三浦義村が奉幣使として訪れた天津神明宮
今回は房総半島の東海岸にある天津に向かいました。ここ天津にある神明宮には、北条政子安産祈願のための奉幣使として三浦義村が訪れています。そんなことから機会があれば立ち寄ってみたいと思っていました。しかも調べてみると思ってた以上に歴史の古い神社でした。
基本情報
名称 :天津神明宮住所 :千葉県鴨川市天津2950
駐車場 :有り
天津神明宮の凄いところ
本題に入る前に天津神明宮の凄いところを説明したいと思います。まず上記したように、御台所政子の安産祈願のための奉幣使として三浦義村が天津神明宮に訪れたことが『吾妻鏡』壽永元年(1182)8月11日条に記されています。これは三浦義村だけでなく、主だった御家人らが各国各地の神社にそれぞれが向かっています。以下はその神社名とそこに向かった御家人の名です。
伊豆山神社 土肥弥太郎遠平
箱根神社 佐野太郎基綱
寒川神社 梶原平次景高
十二所神社 三浦十郎義連
大国魂神社 葛西三郎淸重
鹿島神宮 小栗十郎重成
玉前神社 上総小權介良常
香取神宮 千葉小太郎成胤
天津神明宮 三浦平六義村
洲崎神社 安西三郎景益
有名な神社ばかりですね。失礼な話、天津神明宮と聞いてもあまりピンときませんが、こうして御家人の代表らが向かった先の錚々たる神社と共に列せられると、天津神明宮の格式や当時の評価がいかに高かったかということがわかると思います。それでは、天津神明宮の凄いところがわかったところで行ってみましょう。
天津神明宮
天津神明宮の立派な一の鳥居です。なぜか向こうに何も見えませんが気のせいでしょうか、とりあえず鳥居をくぐってみようと思います。
神明宮一の鳥居 |
やっぱりくぐっても何もない・・「ええっ~」。
鳥居をくぐると・・ |
少し進んだところ、左手に外房線の陸橋が現れました。これも鳥居みたいなものだと思いくぐってみることにしました。
左折すると陸橋 |
するとようやく神明宮が現れました。これはですね、境内に外房線の線路が通っているためこのようなことになったしまったようです。一の鳥居から曲がったはずですが、地図を見ると、線路を挟んでいるものの、実際は参道が一直線に伸びていることがわかります。この日、御宿の最明寺というお寺にも行ってきましたが、そちらも境内に線路を通されていました。外房線沿いを南下してきたのだということがこのとき実感できました。
天津神明宮 |
Google map 天津神明宮 ①一の鳥居 ②二の鳥居 ③三の鳥居 ④社殿 |
天津神明宮縁起
天津神明宮は、事代主神が海路で当地に訪れ東方鎮護の神として鎮座したことから、庤(もうけ)明神として祀られたことに始まります。のちに源頼朝が伊勢より神霊を勧請し、庤明神と共に祀られることになりました。祭神は、天照皇大神・豊受大神・八重事代主神・大山大神など七柱を合祀しています。
天津神明宮 |
こちらは”まるばちしゃ”の木といって、基本的に中国南部や台湾などの南に生息しているそうです。そしてここ天津がその生息地の北限だとありました。
まるばちしゃの木 |
諾冉神社
裏山に行けるようなのでちょっと登ってみることに。地図に諾冉(なぎなみ)神社とあったのでその参道だと思います。下画像は序盤の緩やかな道ですが、すぐに息が切れるほど勾配が急になりました。現代の感覚で施す勾配でありません。ということは、かなり昔からある登頂路をそのまま使っているのだと思います。
諾冉神社への道 |
厳しい勾配を登り終えると小さな平場に小さな社殿。こちらが諾冉神社です。
諾冉神社 |
ここから景色が開けます。天津の街並みに外房の海など、色々と一望できます。天津は海からいきなり山となる、平地が極端に少ない地形であることが地図を見てもわかりますが、本当にそうなんだということが実感できる景色です。
諾冉神社からの景色 |
また外房線! |
諾冉神社には伊邪那岐大神(イザナギ)と伊邪那美大神(イザナミ)が祀られています。ところで、帰ってから天津神明宮を調べていたら、ここ諾冉神社は「原則的に平素は特別に許しを得ないと登拝できません」とオフィシャルHPにありました。特別に道を塞ぐものもなかったので気付きませんでした。ごめんなさい。
神奈備山
神話の時代からある古式神社は大抵山容の整った神奈備山に鎮座していることが少なくありません。ここ天津神明宮の裏山は神奈備山とまではいきませんが、端正な様相をしています。
天津神明宮の裏山 |
周辺を見渡すと近くの山も「あともう少しで神奈備山の形なのに」といった惜しい姿をしていました。
神明宮近くの山 |
こちらなんか十分な素質を持っているのに、上から踏みつぶされたかのような形になってしまっています。残念。
神明宮近くの山 |
天津神明宮と庤神社の謎
上記したように、天津神明宮は元々は庤明神であったと縁起にありましたが、ここからも近い鴨川市西町にも庤神社があります。ここで今さらですが実は吾妻鏡は天津神明宮を天津神明宮ではなく東条庤と記しています。ちなみに東条とは鴨川の地名です。そして庤神社のある西町に東条という地名が残されています。このことから、吾妻鏡にある東条庤とは、天津神明宮と西町庤神社のどちらなのかという点が未だ論争の的になっています。
ちょうど見頃 |
天津神明宮の鎮座する山は完璧な神奈備山型をしていませんが、神奈備山の概念に沿う山だと個人的には思います。このことから、吾妻鏡にある東条庤が天津神明宮と西町庤神社のどちらなのかといった点にまでは言及できませんが、天津神明宮が神奈備山に鎮座することから、天津神明宮は少なくとも古代からそこにある神域で、後世にて分霊されたような存在ではないと考えます。
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