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御宿最明寺やぐら群

2019/05/01

やぐら 御宿町 寺院

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御宿最明寺やぐら群



以前にアップした『最明寺大日洞やぐら群』の記事では、御宿最明寺を中心に取り上げましたが、隣接する妙音寺・観音寺にあるやぐら群などをスペースの関係であまり紹介できなかったので、今回は改めて最明寺を含む妙音寺・観音寺にある御宿のやぐら群を中心に記事を作成してみました。

御宿町須賀


今回紹介するやぐら群は、房総半島の東海岸に位置する御宿町の須賀に所在しています。須賀(スガ)は横須賀(ヨコスカ)などと同じく鉄に関する地名です。また御宿という地名の由来は、北条時頼がここ最明寺に宿泊したことに因みます。そこにやぐら群が造営されています。房総にやぐらがあるということは、館山市にある寺院の例からも、この地域が一時的にも鎌倉寺社の影響下にあったと考えるのが妥当かと思われます。安房国(鋸南町・館山市・南房総市・一部を除く鴨川市)では、主に臨済宗円覚寺派をはじめとする禅宗や、極楽寺・称名寺などの関東律宗が進出していました。

地理院地図 御宿町須賀
①最明寺 ②妙音寺 ③観音寺

北条時頼には諸国を行脚したと云う時頼廻国伝説が残されています。執権であり、また晩年には体調を崩していた彼にそんなことができるはずはないと普通は考えますが、ここ御宿が鎌倉寺社の影響下にあったことや、須賀という鉄の匂いがする地名の事情などを踏まえると、時頼、もしくは時頼に近い身分の者がわざわざ鎌倉から訪れても不思議ではないのかもしれません。

最明寺から見える景色

最明寺から少し北にある造式という土地には、源頼朝の命で梶原景時に誅殺された上総広常が館を構えていたと云われています。

最明寺


それでは、御宿町須賀にあるやぐら群のまずは最明寺です。とその前に、最明寺の縁起に少しだけ触れてみましょう。岩井山最明寺は、弘仁十三年(822)の開創で天台宗です。上記したように鎌倉期に北条時頼が宿泊したと伝わっており、また海からも近いため、元禄16年(1703)の大津波で本堂や庫裏が流されてしまったそうです。裏山には観音堂や三峰神社があり、その他にも展望台などが用意されていて、ちょっとしたハイキング気分を味わえます。

最明寺
関連記事:『最明寺大日洞やぐら群

最明寺やぐら群


最明寺では、改変型の大日洞に加え、風化したものや不明なものも含めると、6~7基の横穴が確認できます。なかでも大日洞と命名されたこちら下画像のやぐらは、従来の入口を塞ぎ、別方向から隧道で繋いだものです。大日さまと観音さまが祀られています。館山の安東千手院や真鶴にある如来寺跡のように、やぐら自体にお堂もしくは伽藍を形成した世界観を表したものだと思われます。

大日洞入口
大日洞

連なる丘陵にやぐら群が存在します。ちょうど墓苑の裏手となります。二基の明確な横穴の他、サイズの小さいもの、風化したものなどが確認できます。

最明寺やぐら群
最明寺やぐら群

明確な横穴二基のうち、こちら下画像のものは興味深い形状をしています。入口幅に対して玄室の幅が異様に広く、鎌倉でもさすがにここまでのタイプのものを見たことがありません。あまりにも形状がおかしいので、念のためお寺の方にうかがいましたが、やぐらで間違いないようです。もしくは、これも大日洞のように、墓というより、伽藍設備を兼ねたやぐらだったのではないかと想像が膨らみます。

最明寺やぐら群
最明寺やぐら群
玄室

一方で本堂裏手の丘陵部には、これまたやぐらとは言い難い形状の横穴があり、さらに庭園でも施されていたかのような、景石と落葉植物の造作が一部でみられます。以前は池があって、横穴に何かしら仏像を祀っていたのではないでしょうか。細長い横穴なので仏像を安置するのにちょうど良い形状です。

本堂裏手にある横穴
本堂裏手の造作

妙音寺やぐら群


それでは、最明寺に隣接する月光山妙音寺に向かいます。こちらの詳しい縁起がわかりません。最明寺同様天台宗で、また堂内にある本尊は室町時代末期頃の制作だと云われています。「地方仏師の作とは思えず形がよく整っている」と、御宿町オフィシャルHPが自画自賛する逸品です。

妙音寺
妙音寺木像阿弥陀如来坐像

妙音寺本堂裏に一段高い平場があり墓地となっています。丘陵は既に崩落防止のためコンクリートで固められていますが、鎌倉周辺でもみられるような、丘陵壁面の形状をそのままコンクリート化したものなので、やぐらだったのであろう造作が確認できます。実際にもコンクリート化されてない部分にもやぐらをみることができたので、これらが元々やぐらだったことは間違いないと思われます。こちらでは10基ほど確認することができます。

妙音寺やぐら群
妙音寺やぐら群
コンクリート化されていない丘陵部壁面造作

墓地から境内を直下に周辺を見渡せます。海が見えます。そして外房線線路がいかに近くを通っているかが伝わるかと思います。ご覧のように線路は地上階からの景色を全て遮断するような高さにあります。ここで思いましたが、最明寺の津波の被害に遭った歴史からも、この線路、もしかしたら防波堤の役割もあるのかと思いました。そうだとしたら、まぁ線路より海側の人には申し訳ないけど・・ってことになるんですかね。

妙音寺からの景色

観音寺やぐら群


妙音寺からさらに奥に行くとあるのが観音寺です。こちらは無住のようで、たぶん妙音寺が管理しているものと思われます。小さなお堂があって、江戸時代中期に制作された木像阿弥陀如来坐像が安置されています。

観音寺
観音寺木像阿弥陀如来坐像

お堂の一段高い所に平場があり、丘陵部に風化したものも含め数基のやぐらが確認できます。

観音寺丘陵壁面
観音寺やぐら
観音寺丘陵壁面造作

観音寺からも海が見えます。がしかし、それよりも線路がとても近いことが気になります・・。最明寺から妙音寺・観音寺と、段々と線路との距離が圧迫されてくるんです。

線路が近すぎる観音寺からの景色

房総半島にある寺院は、鎌倉寺社の影響を受けていることが多いので、どの鎌倉寺社と関係があったのかを調べるのも面白いと思います。しかし最明寺は、上記したように、津波で本堂や庫裏を流された過去があるので、そのときに貴重な資料も失われたのでしょう、鎌倉とどのような繋がりがあったのかはよくわかりません。また北条時頼本人が本当にここに訪れたかどうは別として、時頼廻国伝説がこの地にあるということは、最明寺のあるここ須賀周辺が得宗家直轄の地であったからなのかもしれません。

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