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伊豆半島東海岸めぐり 白濱神社と河津・八幡野の来宮神社

2021/08/01

東伊豆

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伊豆半島東海岸めぐり 白濱神社と河津・八幡野の来宮神社


伊豆半島東海岸めぐり 白濱神社と河津・八幡野の来宮神社

熱海に泊まりながら伊豆半島をめぐってみました。今回はその伊豆の旅二日目の伊豆半島東海岸めぐり、下田・河津・伊東編です。

目次 ●白濱神社(伊古奈比咩命神社)
●田牛・龍宮窟
●吉佐美八幡宮
●川津来宮神社(杉桙別命神社)
●姫宮神社(笹原明神)
●八幡宮来宮神社(伊波久良和気命神社)
●まとめ(漂着神と磐座)


この日のお目当ては、伊豆の歴史を集約したかのような史跡・白濱神社(伊古奈比咩命神社)と、キノミヤ信仰で知られる河津と八幡野の来宮神社です。その他にも龍宮窟・吉佐美八幡宮・姫宮神社などにも立ち寄ってみました。

Google map 伊豆
①熱海 ②白浜 ③田牛 ④河津 ⑤八幡野

前日から熱海に泊まっていたので熱海からのスタート。車で②下田市を目指し、そこからまた熱海に戻るように④河津町・⑤伊東市八幡野へと向かいました。それではまずは白濱神社から。

伊豆の車窓から

白濱神社(伊古奈比咩命神社)


下田市白浜にある白濱神社(伊古奈比咩命神社)は、式内社で伊豆国一宮・三嶋大社の旧在地といわれています。白濱神社の主祭神となる伊古奈比咩命(いこなひめのみこと)は、南豆に定住していた賀茂族の出身で、三嶋大社・三島神の后神とのこと。また白濱神社御由緒によれば、「三島神が南方より黒潮に乗ってこの伊豆の地に到達したのが六代考安天皇元年、今を去る2400年前」とありました。

拝殿から裏山を登るように進むと本殿のある厳かな境内、そして浜に出ると鳥居のある景色が広がります。海と島が密接に関わるこの土地ならではの歴史を物語るかのような素晴らしい景色でした。

白濱神社
樹齢1500年のビャクシン
白濱神社本殿前
本殿
大明神岩と鳥居

本殿の奥に古代祭祀場跡、また海側にある海蝕洞穴のさらに奥には御釜と呼ばれる洞窟があるそうです。大潮の干潮時にしか行くことができないと言われています。白濱神社が鎮座する火達山では、奈良・平安期のものと推定される多数の土師器・須恵器・鏡などが発見されており、古代から祭祀が行われていたことがわかっています。伊豆では火山の噴火を島焼きと呼び、それらを当時の人たちが神業と考えたことから、やがてそれらが祀られるようになったといいます。

白濱神社境内図
①古代祭祀場跡 ②御釜 ③大明神岩と鳥居

白浜から南下して下田市街地中心部を抜けると吉佐美・田牛となります。

田牛・龍宮窟


田牛(とうじ)にある龍宮窟は巨大な海蝕洞穴の天井が崩れ落ちたものです。完全に観光スポットとして整備されているため、立ち入れる範囲も限定されかなり窮屈です。田牛に海水浴でも来たついでにということならまだしも、わざわざ見学のためだけに訪れるような場所ではありませんでした。でも海蝕洞穴自体は素晴らしいですよ。

田牛
龍宮窟

ところで伊豆の海岸各地にリューゴンサンと呼ばれる航海安全・豊漁を願う海神が祀られています。このリューゴンサンとは竜宮様の意で、地域によっては「海の彼方から蛇の姿をしてやってきた」などと伝わっています。龍宮窟の名前もそんなところから付けられたのでしょう。

尾ヶ崎ウイングから眺めた白浜の竜宮島

吉佐美八幡宮


吉佐美にある八幡宮は式内社・加彌命神社の論社とされています。周辺では製鉄遺構が発見されたようなのですが、地図を見てみると確かに、多々戸浜というタタラを思わせる地名がみられます。境内にはイスノキという伊豆以西に自生するマンサク科の常緑高木があります。しかしやはり拝殿前にそびえ立つ大楠が見事でした。たぶん樹齢数百年を下らないでしょう。

吉佐美八幡宮
吉佐美八幡宮

ちなみに吉佐美には三倉山という神奈備山があるそうです。帰ってから知ったのであとの祭り状態でした、残念。それでは次に河津へ向かいます。

伊豆の車窓から

川津来宮神社(杉鉾別命神社)


