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毘沙門洞窟と盗人狩

2016/08/05

海蝕洞穴 三浦市

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毘沙門洞窟と盗人狩


三浦半島南端の毘沙門にある海蝕洞穴に行ってきました。正式名称を毘沙門洞窟弥生時代住居跡群と言います。その名のとおり、ただの海蝕洞穴じゃありません。弥生時代から住居や墓として活用されてきた洞窟です。また近くにある盗人狩という場所にも行ってみました。盗人狩はただの地形かと思っていましたが、実際に見てみると結構迫力のある景色でした。

基本情報

名称 :毘沙門洞窟弥生時代住居跡群
分類 :海蝕洞穴
用途 :住居・墓

住所 :神奈川県三浦市南下浦町毘沙門

毘沙門


松輪の間口・江名から西に向かうと毘沙門となります。近世の書物に「毘沙門村」の記述がみられるので、毘沙門は少なくとも江戸時代からある地名のようです。その名の由来となったのが毘沙門にある毘沙門堂。三浦の海岸沿いで色んな鳥を見ることができましたが、こちら毘沙門では、ウミネコが集まっていました。

毘沙門のウミネコ

毘沙門の横穴


毘沙門の漁港入口と内部に横穴がみられます。一見して自然の形状にも見えますが、中に石塔らしきものが置かれています。『三浦こども風土記』に、松輪・毘沙門の辺りにいくつも横穴墓があったと記されていたものの、それがどこにあるのか、さらには現存しているのか、さっぱりわかりません。

毘沙門港入口県道沿いにある横穴

岩礁のみち


毘沙門洞窟に向かうため岩礁のシーサイド・ハイキングコースを歩いていきます。円柱の上を歩く箇所があったりと、気分はアスレチックです。それから岩礁の色が明らかに異なる箇所があります。どうしてこんなことになっているのか、この辺りは地層の勉強しないとわからないんでしょうね。

毘沙門岩礁のみち
気分はアスレチック

毘沙門洞窟


しばらく歩くと、浅間山の浜と呼ばれる付近の崖地にその毘沙門洞窟があります。ちなみに4穴あるそうで、最も大きいものは入口幅11m、奥行きは20m、最小のものは入口幅5m、奥行きは8mとありました。11m×20mって・・想像しただけでエクセレントな大きさです。

そして見えました!発見、がしかし、”ナニこの緑”、胸元まで覆いつくされてしまいます。しかも足元がどうなっているのか全くわからず、そして極め付けはトゲのある植物が辺り一帯を占めていることです。七分丈のズボンで来てしまったので膝下はすり傷だらけ&出血。すぐそこに穴が見えるのに一旦あきらめることにしました。

向こうに穴が見えるのに・・

今度こそ毘沙門洞窟


近くに今度は若干の踏み跡がみえる入口を発見。それでも先ほどのトゲ付き植物地帯を歩かなければならず、またまたすり傷だらけになりながらようやく現地案内板に辿りつき、その先にある洞穴に向かうことができました。もしかして残念なことに、よりにもよって最小サイズのものでしょうか。入口幅5m、奥行き8mに該当するサイズと思われます。

毘沙門海蝕洞穴

中に入って行くと、海蝕洞穴は奥がミソと云わんばかりの何とも言えない雰囲気です。畳まれた衣服とタオルが丁寧に置かれていること、そして卒塔婆にも思える棒があったことなど、ちょっと気になります。が深く考えるのはやめておきます。

海蝕洞穴内部
思わせぶりな洞穴内部残留物

発掘調査の結果


発掘調査の結果、毘沙門洞穴では弥生時代から平安時代にかけての痕跡が確認されています。出土遺物は、土器・貝包丁・貝輪・打製石斧・磨製石斧・刀子・釣針・鉄製品・青銅製品・骨角製釣針・銛・ヤス・鏃・ト骨・人骨などです。生活の場・墓地などとして洞穴が利用されたことがうかがえます。そして何と言っても、この洞窟からは占いで使用する卜骨が出土しています。

