大山古道~実朝首塚ハイキングコース
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大山古道~実朝首塚ハイキングコース |
今回は、伊勢原市の大山から大山古道を通って秦野市に入り、源実朝公首塚や波多野城跡などに立ち寄り、最後に弘法山公園に訪れた記録です。グーグルマップのタイムラインによれば、総歩行距離が15.7km、歩行時間は3時間27分。また地理院地図によれば、最も標高の高い地点が大よそ418mとのこと。けっこう壮大な道のりでしたが、ほぼ初めて訪れたエリアだったため新鮮で楽しめました。そしてなんといっても、山稜に囲まれた景色と、森林の中で過ごす一日が何にも代えがたい癒しであり、また幸せな時間でもありました。
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Google map 大山古道
①伊勢原駅 ②バス停大山ケーブル ③イヨリ峠 ④源実朝公首塚 ⑤弘法山公園 ⑥東海大学前駅 |
今回は、特にボリュームが凄いので、大山古道から源実朝公首塚までの前半の行程をお伝えします。大山古道は、糟屋庄や秦野庄の住人が使っていた生活道路であり、またいくつもの峠道ともアクセスできるため、大山参詣のための道でもあったのでしょう。しかもこの辺りの地理・地形を知ると、意外に便利な道であることがわかるので、旧道ではなく本当に古道なのかもしれません。
大山
伊勢原駅からバスに乗って終点の大山ケーブルへ向かいます。バスが大山に徐々に近づいていく感じはまさにアミューズメントパーク大山。
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大山にキタ~! |
バス停大山ケーブルから、周りの人たちの「ここまで来て大山登山以外ナニするの」といった視線を浴びながら、大山に向かわず戻るように進みました。心地良い景色に囲まれながら、大山寺を開いた良弁が修行をしていたという良弁滝、愛宕滝、そして旧道へと立ち寄りました。
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参道を振り返ったところ |
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良弁橋 |
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良弁滝 |
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旧道 |
大山古道
阿夫利林道に入ります。観音寺旧跡・来迎院などが所在しています。伊勢原市まで来て底面がコンクリート舗装されていることにガッカリ・・と言いたいところですが、以前に日向山ハイキングでその辺りの事情はわかっていたので、だいたいそんなことだろうと予測していました。今回は諦めがつきます。
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阿夫利林道 |
しばらくすると舗装道路とは別に大山古道を示す案内板と共に旧態地形が現れます。もちろんそちらに進みます。大山古道は、伊勢原市~秦野市間を往来します。我々現代人の感覚だと、いったん平野部に出て移動することを考えますが、いえいえ、昔の人は「山を越えちゃえばいいじゃん」って歩いていたのでしょうね。
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大山古道 |
ここ最近の台風・大雨でこの掘割道を雨水が流れていたのでしょう。思っていた以上に足場が悪い状態です。
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大山古道 |
坂道に次ぐ坂道で、さらに傾斜のある坂道が現れました。案内板によればイヨリ峠まであと1.2kmとのこと。そしてここで今さら気付きましたが、禊の滝に寄るつもりだったのにもうとっくに過ぎているようです。たぶん古道沿いではなくコンクリート舗装された道沿いにあるのかもしれません。ちょっと案内板が不親切。
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しばらく登り道 |
ふと、アゲハ蝶の羽部分に文字のような模様が見えたので、気のせいかと思っていましたが、今こうしてパソコンで画像を見てみると、やっぱり本当に文字でした。「NMB・VIB・9/20」と書いてあるようです。誰かのイタズラ、もしくは何かの生体実験でしょうか。
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アゲハ蝶 |
旧態地形がひとまず終わり、また舗装道路に出ました。「せっかくこんなところまで来ているのだから土の道を歩きたい」と思っていましたが、大山古道のあまりの状態の悪さに、舗装道路の歩きやすさが身に沁みます。道端に古道・旧道だったことを偲ばせる水呑地蔵さんがいらっしゃいます。ということはコンクリート舗装されたこんな道でも古道ルートなんだ、と思ったのも束の間、ただ単に移動させられただけなのかもしれません。
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舗装道路の歩きやすさを実感するの巻 |