杉桙別命(すぎほこわけのみこと)を祭神とする川津来宮神社は、式内社の杉桙別命神社の論社、というよりほぼ杉桙別命神社の確定社であるようです。

裏山を背負ってないという個人的にはちょっとガッカリな境内ではありましたが、来宮神社らしく樹齢1000年以上という大楠が迎えてくれました。

こちらも熱海来宮と同じく、元は海岸寄りに鎮座していたものが内陸寄りの現在地へ遷されれてきたとありました。そして鳥精進酒精進といって12月18日から23日までは鳥も食べず酒も飲まぬ風習が伝えられています。というのも、「祭神が酒に酔って野火に囲まれたとき、小鳥たちが羽に水を含ませて火を消し、野火から命を守った」という故事によるものなんだそうです。

川津来宮神社
川津来宮神社の樹齢1000年の大楠

カーナビに導かれるままに走っていたら、とんでもない細い道を通り、神社のすぐ目の前に横付けすることができました。でもこれってとても失礼なことだと思うので、これから川津来宮神社に行こうと思っている方は、すぐ近くにある河津桜観光交流館の駐車場を利用することをお勧めします。次に向かう姫宮神社もそこから歩いて行ける距離にあります。

姫宮神社(笹原明神)


式内社の姫宮神社が元々あった笹原地区では、弥生時代から奈良・平安時代にかけての祭祀跡・住居跡・土器・鉄器などが発見されています。白浜の先住民と同族、もしくは白浜と同等で先進的な集団がここ河津にもいたようです。

姫宮神社

河津から伊東市八幡野へ向かいます。

伊豆の車窓から

八幡宮来宮神社(伊波久良和気命神社)


伊東市八幡野にある八幡宮来宮神社は、その名のとおり八幡神と合祀されたことによるものです。伊波久良和気命(いわくらわけのみこと)を祭神とする八幡野来宮は、その伊波久良和気命神社の有力論社とされています。

海岸近くにある堂ノ穴(海蝕洞穴)に元は祀られていましたが、こちらも内陸寄りに遷座されました。しかも御由緒によれば、「祭神は大の酒好きのため、沖を通る船を止めてはお酒を献上させたので、船の見えない岡に遷したところ、そこでも海がまだ見えたので、再度遷した」とあります。

河津の来宮といい、こちら八幡野の祭神もどこか似た雰囲気となっています。神というよりただの酒好きなおっさんとしかイメージがわきません。境内は八幡野の森を背負った素晴らしい雰囲気となっており、樹齢1000年の杉の木や、伊豆が自生地の北限となるリュウビンタイというシダ科の植物があります。まさに木の宮。

八幡宮来宮神社
八幡宮来宮神社
八幡宮来宮神社
八幡宮来宮神社
八幡宮来宮神社
八幡宮来宮神社
八幡宮来宮神社

それでは、今日も一日楽しめたのでそろそろ熱海に戻ります。

伊豆の車窓から

まとめ(漂着神と磐座)


ということで、キノミヤ信仰をメインテーマに臨んだ今回の旅でしたが、白濱神社の御由緒にある「三島神が南方より黒潮に乗ってこの伊豆の地に到達したのが六代考安天皇元年、今を去る2400年前」という記述や、下田市教育委員会の「三宅島から渡来した神が鎮座したものとされている」という見解からも、伊豆国の歴史全体に関わる三島大明神でさえ、海からやって来た何かであることがわかりました。

また上記した伊豆の海岸各地に分布するリューゴンサン信仰も一説には海から来た何かであったのです。これら三島信仰やリューゴンサン信仰の件からも、キノミヤ信仰以前に、そもそも伊豆全体に様々な形で漂着神伝承が残されていることに気付くことができました。

そして八幡野来宮の祭神が元は海岸寄りの洞窟、つまり海蝕洞穴に祀られていたとありましたが、しかもその祭神の名が伊波久良和気命(いわくらわけのみこと)という、磐座を連想させる名前であったことも見逃せません。さらに白濱神社にも御釜という祭祀の一部と考えられる洞窟がありました。

伊豆の歴史を紐解くには海から来た何かである漂着神と海岸寄りの磐座が鍵になるようです。そしてあとは伊豆諸島ですかね。熱海からだと初島と伊豆大島ぐらいしか目視できませんでしたが、白浜まで来ると大よその島が眺められるようです。

下田市から見える伊豆諸島 現地案内板より
尾ヶ崎ウイングからの景色
たぶん左が利島で右が鵜度根島

ちなみに次の日はこちら『函南町古代中世めぐり

伊豆半島東海岸めぐり関連地図


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