房総安房の磐座 |
今回は南房総の旧安房国圏内(鋸南町・館山市・南房総市・鴨川市)にある磐座について取り上げてみました。首都圏にいるとなかなかお目にかかることのできない磐座ですが、安房地方ではいくつかの磐座と出会うことができました。そこでこの記事では特に磐座の形状について焦点を当ててみます。まずは本題に入る前に磐座について簡単に知識を確認しておきましょう。
磐座とは
コトバンクにあった重要な部分を抽出してみました、以下。
〇磐座とは、祭りに際して神の依り代(よりしろ)とされた岩石を特定して指すものと認識されるようになり、さらには石そのものを神体として祭祀(さいし)対象とするようになる。
〇社殿建築以前の古代祭祀における祭場という説が有力。
ということで、磐座とは神の依り代となるもの、それから岩石そのものが神となる二つのパターンに大別できるようです。以上で簡単にではありましたが、難しい定義ではないと思うのでさっそく本題に移りましょう。
安房神社の磐座
まずはこちら、安房国一之宮で忌部の遠祖・天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る安房神社の磐座です。細長い形状をした巨石で、中央部分に神の座を設け社(やしろ)をはめ込んでいます。はめ込まれた社は厳島神社です。
ちなみに今回のテーマには関係ありませんが、安房神社は延喜式神明帳に「安房坐(あわにいます)神社」と記されているそうです。「絶対そっちの方がカッコイイじゃん!」と思ったのは自分だけじゃないはずです。
安房神社の磐座 |
安房神社の磐座 |
平舘天神社の磐座
こちらは旧朝夷郡の千倉町にある平舘天神社。全景をとらえられないためわかりづらいかもしれませんが、細長い形状と中央に社を設置するところが安房神社とほぼ同じです。
平舘天神社の磐座 |
平舘天神社の磐座 |
布良崎神社の磐座
こちらは忌部の祖・天富命(あめのとみのみこと)を祀る布良崎神社の磐座です。安房神社や天神社の磐座より大きめです。また意図的に削られているようです。
布良崎神社の磐座 |
布良崎神社の磐座 |
布良崎神社の現地案内板に興味深い一文が記されていました。
「一の鳥居と磐座を結ぶ直線状に太陽が沈むのが夏至、磐座の海への直線状に太陽が沈むのが冬至に当たります。」
磐座の向く方が冬至線、磐座と鳥居を結ぶ直線状が夏至線ということですが、このことから少なくとも磐座には向きがあることがわかりました。確かに、上画像を見てのとおり先端部分が尖っていたのでそれが向きと言われればそう思えてきます。
またこちらには明治10年に祀られた新岩座(磐座)があったのですが、現地案内板に「方向は人工的に彫って修正をしてあります。」と記されています。このことからもやはり磐座に向きがあるのは確かなようです。
謎の弁財天からのお導き
2018年に集中して房総半島に訪れていたとき、この日は白浜に宿をとっていたので向かっていたところ、野島崎灯台の辺りで海岸沿いに気になる物体が目に入ったので、車を停めて見に行ったのがこちら下画像です。
渚弁財天祠 |
近づくと渚弁財天祠と記されており、東洋建設が昭和64年に奉納したものだという情報しかありません。しかし、これ布良崎神社の磐座とそっくりじゃないですか。ここでようやくピンときました。
「そうやって使うのか!」
岩石の端の部分をあたかも座席のように削り祠を置いていますよね。布良崎神社もたぶんあの削った部分を座と見なし、神に座してもらうというということではないでしょうか。由縁のよくわからない弁財天さまに凄いヒントをもらうことができました。
さらに安房神社と平舘天神社の磐座が中央部分に社をはめ込んでいたため惑わされましたが、両社の磐座も同系統ではないかと思われます。細長い岩石のどこに祠を置くかの違いでしょうか。
イヤ・・
色々思い返すと、安房神社も天神社も祠や碑が先端部分に置かれています。そうした名残りがあるからこそ両社ともあの部分に祠や碑を置いているのではないでしょうか。
安房神社 |
平舘天神社 |
布良崎神社 |
布良崎神社の磐座の先端が冬至線を指すように、そして渚弁財天祠の磐座の先端に神坐があることからも、先端部が前方となり、また磐座の向く方向になると言えるのではないでしょうか。しかしそうなると困ったことに、もしくは驚くことに、紹介した三社全ての社殿と磐座の向きが異なることになってしまいます。
何故か辻褄の合う磐座の向き
Google map 安房神社 ①社殿の向き ②参道と磐座の向き |
安房神社は参道と拝殿の向きが異なります。なぜ社殿の向きが異なるのかはわかりませんが、ともかく上記した推測を当てはめると、磐座と参道が全く同じ方向を向くことになります。そしてなんといっても、こちら『安房忌部系神社の向く先にあるものが凄い①』でも触れましたが、この磐座と参道の向く方角そのままに直線を引くと、なんと、洲宮神社の旧在地に到達することがわかったのです。どことなく、そしてなんとなく辻褄が合うように思えます。
Google map 平舘天神社 ①社殿の向き ②磐座の向き |
平舘天神社も上記した磐座の向きの見解が正しければ、磐座は海側を向くことになります。天神社ですから雷神を祀っている、もしくは当初は祀られていたと思われるので海側を向いていた方が妥当かと思われます。でもこれはちょっとこじつけた感は否めませんけどね。
Google map 布良崎神社 ①社殿の向き ②磐座の向き |
布良崎神社に関しては、上記したように神社側が「冬至線を表す」と自ら述べているので間違いありません。さらに磐座の向く方を前方にすると天太玉命と天比理刀咩命が元々祀られていた男神山・女神山が視界に入ります。
ということで、これら上記した点からも、磐座の神坐を設けた先端部分が前方になると各社とも何かと辻褄が合うように思えます。ですから磐座、もしくは安房の磐座には向き、もしくは少なくとも前後の概念があることはほぼ間違いないと思われます。
さらに思い返すと、鉈切洞穴にも、そして那古寺の丘陵下に通る街道沿いにも磐座として利用されていたのではないかと思われる同じような形状の岩石がありました。それらも磐座だとすれば、安房地方では標準化されたかのように同じタイプの磐座が広まっていたのかもしれません。
鉈切洞穴にあった岩石 |
那古寺付近にあった岩石 |
まとめ
安房地方にみられる磐座の特徴は以下。
〇一枚岩で細長い形状の大きめな岩石を用いる。〇岩石の先端部分に神坐を設け、神の依り代としていた。
〇神坐を設けた先端部分が前方になると思われる。
〇磐座の向く方向には何かしらの意味・意図があると思われる。
安房の磐座まとめ |
0 件のコメント:
コメントを投稿