめぐっていたと云う |
天富神社
蔵三権現堂入口から丘陵を登ると、まさかの”やぐら”(中世の横穴墓)がありました。上記したように、清澄寺は金沢称名寺の影響下に入った時期があったので、そのときの名残りなのかもしれません。もしかしたら、古墳時代末期横穴墓かもしれませんが、それにしてはサイズが小さすぎると感じました。
清澄寺やぐら群 |
そしてさらに、天富命を祭神とする天富神社がありました。こんなところにも忌部系の神社があるとは思いもよらずビックリ。ということは、この山の歴史はとてつもなく古く、そして何かとてつもなく重要な場所であったことがうかがえます。
天富神社 |
天富神社から景色が望めます。関東の富士見100景に選ばれている景勝地なんだそうです。しかし、この日は快晴だったものの途中から雲が出てきてさらに若干霧がかっているというタイミングの悪さ。もちろん富士山など見えませんが、海が確認できます。さらに海上の左寄りに仁右衛門島がわずかに見えます。天気が良ければ上で紹介した広重の絵のような景色が拡がるのだと思います。
富士見100景の景色・・ |
天富命に率いられた阿波(徳島県)の忌部族は、朝廷の祭祀を担当し、天皇が即位する大嘗祭では、麻布や木綿(麁服:あらたえ)を献上していました。そんな彼らが房総の地に訪れ麻や綿を植えていたのが麻綿原(まめんばら)の地でした。
その麻綿原がここからハイキングコースを経て向かえるほど近い距離にあります。そこにこの天富神社がある訳ですから、それは彼らの拠点がここにあった痕跡なのかもしれません。
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Google map 清澄山 ①清澄寺 ②麻綿原 ③三石山 ④元清澄山 |
そういえばもうすぐ元号が令和となり(現在2019年4月29日)、新天皇が即位されますが、現代においても大嘗祭で麁服(あらたえ)を調進するのは阿波忌部族末裔の三木家の役目だとどこかで聞いた覚えがあります。その三木さんがTVニュースなどで取り上げられたら面白いですね。
清澄山の星神信仰
本堂の裏山にある妙見堂には北辰妙見大菩薩が祀られています。妙見大菩薩は北極星、そして不思議法師が祀った虚空蔵菩薩は明星天子とも云われ、つまり金星を神格化したものになります。ここにきていきなり清澄山が星神の信仰の場であった側面がみえてきました。これは何を意味するのでしょうか。これにも忌部族が関わっているのでしょうか。どちらにしろ、清澄山には清澄寺の歴史を遥かに遡る歴史があるようです。
本堂の奥が妙見山 右手前が千年杉 |
また再度訪れることができる機会があれば、麻綿原へのハイキングも含め清澄山にあった山岳信仰の痕跡を体感してみたいと思いました。
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