タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト

函南町古代中世めぐり

2021/08/02

函南町

t f B! P L

函南町古代中世めぐり


函南町古代中世めぐり

熱海に泊まりながら伊豆半島をめぐってみました。今回はその三日目となる函南町編です。ちなみに前日はこちら『伊豆半島東海岸めぐり 白濱神社と河津・八幡野の来宮神社

目次 ●火雷神社
●雷電神社
●丹那断層公園
●柏谷横穴群
●六萬部寺の経塚
●三宝大荒神社の摩崖仏
●高源寺
●冷川不動明王
●北条宗時と狩野茂光の墓
●まとめ・あとがき


前々日から熱海に泊まっていたのでこの日も熱海からのスタート。熱海市と函南町を遮る丹那山地を越え②田代から最終的に函南駅付近となる⑧大竹に至ります。

Google map 函南町
①熱海 ②田代 ③軽井沢 ④丹那 ⑤柏谷 ⑥畑毛 ⑦桑原 ⑧大竹

地形に関する④丹那断層、横穴古墳が群集する⑤柏谷、伊豆山に関するであろう②田代③軽井沢、源頼朝など鎌倉に関する⑦桑原⑧大竹、修験道に関する⑥畑毛など、多くの興味深い史跡と出会うことができました。

火雷神社

まずは田代にある火雷(からい)神社へ。周辺は田代盆地というだけあって山に囲まれた地形を実感できます。火雷神社は1930年に起きた北伊豆地震によって生じた断層のずれを確認することができるという、なかなか珍しい神社です。

現地案内板が地震のことばかりに触れるので、詳細がよくわかりませんでしたが、祭神が火牟須比命(ほむすびのみこと)だということなので、もしかしたら伊豆山・走湯権現から勧請されたのかもしれません。

火雷神社
火雷神社
断層のズレを示す場所
火雷神社
田代盆地
田代盆地

雷電神社


田代の火雷神社から直線距離で1kmぐらいの場所にある軽井沢の雷電神社。こちらも詳細不明ながら、火牟須比命が祭神だということで伊豆山・走湯権現からの勧請でしょうか。またこの辺りは三島市側から日金山へ向かう街道沿いでもあったそうです。

雷電神社
軽井沢の街道だったっぽい雰囲気

丹那断層公園


丹那盆地にある丹那断層公園では、火雷神社と同じく1930年に起きた北伊豆地震によって生じた断層のずれが保存されています。地味な史跡ながらも普段からブラタモとか見てる人には面白いかもしれませんよ。

丹那盆地
丹那断層公園
丹那断層公園>

柏谷横穴群


柏谷横穴群にやって来ました。これまでの地域と打って変わって人と家が密集しています。念のため確認してみると駿豆線の伊豆仁田駅からも比較的近い位置にあることがわかりました。嫌な予感がすると思ったらそのとおり、横穴群は公園内に整備されている状態で、しかもコンクリートで固められているようです。さらに、特別変わった形状もなければ家形もなかったので、わざわざ来る必要もなかった物件でした、残念。

ちなみにこの横穴群からは亀甲が出土しています。卜部、もしくは亀卜関係者が近くにいたのかもしれません。また横穴墓は一部しか見ることはできませんが総数で300基近くあるとのことです。

柏谷公園
柏谷横穴群
柏谷横穴群

六萬部寺の経塚


柏谷公園のすぐ近くにある六萬部寺境内に源頼朝が法華経六萬部を納めたとされる経塚があります。伊豆と房総には無駄に頼朝伝説が多いので本当に源頼朝が関わっているのかという疑問もありますが、そもそもこの経塚は円墳を転用したものと考えられているので、頼朝が、というより円墳を間近で見れるという価値観にシフトしたほうがお得に感じられると思います。

地形が面白かったので地理院地図で確認してみると、六萬部寺のある丘周辺が台状地形の突端となっており、しかも柿沢川と来光川が合流するポイントからも近い場所にあります。古代豪族や鎌倉御家人が好みそうな立地です。誰かがここに居を構えていたのではないでしょうか。もしくは城郭としても使えそうです。

