安房忌部系神社の向く先にあるものが凄い!
安房忌部系神社の向く先にあるものが凄い!① |
今回はタイトルのとおり、房総は旧安房国圏内(鋸南町・館山市・南房総市・鴨川市)にある忌部に関する神社の、社殿の向く先にあるものを調べてみました。よくある、地図上でお寺や神社を線で結び付けて「五芒星が現われた」とかそういうのじゃりません。スピリチャル方面に進む訳ではないので心配しないでください。この記事はあくまでも神社の向きに対する検証です。
はじめに
伊豆半島には奈良・平安期に頻発した伊豆諸島での噴火に関する神社が少なくありません、またそうした神社が伊豆諸島の特定の島に向いているケースがみられ、特に三島信仰の神社では社殿の向きが出自を示す傾向の多いことが指摘されています。つまり神社が自身の出身地や関係先を向いているのです。
伊豆にはその三島信仰をはじめキノミヤ信仰など海の彼方から訪れる漂着神の伝承・信仰が各地に伝えられています。房総もまた伊豆と同じ半島地形を成していますが、なんといっても、安房の地を開拓した忌部も安房の原住民からすれば海の彼方から来たる何かであったことは間違いないでしょう。
そこでこの伊豆の三島信仰の神社のケースを安房地方の忌部関係の神社に試しに当てはめてみたところ、これが面白いように神社が関係先を向いていることがわかったのです。
白濱神社の大明神岩の鳥居と海の向こうに伊豆大島 |
神社の向きが関係性を示すわかりやすい例
館山市にある①海南鉈切神社の社殿は、②鉈切洞穴(船越鉈切神社)を向いています。これは元々は両社が上宮・下宮として一社一神とされていた歴史に因むことは明白です。海が近いのだから海の方にでも向けばいいのに、海南鉈切神社はわざわざ洞窟のある内陸部を向いているのです。このように、三島信仰に限らず神社というのは出自とまではいかなくとも、わかりやすく関係性のある方に向いてくれているケースがあります。
Google map 鉈切洞穴 ①海南鉈切神社 ②鉈切洞穴(船越鉈切神社) |
ということでさっそく本題に移りましょう。記事を読みながら詳しく理解したいという方は最下部にグーグルマップがあるので別枠で大きくして見てください。
安房神社の参道が向く先にあるものが凄い!
安房国一之宮の安房神社は忌部の遠祖・天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祭神としています。境内には磐座が遺されているので社殿が造営される以前から祭祀場とされていたことがわかります。そして困ったことに安房神社は何故か社殿と参道の向きが異なります。それが何故なのかわかりませんが、ともかく社殿が向く先には何もないので、参道にも注目してみました。
Google map 安房神社 ①社殿の向き ②参道の向き |
参道が向く先を方角そのままに線を引いたところ、②魚尾山という地点に当たりました。下画像のとおり、安房神社に祀られている天太玉命の妃后で天比理刀咩命(あまのひりのめのみこと)が祀られている③洲宮神社が近接しています。「この線が洲宮神社に当たっていたら何かしら意味があるかもね、惜しいね」なんて思いますよね。実は魚尾山は洲宮神社が元々鎮座していた場所なのです。そしてこの魚尾山からは古墳時代の土製模造品が出土しています。
Google map 安房神社 ①安房神社 ②魚尾山 ③洲宮神社 |
もう一度言いますが、これは線を引いただけじゃありませんからね、線を引くだけなら何だって直線で繋がります。安房神社の参道が向く方向にまっすぐ線を引いたら洲宮神社が元々あった魚尾山に当たったということですからね。伊豆の三島信仰の「神社の向きが出自を示す」説がここ安房でも当てはまったということです。但しこの場合、出自かどうかという点は不明瞭ながら、ともかく関係先に向いているというこの事実が凄くないですか、ということですからね。
Google map 安房神社 ①安房神社 ②魚山 ③洲宮神社 ④座席山 ⑤洲崎神社 |
そしてここからは山なので「向き」は関係ありませんが、②魚尾山から、「安房神(天太玉命と天比理刀咩命)がどこに鎮座しようかと相談するための宴会をしたときの座席になった」という④座席山を通過して、洲宮神社の奥宮とされる⑤洲崎神社まで一直線で繋がっています。座席山には古墳時代横穴墓が存在し、また近くにある船頭遺跡から古墳時代の土師器や祭祀土器が出土しています。
それにしても、いきなりキましたね。凄くないですか、この「神社の向きが出自を示す」説。しかも安房神社の社殿ではなく参道の延長線上に洲宮神社の旧在地があるってどういうことなんでしょうね。ちょっと興奮を隠せません。
安房神社 |
洲崎神社の社殿が向く先にあるものが凄い!