洞穴内壁面
底部

それでは、見学もそこそこにして周辺を散策しました。あの向こうに見える”ひょっこり島”(勝手に命名、なお正式名称は不明)のおかげでしょうか、あの島がワンポイントになるためこの辺りの景観が一段と素敵に見えます。

ひょっこり島がある景色

盗人狩へ


毘沙門湾をぐるっと回って盗人狩に向かいたいと思います。先ほどあれだけ近くにあった”ひょこり島”があんな遠くに見えます。

遠くに見えるひょっこり島

途中、ちょうどいい岩石の窪みに住んでいる方がいらっしゃいました。洞穴に住んだ弥生時代の人たちも、このネコのように「おっ!ちょうどいい穴があるじゃん」って感じで住み始めただけなんでしょうね。

三年前からここに住んでいるという毘沙門在住のNさん

盗人狩海蝕洞穴


予期せぬ海蝕洞穴を見付けました。事前のリサーチでは確認していないものです。奥行きはありますが若干手狭です。墓場としては使えそうですが、住居には狭すぎるでしょうか。狭くても愛があればやっていける新婚夫婦向けの物件でしょうね。ちょっと微妙な海蝕洞です。またこちらは海抜が低いためか、満潮時にゴミを運んだ海水が入ってくるのでしょう。底面にゴミが取り残されています。

盗人狩毘沙門洞穴

また進むと、荒々しい岩礁が一休みといった感じに底面がいくらか平らになりました。それにしてもこの上に突き上げるような岩の形、どうやったらこんなことになるのでしょう、不思議です。

岩浜が若干一休みエリア 何げにひょっこり島も見える

海がキラキラしていてとてもキレイです。そして向こうの遠くに見える橋が宮川橋です。これから三崎に向かうので、あの橋を渡って行きます。あれだけ高い位置にあるということは、またまた結構な坂道を登るということなんでしょうね、キレイな景色に見とれながらもそこだけが気がかりです。

岩礁と宮川橋

盗人狩


そして盗人狩と云われる場所に到着。結構迫力ある地形です。たぶん画像じゃ伝わらないでしょう。”ただの地形でしょ”と、行くかどうか迷っていましたが、来てよかったです。

盗人狩
盗人狩の奥に入ったところ

奥に入っていくと海に埋まっていない海蝕洞が3つ確認できます。3つある洞穴は、これまで見てきたものと比べると、生活空間としての利用は微妙な雰囲気です。ちなみに盗人狩とは、盗賊がこの崖の端まで追い詰められ、下を覗くと高さ30mの断崖に足がすくみ動けなくなり、たやすく捕まったことから「ぬすとがり」と云うようになったと云われています。

城ヶ島の馬の背洞門みたい まだ見たことないけど
海蝕洞内部

地名の由来にあるように、確かにここは動物でも下りてこれないと思います。義経でも無理でしょう。それにしてもこの地形、盗賊、特に海賊向けの絶好の隠れ家になると思います。小船であれば、そのままこの奥地まで来れますし、見渡しの良い浦賀水道にあってこの地形です。絶好の隠れ蓑になるでしょう。「ぬすとがり」の名の由来は別として、そもそもそうした賊の類がここにいたことから語られた伝承ではないかと、ふと思えてなりません。


満潮時に岩礁の窪みに入った海水が取り残された水溜りを”タイドプール”と云います。取り残された期間によってその水溜りの色が異なります。

タイドプール そして何げにひょこり島

三浦半島にある海蝕洞穴は今回向かった毘沙門洞窟のように弥生・古墳時代の痕跡が残されたものも少なくありません。しかし、どれなのかわからなかったり、内に入れなかったりなどの状況が多かったので、今回はともかくお目当ての史跡にたどり着くことができて良かったです。あと三浦半島の奥まで来ると景色が絶景です。

参考資料

『三浦こども風土記』
たてやまフィールドミュージアム

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