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峠の鉱山跡・頭高山ハイキングコース

2019/11/03

ハイキングコース 鉱山 秦野市

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峠の鉱山跡・頭高山ハイキングコース


峠の鉱山跡・頭高山ハイキングコース

今回は秦野市の渋沢駅から峠の鉱山跡や頭高山(ずっこうやま)などに向かう丘陵部ハイキングコースに訪れてみました。グーグルマップのタイムラインによれば、歩行距離は大よそ7km、歩行時間は1時間54分とのこと。コース全般で常に雨降山大山が視界に入ります。それはまるで神の目の届く範囲に自身の身を置いているかのようなひととき(笑)。

Google map 渋沢
①渋沢駅 ②峠の鉱山跡 ③かりがねの松 ④頭高山 ⑤白山社 ⑥泉蔵寺 ⑦出羽三山供養塔 ⑧二つ塚

今回のハイキングコースのポイント


空海の真言宗一派の寺院が水銀鉱産地と関連する場所に立地していることが指摘されています。そしてここ秦野市にはその弘法大師の伝承が残されており、また秦野市及びその周辺では、鉄などの鉱石に関連するのではないかと思われる地名を確認することができます。丹沢・鍋割山・金目川・渋沢・菖蒲・桜町・境別所などがそれに該当します。秦野市には古代から既に鉱石の探査と取得を目的とした集団が訪れていた可能性が考えられます。

弘法山公園・権現山から眺めた秦野盆地

秦野市の渋沢には主に石膏を採掘したとされる鉱山跡が残されています。これは昭和初期の遺跡ではあるものの、秦野市にある弘法大師の伝承や鉄(鉱石)の地名などからも、やはり秦野市域には豊潤に鉱石が埋まっていることを物語っているのではないでしょうか。

今回訪れた峠の鉱山跡

そこで今回は峠の鉱山跡と呼ばれる場所に向かい、ハイキングコースを伝って頭高山(ずっこうやま)という場所にも訪れてみました。鉱石の知識が無い者が現地に行ったところで何も始まらないかもしれませんが、鉄(鉱石)のテーマにおける歴史に自分の目と足で確かめてみたいと思いました。

峠の鉱山跡


渋沢駅に到着。峠の鉱山跡近くまでバスで行けるようなのですが、肝心のバスの本数が少なすぎて1時間半も待たなければならないとのこと。時間がもったいないのでタクシーで向かいました。

渋沢駅南口からの景色

峠の鉱山跡付近に到着。山なのに意外と住宅があります。ちなみにこの辺りを渋沢といいます。また鎌倉の御家人として知られる波多野氏の一族に渋沢氏がいます。それがこの辺りにいたとは言いませんが、どの辺りにいたんでしょうね。

渋沢

住宅地を抜け、いざ旧態地形へ、とその前に、なにこの心霊現象(笑)。砂ぼこりじゃないんですよコレ。たぶんここ最近の台風・大雨に次ぐ大雨で地中に溜まって暖められた水分と外気に温度差があるのでしょう。でもちょっと不思議。

心霊現象(笑)

それでは、心霊現象に気を取り直して旧態地形に突入します。けっこう足元がグチャグチャです。ここ最近の大雨で乾く暇もなかったようです。左上にオーブが写ってしまっているように、湿気・水分がかなり漂ってます。

峠の鉱山跡

海じゃないのにカニがいる!そしてこのカニ捕まえようとしても逃げません。観光客を楽しませるようにと秦野市からそう指導されているのかもしれません。

サワカニ

川が近くに流れていました。

市見川

川を渡るとあったのが別世界への入口(笑)。

別世界への入口

今回は坑道があることをわかったうえでの行程だったのでLEDライトを2本も持ってきました。光が暗闇に吸収されてしまうので随分と奥行きがありそうです。

坑道跡

なんと、よ~く確認してみると、水没しているじゃぁないですか、進んだら膝辺りまで水に浸からなければならないようです。ここ最近の大雨の影響でしょうか、残念で仕方ありません。洞窟探検は断念。それにしても、明るくしてみるとわかりますが、坑道内壁面が赤褐色です。

坑道跡

周辺の川沿いを観察してみると赤色と黄色の岩石が目立ちます。熱海で見た水冷破砕溶岩の配色と同じです。


そしてこちらは苔に覆われた緑が素敵な倒木。

緑!

