安房忌部系神社の向く先にあるものが凄い!
安房忌部系神社が向く先にあるものが凄い② |
今回は『安房忌部系神社の向く先にあるものが凄い!』の第二段となります。タイトルのとおり、房総は旧安房国圏内(鋸南町・館山市・南房総市・鴨川市)にある忌部に関する神社の、社殿・参道・鳥居・磐座の向く先にあるものを調べてみました。今回も安房忌部に関係する莫越山神社編です。
※記事を読みながら詳しく理解したいという方は最下部にグーグルマップがあるので別枠で大きくして見てください。
宮下莫越山神社の社殿が向く先にあるものが凄い!
莫越山神社は南房総市の旧丸山町に所在します。簡単にでも史跡の概要を理解した方がいいと思うので紹介します。
南房総市の旧丸山町の宮下と沓見にそれぞれ同名の莫越山神社があります。両社には同じ由緒が伝わっており、神明帳に記された莫越山神社が宮下と沓見のどちらであるのかは未だ論争の的になっています。
社伝によれば、天富命(あめのとみのみこと)に従っていた小民命(こたみのみこと)と御道命(おみちのみこと)の願いにより、それらの祖神、手置帆負命(たおきほおひのみこと)と彦狹知命(ひこさしりのみこと)の二柱を祀ったのが始まりとされています。
宮下莫越山神社 |
宮下にある莫越山神社は、度度山(とどやま)と呼ばれる神奈備型の山を神体山とした古式神社です。周辺からは勾玉などの土製模造品と手捏土器が発掘され、7世紀の祭祀遺跡と確認されました。
度度山と宮下莫越山神社 |
宮下莫越山神社から直線距離にして1kmもない場所に永野台古墳があります。現在は何も残されていませんが、こちらでは人物埴輪・円筒埴輪が出土し、5世紀後半代の古墳と前方後円墳が発掘されました。そしてなんと、②宮下莫越山神社の社殿の向く方向へまっすぐ線を引くとこの③永野台古墳に当たります。
念のためもう一度言いますね、ただ線を引いた訳ではなく、宮下莫越山神社の社殿の向く方向そのままに線を引いたら5世紀代に築造された永野台古墳に当たったということですからね。
Google map 莫越山神社 ①度度山 ②宮下莫越山神社 ③永野台古墳 |
凄いですね、宮下莫越山神社が5世紀の古墳に向かって建てられています。宮下莫越山神社は養老二年(718)に社殿が造営されたので、永野台古墳の存在は認知していたと思われます。ですから偶然そちらを向いていたとは考えにくいのではないでしょうか。ということはつまり「神社の向きが出自を示す」説が当てはまるのであれば、永野台古墳の被葬者は忌部ということになるのかもしれません。でもそれはそれで有り得る話かもしれませんよね。
沓見莫越山神社の鳥居が向く先にあるものが凄い!
場所は変わってこちら沓見莫越山神社です。こちらは少し変わった境内となっており、社殿と同じ方向に建つ二の鳥居とは別に、全然違う方向を向く謎の一の鳥居があるのです。安房神社以上の違和感があります。何があったのでしょう。
沓見莫越山神社 |
沓見莫越山神社の一の鳥居 |
Google map 沓見莫越山神社 ①一の鳥居 ②二の鳥居 ③社殿 ④社務所(関係ないw) |
このおかしな一の鳥居の向く方角そのままに線を引くと、なんと、宮下莫越山神社の度度山に到達するのです!
Google map 莫越山神社 ①度度山 ②宮下莫越山神社 ③永野台古墳 ④沓見莫越山神社 |
沓見莫越山神社の一の鳥居のこの謎の配置は、もしかしたら度度山を遥拝するための造作だったのではないでしょうか。念のために上画像の鳥居の向こうにある景色を拡大してみましたが、度度山が写っているのかよくわかりません。またグーグルマップで計測したところ、沓見から度度山まで4.6kmも離れていました。度度山ってそんな高い山ではないので目視てきるのかは謎です。
一の鳥居からの景色を拡大 |
一の鳥居が何故こんなことになっているのかわかりませんが、元々は一の鳥居が示すような北枕で南側を向く社殿の配列だったのかもしれません。でもそうすると後山が真横になってしまいます。そんな配列の神社やお寺を見たことがありません。
上記したように、宮下と沓見のどちらが本当の莫越山神社なのか論争の的になっていますが、この一の鳥居の造作から判断するに、沓見は宮下の度度山を遥拝している、もしくは少なくとも意識しているように思えるので、もしかしたら宮下がオリジナルで沓見は勧請されたものなのかもしれません。三島信仰の神社のように、この一の鳥居の方角は出自を指し示しているのかもしれません。
沓見莫越山神社 |
まとめ
沓見莫越山神社の鳥居は、地元の詳しい方に聞いたら「あっ、アレね、アレただの施工ミス」とかいう答えが待っている可能性もあるので一概に何とも言えない部分もありますが、宮下莫越山神社が永野台古墳を完璧にとらえているところは凄かったですよね。
安房神社の忌部塚で弥生時代のものと思われる人骨が出土したとき、関係者らが「本当に忌部が神話の時代に来ていた」と大喜びしていたそうです。しかし今回の「線引き」シリーズで調べた忌部系神社及び周辺から出土する遺跡はほぼ古墳時代のものとなっていました。
ちなみに安房地方では、埴輪を伴った前方後円墳が発見されたのは上でも紹介した永野台古墳と富山の恩田原古墳だけです。面白いのは恩田原古墳のある富山が天富命の逝去の地と伝わっているのでこちらも忌部関連の土地となります。
そして富山の恩田原古墳の被葬者が天富命だったら激熱ですね。但し、そうすると天富命が5世紀ぐらいの人物になってしまうので、伝承の年代が大きく下ってしまうことになります。
安房勝山から見た富山 |
参考にさせていただきました
〇館山フィールドミュージアム〇玄松子の記憶
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