安房神社から線を引いていたら突端の洲崎神社まで到達してしまったので、念のため洲崎神社の社殿の向く先にまっすぐ線を引いたところ、伊豆半島の伊東市川奈のちょうど川奈駅辺りとなりました。
Google map 洲崎神社 ①洲崎神社 ②川奈 |
洲崎神社の所在する住所は洲崎となりますがその隣が西川名となります(館山市に合併吸収される前までは川名)。さらにその西川名の隣が伊戸(いと)という地名になっています。
ちなみに房総で有名な安西さんは安房の西だから安西になったというのが定説ですが、伊豆の伊東もその安西の例から、伊豆の東だから伊東になったと考えたくなりますよね。でも伊東市がこれを否定しており、元々「いとぅ」というような発音の地名があったとされています。
さらに、伊東市にある比波預天神社(ひはよてんじんじゃ)は、祭神である比波預命の孫・多祁美加々命より五代・伊波磯命が伊豆国忌部だとありました。
たぶん、洲崎神社の社殿が向く先に、たまたま「かわな」や「いとぅ」という同じような地名があって、たまたま忌部がいたのでしょう。
洲崎神社 |
布良崎神社の磐座が向く先にあるものが怪しい!
次は館山市の布良(めら)にある布良崎神社です。こちらは安房神社の前殿(下社)と伝えられ、忌部を率いて安房を開拓した天富命(あめのとみのみこと)を祭神としています。
布良崎神社の社殿が向く方向は、知る人ぞ知る有名なスポットで鳥居から富士山が見えることで知られています。つまり社殿が富士山の方を向いています。霊峰富士・一の鳥居・二の鳥居・夕陽の全てが重なる次期(7月20日前後)が神社のお祭りとなります。
また布良崎神社の磐座が興味深く、「一の鳥居と磐座を結ぶ直線状に太陽が沈むのが夏至、磐座の海への直線状に太陽が沈むのが冬至に当たるとありました。」つまり境内全体が暦を表しています。
布良崎神社の鳥居の向こうに・・富士山が見えるらしい(( ノД`)シクシク…) |
布良崎神社の磐座が示す夏至線・冬至線 |
上記したように社殿は完全に富士山を向いており、神社が「磐座は夏至と冬至を表す」と言っているのだからそうなのだと思いますが、磐座の向く方向、もしくは磐座が指しているという冬至線の延長線上に、なんと、伊豆大島があります。
冬至のライン上に伊豆大島が偶然あるだけだとも考えられますが、個人的には「一の鳥居と磐座を結ぶ直線状に太陽が沈むのが夏至」という見方がどうしても納得いきません。磐座が冬至線の方に向いているのはわかりますが、「磐座と鳥居を結ぶ線」で夏至線と解釈するのは後付けのような気がします。
Google map 布良崎神社 ①布良崎神社 ②鳥居が向く富士山 ③磐座が向く伊豆大島 |
布良崎の磐座で祭祀を行っていた一族が伊豆大島と何かしら関係があるのではないかという見方もできるのではないでしょうか。つまり逆説として、布良崎神社の磐座が夏至・冬至を表すという解釈は後付けで、本来は伊豆大島、もしくは伊豆本土・諸島に対する何かしらの祭祀があったのではないかという考えです。
気象庁によれば、伊豆大島では5~7世紀の間に水蒸気爆発と火砕流を発生させた強烈な噴火のあった可能性が示されており、さらに7世紀からほぼ毎世紀ごとに噴火が起こっています。
ここ布良崎からは伊豆大島をはじめ伊豆諸島が目視できるので房総にも伊豆の言葉でいう「島焼き」(島が噴火している様子)系の祭祀場や神社があったとしてもおかしくないと思います。それから、噴火を機に伊豆から房総に渡ってきた一族がいてもおかしくないでしょう。それら一族が故郷を懐かしみそちらに向かって祈りを捧げることは現代に生きる我々でも理解できるのではないでしょうか。
布良崎神社の磐座 |
まとめ・あとがき
どうしても三島信仰の「神社の向きが出自を示す」説を当てはめたいがために布良崎神社に関してはちょっと
また伊豆大島ではありませんが、神津島に阿波命や物忌奈命という名の神社が存在します。この名からしてどう考えても忌部ですよね。そして布良崎神社も、伊豆を経由して忌部が房総に訪れたという見解を示しています。
ということで今回の「線引き」によって導きだされた答えは、忌部は伊豆大島もしくは伊豆本土の伊東から、そして布良崎ではなく洲崎に上陸した可能性が考えられます。ですから忌部の聖地の順番も変わります。洲崎から洲宮、そして安房という順番で神域が営まれていったのでしょう。安房神社の参道が洲宮神社の旧在地を向いていたのは、そこが出自だったからではないでしょうか。さらに、それを安房神社は知っているので、その事実を隠すためにわざと拝殿の向きを変えたのです。自分で言っておいて一概には信じられませんけどね。
参考にさせていただきました
〇館山フィールドミュージアム〇玄松子の記憶
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