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最明寺大日洞やぐら群

2019/04/25

やぐら 御宿町 寺院

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〈最明寺〉大日洞やぐら群


御宿


今回は房総半島東海岸の御宿にある最明寺に行ってきました。大日洞という洞窟のような横穴があるということで訪れてみたところ、それだけにとどまらず、最明寺に隣接するお寺までの広範囲に大量の”やぐら”群を発見するという、思ってもみなかった収穫に恵まれました。ということで、今回は久しぶりの鎌倉遺構探索らしい体験に感激編です。

Google map 房総半島
①御宿 ②勝浦 ③小湊 ④天津 ⑤鴨川

北条時頼と最明寺


鎌倉の山ノ内(明月谷)に北条時頼が開いた最明寺(廃寺)があったことから、時頼は晩年に最明寺入道と呼ばれていました。明月院に時頼の墓塔があるのは明月院が最明寺の跡地だったことに因みます。関東では川越・足柄・伊豆などに最明寺を号する寺院が存在しますが、それら全ての縁起に北条時頼が登場します。そしてここ御宿の最明寺も例外ではありません。寺伝によれば1256~1263年頃に北条時頼がここに宿泊したとありました。また余談として、御宿という地名は北条時頼が宿泊したことによって付いた地名だと云われています。

地理院地図 御宿
①最明寺 ②妙音寺 ③観音寺

御宿最明寺は海からも近いため、元禄16年(1703)の大津波で本堂や庫裏が流されてしまうというアクシデントに見舞われます。また上地図画像を見てもわかるように、外房線線路がすぐ目の前を通っています。以前は山門がその辺りにあったということで、境内敷地を削られるという、こちらもある意味アクシデントに見舞われた事態だったのかもしれません。

最明寺前を通る外房線

岩井山最明寺


最明寺境内です。本堂の向拝は房総では有名な波の伊八(武志伊八郎信由)とのこと。そして最明寺と号するから北条時頼の時代に建立されたのかと思いきや、弘仁十三年(822)開創と、結構歴史のあるお寺なんです。そして天台宗です。

最明寺
本堂向拝

大日洞


さて、最明寺のメインイベント、本堂の奥に「大日洞」と記された洞窟があります。薄暗い通路を進むと広めのスペースが広がり、大日さまと観音さまが祀られています。

大日洞入口
大日洞
大日洞
大日さま

大日さまが安置されているこちらのスペースにも出入口があります。但しコンクリートで半分塞がれているので実際には出入りはできません。元々あった”やぐら”に別の出入り口を掘削したのが大日洞の正体ではないでしょうか。ですからこの下画像の穴が本来のこのやぐらの出入り口なのでしょう。

大日洞(やぐら)本来の出入り口

それにしてもこの”やぐら”、とってもサイズが大きいです。天井も4~5mはありそうです。後世にて改変した可能性はあるものの、天井部分に杭を嵌める穴が確認できます。造営当時からのものかもしれません。

大日洞天井部分の造作

最明寺やぐら群


大日洞が”やぐら”であることが確信できたので、連なる丘陵に他の”やぐら”もあるのではないかと思い、裏側に回ってみると、ありました、名付けて最明寺やぐら群です。

最明寺やぐら

二基の明確な横穴と風化したものが数基あります。それにしてもこちらもサイズが大きめです。また通常のやぐらは玄室の幅が羨道である入口幅を大きく超えることはあまりないのですが、こちらの”やぐら”はちょっと規格外です。防空壕の類かもしれないと不安に思い、お寺の方に聞いてみると、なんと、やぐらであることは間違いないのですが、こちらのやぐら群、昨年(2018)に出土したばかりとのことで、しかも土砂崩れによって偶然現れたそうです。

最明寺やぐら
最明寺やぐら

房総半島では形状が独自に変化しています。館山のやぐらは小ぶりでしたが、房総の東側及び上総地方では比較的サイズが大きくなることが顕著に表れています。それが地域による違いなのか時代なのかはよくわかりません。

最明寺裏山


房総半島のしかも東側でやぐらを発見するという思わぬ収穫に喜びを隠せませんが、最明寺の魅力はこれだけではありません。裏山に登れるんです。観音堂や三峰神社などがあるそうです。ピクニック気分で行ってみたいと思います。

最明寺裏山
最明寺裏山
観音堂
三峰神社

丘陵中腹にある観音堂からさらに進むと見晴台が用意されていました。お寺の正面方向にある海と背後の丘陵など広範囲を見渡せます。素晴らしい。

最明寺裏山からの景色
最明寺裏山からの景色

上画像の掘割状の規模が大きくて迫力があります。現代で掘り割ったのでしょうか、元々あのような峠状だったのでしょうか。さらに三峰神社を奥に行くと、堀切状地形などの怪しい造作が現れます。

堀切状地形

これら裏山の造作から、最明寺は城だったのではないかという説もあるようですが、平場・堀切・帯曲輪状などの造作が全て小さくてしかも貧弱です。最明寺は天台宗なので、もしかしたら修験道に関する造作である可能性が考えられるかもしれません。何かあったとしても監視施設ぐらいでしょう。往時では最明寺も律宗極楽寺のように漁業権や関銭徴収などの利権を有していたのではないでしょうか。ここから海も街道も見渡せる展望の良さがそれを物語っているような気がします。しかも北条時頼が立ち寄るぐらいですから。

さらに”やぐら”発見


地図を見ると最明寺が背にする丘陵沿いに妙音寺と観音寺というお寺が近接しています。鎌倉ではお寺が違えど同じ丘陵を背にしていればやぐらも続いています。これは怪しいと思ったので向かってみると、やっぱりやぐらがありました。この地域全体にやぐら文化が定着していたようです。

妙音寺のやぐら
観音寺のやぐら

妙音寺の鐘楼が高い位置にあったのが印象的でした。上記したように、最明寺が津波で壊滅してしまった過去があるので、こちらでもそうした兼ね合いがあるのかもしれません。また線路が目の前まで迫っている圧迫感も見逃せません。

海を見渡せる位置にある妙音寺の鐘楼

妙音寺にも観音寺にも室町期の阿弥陀像が安置されていましたが、それよりも妙音寺の門前に野ざらしとなっていた観音さまの端正なルックスに惹かれました。

妙音寺の観音さま

ということで、今回は大日洞という面白い改変型やぐらに加え、多くのやぐら群を目にすることができました。また裏山に登れてしかも見晴らしまで堪能できるというところも良かったです。さらに、裏山の地形造作やお隣の妙音寺や観音寺の画像がもっとあるのですが、今回はボリュームが凄かったので泣く泣く割愛しました。まぁそれだけ魅力の詰まった場所だったということです。

やぐらをバックに来迎観音さま

※追記:こちらの記事『御宿最明寺やぐら群』で最明寺・妙音寺・観音寺のやぐら群を詳しくまとめました。

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