川に沿って進むとこれまた坑道を発見。こちらは完全に塞がれているようで侵入はできません。何はともあれこの白い岩石に目が惹かれます。さすがにこれは普段のハイキングで見る地質ではないことぐらいは伝わるかと思います。峠の鉱山は昭和10年(1935)から十数年間、石膏の採掘を中心に操業し、他にも粘土・黄鉄鉱などが産出していました。坑道は斜坑・水平坑・竪坑とあったそうなので、下手に侵入でもしたら真っ逆さまなんてこともあるのかもしれませんね。

坑道
坑道

坑道に入れなかったのは残念ですが、一応、秦野市の、そして渋沢の鉱山の歴史を体感したということで満足することにしました。

頭高山


それでは、頭高山を目指して歩きます。ここ峠の鉱山跡周辺では地形を活かした段々畑が各所でみられます。周辺の農家の人たちが閑散期では鉱山を手伝っていたと現地案内板にあったので、昔からの農地なのでしょう。

城郭のような畑地

畑の展望台という場所に到着。大山と丹沢周辺の山々を見渡すことができます。素晴らしい景色。

畑の展望台からの景色
畑の展望台からの景色

かりがねの松という場所を過ぎると頭高山入口がすぐそこです。

頭高山への道

しばらく歩くと休憩所が設けられていて、大山方面の景色を望むことができました。こちら渋沢方面から見る大山は伊勢原市側とはまた角度が異なるので違った表情になります。それにしてもこの神の山が常に視界に入るという素晴らしさ。まるで神に見守られているかのよう。

頭高山から見た大山

頭高山入口から意外と歩きます。まだ頂部に着きません。

頭高山

頭高山は、どこから見ても丸い頭の形をしていることがその名の由来だとありました。頂部が近くなってくると丸い形をしていることが歩いていてわかります。

古墳状になっている

頂部に到着。秋葉社が祀られています。ちなみに現地案内板によれば、新編相模国風土記稿に「秋葉山、村南に在、高三町半許、丸山、ぼっこう山とも呼り」と記されているそうです。つまり頭高山は秋葉山・丸山・ぼっこう山とも呼ばれていたようです。村は千村のことでしょう。そして麓には矢倉沢往還が通っていたので、昔は人通りが多かったそうです。

秋葉神社

さあ、天気も快晴だし、どんな景色が見れるのか、そしてどんな風に富士山が見えるのかと楽しみにしていたところ、木々の隙間からしか展望がなく、しかも箱根山系の二子山・駒ヶ岳・神山辺りしか見えないという、ここ最近でここまで肩透かしを喰らったことはないぐらいガッカリな場所でした。

泣けてくる頭高山からの景色

秦野市観光協会のHPに富士山が見えると確か書いてあったはずだと思ったのですが、どうやら他の史跡と勘違いしていたことが帰ってからわかりました。それにしても、そうだとしても、これだけの快晴の日に秦野市まで来てしかも山の中をこんだけ歩いて富士山が見れないってなんなんでしょう。ある意味ハイキングって見晴らしのために登るようなものじゃないですか(泣)。

矢倉沢往還


もう二度と来ることはないであろう(笑)頭高山を下山します。途中に立派な切通しがありました。雰囲気的にもこの道は昔からあるルートなのかもしれません。

切通し

そしてやはりこれもここ最近の天気の影響でしょうか、地面が陥没しています。歩いている途中でこんなんなったら一巻の終わりですね。

頭高山ハイキングコース

旧態地形が終わると住宅街となり、白山神社が現れます。これがなんとも立派な境内で、フレームに収まりきらない樹齢600年の杉の木が出迎えてくれます。

白山神社
白山神社の杉の木
白山神社

白山社に杉の木という組み合わせ、モロに修験道の影響でしょうか。


鎌倉期~南北朝期の特色がみられる石造十王像があるという泉蔵寺を通り過ぎると、山を下りてこれから渋沢駅に向かうというのに何故か登り道という違和感。地形の起伏が凄いです。

千村の辺り

前回弘法山に訪れたときにあった善波峠を経由する矢倉沢往還がこの辺りに通っていたそうです。確かに、真っすぐではない道筋が旧道の様相です。大山を仰ぎながら渋沢駅まで歩いて行けます。

矢倉沢往還旧道

渋沢駅に到着。行きは南口に下りたので気付きませんでしたが、北口からは大山を眺めることができます。

渋沢駅北口からの景色

ということで、サブタイトル、秦野市まで来て富士山を見ることができなかったハイキングコースでした。ちなみに今回のコースだと、峠の鉱山跡から渋沢丘陵に向かえば富士山が見えるそうです。このあと秦野市と海老名市にある中世武家屋敷跡に向かいました。そちらの様子はまた次回にということで。それでは、今回も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

※追記:『中世武家屋敷跡めぐり 今泉堀之内・和田屋敷・上浜田遺跡』アップしました。

周辺史跡の地図


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