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水吞地蔵 |
しばらくすると景色が開けました。「うわ~す・・(ごい)」と言いかけましたが、これだけ広範囲に見渡せるのに、相模平野の建物群しか見えないという、何とも言えない微妙な景色。正面やや右に厚木インターと横浜ランドマークらしき建物が見えます。
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見晴らし |
尾根道の交差点、イヨリ峠に到着。不動明王さまがいらっしゃいます。案内板によれば、ここから北に向かえば阿夫利神社、南に行くと高取山・善波峠方面となるそうです。そしてこれから向かうのが、西の蓑毛・寺山方面です。大山古道はここから「大山古道(坂本道)」とありました。
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イヨリ峠の不動明王 |
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高取山・善波峠方面 |
しばらくすると、景色が開けました。イヨリ峠が伊勢原市と秦野市の境界線だったので、たぶんもう秦野市に入っているのだと思います。目の前に地形と景観を損ねるゴルフ場があります。敷地に沿うようにしばらく歩くと大山古道も終わりとなりました。
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景色が開けた瞬間 |
秦野市
大山古道を抜けると、秦野市の里山といった風景になります。箱根山系がほぼ見渡せます。この辺りから雲が引き始めましたが、それでも富士山は姿を見せてくれないようです。
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箱根山系の背後に富士山隠しの分厚い雲 |
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秦野市街地 |
犬が檻から顔だけ出してくるように、元気なコスモスが挨拶をしてくれているようでした。ありがとう。
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身を乗り出して挨拶してくれるコスモス |
源実朝公首塚を目指して歩きます。高岳寺・神明社などがありました。それにしても、いたるところにコスモスが咲いてます。
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コスモスのある景色 |
地形的には山なんだけどコンクリート舗装された道をしばらく歩くと、金剛寺を示す案内板が現れました。どうやら金剛寺の裏山部分を歩いているようです。
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金剛寺の裏山位置からの景色 |
金剛寺に到着。立派な門構えです。こちらには源実朝像が安置されているとのこと。これから向かう実朝首塚と関係のあるお寺です。
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金剛寺 |
それでは、源実朝公首塚が近いのでそちらに向かいました。なんと、一面きれいなコスモス畑。いまシーズンですからね、今日は色んなところで咲いていましたが、一番の華やかな場所でした。
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コスモス畑 |
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コスモス畑 |
そしてひっそりと源実朝公首塚がありました。それらしい五輪塔が置かれています。そもそも今回は実朝さんの墓参りに行こうと思って来たのですが、車でピンポイントで訪れるのも味気ないと思い、このようなハイキングコースを計画してみました。ちょっと大変でしたが、でもとりあえず来れて良かったです。
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源実朝首塚 |
公暁に殺害された将軍実朝の亡骸は、御首のないまま、大御堂ヶ谷に葬られました。しかし、鎌倉八幡宮裏山の雪中から求め出された実朝の御首は、武常春がここ秦野庄田原村の波多野忠綱のもとへ運び、退耕行勇を導師として埋葬され、のちに楠製の五輪塔が建立されたと云われています。(鈴木かほる著『相模三浦一族とその周辺史』より)。この伝承は吾妻鏡の、つまり鎌倉幕府オフィシャルの情報にはありません。あくまでもこの地方の伝承です。
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この道の左側に金剛寺 右に実朝首塚 真っすぐ進むと波多野城跡 |
実朝首塚と金剛寺の前を通る道沿いには道祖神や五輪塔などが置かれていました。このまま東に向かうと波多野城跡などがあるので、古い道筋なのかもしれません。それにしても、何故、ここに実朝の御首が運ばれたのでしょう、もしくはこの話がデマだとしても、何故そのような伝承が生まれたのでしょう、たぶんそれは永遠の謎でしょうね。
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弘法山公園・権現山ハイキングコース』に続く