円覚寺塔頭の
黄梅院(おうばいいん)は、円覚寺境内の最奥で最も標高の高い位置に所在しています。寺院の最奥にあって最も標高の高い場所に位置するものといえば、通常は開山塔などが所在しています。塔頭なのに何だか凄い存在感です。
山号寺号 伝衣山黄梅院
建立 文和三年(1354)
開山 夢窓疎石
開基 饗庭氏直
宗派 臨済宗円覚寺派
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円覚寺境内図 |
夢窓疎石の塔所で足利氏の菩提寺
黄梅院は方外宏遠が文和三年(1354)に開創した円覚寺15世の
夢窓疎石(むそうそせき)の塔所です。夢窓疎石は
五山文学(京都・鎌倉五山の禅僧によって書かれた漢詩文)の隆盛に大きく貢献した人物です。そのため夢窓疎石を師と仰ぐ夢窓派の関東における一大拠点となりました。また応安元年(1368)には室町幕府二代将軍
足利義詮の遺骨が分骨されたことにより、足利氏の菩提寺ともなりました。
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黄梅院(10月) |
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足利氏の家紋が掲げられた観音堂(5月) |
黄梅院以前の境内
下画像は『
円覚寺境内絵図』の一部です。絵図は鎌倉幕府滅亡(1333)直後に描かれたと云われています。上記したように、黄梅院は文和三年(1354)の建立なので、この絵図が描かれた時代にはまだ存在していません。○内に描かれた塔のような建物は弘安年間(1278~1287)に建てられた
華厳塔です。建長寺の華厳塔が
北条貞時十三回忌法要の際に妻の
覚海円成尼によって建てられていることから、こちら円覚寺も時宗の妻の
覚山志道尼が建てたものと考えられています。
弘安九年(1286)北条時宗の三回忌に覚山志道尼が華厳経を書写してこれを供養したという記録が残されています。
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円覚寺境内絵図 |
黄梅院に行ったことのある方なら絵図にあるちょっと高台になっている部分など、確かに黄梅院のあの辺りの地形に似ているということが伝わるかと思います。
妙香池の作庭者は?
ちなみに
仏日庵の手前にある
妙香池、絵図にもそれらしきものが描かれています。一説には夢窓疎石が造ったとも云われていますが、市史などの厳格な歴史書では一切触れられていません。信じるか信じないかはあなた次第といったところでしょうか。まぁ岩の削り方が
瑞泉寺に似ているちゃぁ似ているかもしれませんけどね。
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妙香池 |
黄梅院夢想派やぐら
境内奥の立ち入り禁止エリアに”やぐら”があることは前からわかっていました。私がこれほど鎌倉を、そして”やぐら”を愛していること、さらには僧侶でもないのに私も夢窓派であるという調子の良い言い訳に、現在の黄梅院住職も許してくれるだろうと、申し訳ありませんがちょっとだけ見学させてもらいました。ぱっと見た限り”やぐら”は5基、しかも黄梅院らしく気品のある素敵な雰囲気でした。というか本当に切岸の造作とうまく窟穴がマッチしてるんです。黄梅院に住してきた僧侶らが葬られてきたのでしょう。
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夢想派やぐら |
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切岸上部にあった造作 きっと何かを埋め込んでいたのだろう |
あの鎌倉アイドル?も黄梅院に訪れていた
豊臣秀頼の娘で
東慶寺20世の
天秀尼も黄梅院に訪れています。東慶寺にある彼女のお墓に本人が黄梅院に参禅したという旨が刻まれています。墓塔の彫りは意外と明確に読み取れます。まだ見たことないという方は、東慶寺に訪問する機会があればぜひ確認してみてください。
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天秀尼の墓塔
①「天秀和尚」 ②「秀頼公之息女」 ③「黄梅院」 |
市史によれば、永仁二年(1294)に
北条貞時が
禅院の禁制を定めていて、その中に「
比丘尼・女人の僧寺に入るを禁ず」とあります。ですから天秀尼がどうやって円覚寺に入って行ったのかとずっと疑問に思っていましたが、禁制の続きに「
円覚寺においては毎月四日の時宗の忌日には入寺を許す」とあり、さらに
毎月9日の覚山志道尼の忌日、毎月26日の貞時の忌日に比丘尼・女人の入寺を許すともあったので、こうした特別な日に天秀尼が円覚寺の黄梅院に訪れることができたのかもしれません。覚山志道尼は東慶寺を開いた人物で、円覚寺境内にある
仏日庵に墓所がありました。ですから意外と天秀尼は結構な頻度で円覚寺に訪れていたのかもしれません。それにしても天秀尼さん、夢窓派だったのでしょうか。
紅葉期の黄梅院
下画像は紅葉期の素敵な境内です。観音堂の辺りが紅葉というか黄葉なので、黄梅院という寺号を思い浮かべさせてくれるようでした。
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紅葉期の黄梅院(12月撮影) |
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エリア別 北鎌倉)
記事作成 2016年11月1日
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