六萬部寺の経塚
地理院地図 六萬部寺周辺

三宝大荒神社の摩崖仏


柏谷から柿沢川を渡って丘陵部寄りに進むとある畑毛という土地には、永徳二年(1382)の銘を持つ梵字の刻まれた摩崖仏があります。

周辺に住宅が連なっていたので気づきませんでしたが、到着してみたら意外に標高の高い場所であったことに驚きました。現地では摩崖仏だけでなく、三宝大荒神社が祀られており、絶妙な雰囲気を醸し出しています。この巨石ゴロゴロ地形からもわかるように、往時は修験の山だったんでしょうね。

三宝大荒神社
三宝大荒神社
梵字の刻まれた巨石
三宝大荒神社付近からの見晴らし

摩崖仏のあった畑毛からまた北上し桑原の辺りにある高源寺に向かいます。途中から見えた富士山に足を、というか車を停めてしまいます。富士山がこんなに大きく見えるってホント凄い。

市街地からの富士山
市街地からの富士山

高源寺


宝船山高源寺は、道昭・行基・万巻・空海らも修行したと伝わる古刹です。源頼朝の旗上げの際には祈願所となり、また丹後局(頼朝の妾)が懐妊したときにも頼朝から祈願があったとされています。そしてなんと比企尼が大竹(函南駅の辺り)に住んでいたと境内の案内板にありました。境内にはその比企尼の供養塔が存在します。「比企尼が函南に?・・」という疑問は置いといて、何はともあれ総門からお堂に至る参道の雰囲気が素敵なお寺でした。

高源寺
高源寺
高源寺
高源寺

冷川不動明王


高源寺から冷川に沿うように下るとあるのが不動の滝で、そこには冷川不動明王が祀られています。現地案内板によれば、高源寺は真言宗の修行道場であり、伊豆一円を支配していたとされ、その塔頭として豆州志稿に記された不動院がここ冷川不動明王ではないかとありました。

現在はゴルフ場が出来てしまったため全くそんな雰囲気を感じさせませんが、往時では高源寺やこの冷川不動明王のある山一帯が修行道場だったのでしょう。

冷川不動明王
不動の滝
不動の滝周辺

北条宗時・狩野茂光の墓


最後に函南駅近くにある北条宗時狩野茂光の墓とされる場所に向かいました。それらしい石塔が安置されていましたが、それよりもここからの見渡しが良かったことに少し驚きました。元々ここには何かがあったのでしょうか。

北条宗時は時政の子で石橋山での敗戦によって命を落としています。一説には時政の嫡子であったとされ、無事この戦いを切り抜けていれば、もしかしたら義時ではなくこの宗時が執権の座を引き継いでいた可能性も考えられます。

北条宗時と狩野茂光の墓
墓所からの景色

まとめ・あとがき


ということで伊豆の旅・函南町編でした。いかがだったでしょうか。火雷神社と雷電神社はその名からも伊豆山に関係するのであろうと予想していましたが、これといった証拠をつかむことはできませんでした。但し函南も多賀火山や湯河原火山に囲まれ、さらに活断層までもが通っているという土地柄上、元々火や雷に関する信仰があったのかもしれません。

面白かったのは高源寺にあった「比企尼が函南(大竹)に居住していた」説です。これだけだと荒唐無稽な話に聞こえてしまいますが、比企尼の娘の丹後局が懐妊したときに源頼朝から安産祈願があったというから無碍にはできない説となります。少なくとも比企氏に関連する土地だったのかもしれません。またその比企尼が住んでいたとされる大竹ですが、その大竹には上記したとおり北条宗時の墓がありました。何かがこんがらがっているようです。

なぜか高源寺に馬がいた

函南町古代中世めぐり関連地図


ブログ内検索

ブログ アーカイブ

お問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