雨降山大山寺
鎌倉時代、鎌倉で大楽寺・長楽寺・理智光寺(現在全て廃寺)などの開山を務めた願行上人は、大山寺再興のため鉄造不動明王を自ら鋳造したと云われています。そして現在もその願行上人の”鉄不動”が大山寺に残されています。今回はそんな鎌倉とも縁が深い願行上人が中興した大山寺に行ってきました。
大山寺
山号寺号 :雨降山大山寺建立 :天平勝宝七年(755)
開山 :良弁
中興 :願行
大山寺の山号を雨降山と云い、大山の別名も雨降山と云います。大山は古来から霊山として、また雨降山と呼ばれるように、雨乞い信仰としての側面を持ち合わせています。そして大山寺と同じく大山にある阿夫利(あふり)神社、聞いたことのない面白い名前だと思っていましたが、大山寺の山号である雨降山を「あぶりさん」と読むことから、どうして阿夫利(あふり)神社という名前なのかがわかりました。ということで大山、大山寺、阿夫利神社はとても密接な関係にあります。
大山現地案内図より ①大山バス停 ②ケーブルカー大山駅 ③ケーブルカー大山寺駅 ④大山寺 ⑤ケーブルカー阿夫利神社駅 ⑥阿夫利神社下社 ⑦富士見台 ⑧頂上阿夫利神社本社 ⑨見晴台 ⑩二重滝 |
【①大山バス停】→【②大山ケーブル駅】徒歩で15分
【②大山ケーブル駅】→【③大山寺】徒歩で20分
【③大山駅】→【④阿夫利神社駅】ケーブルカーで4分
【④阿夫利神社下社】→【⑥阿夫利神社本社(頂上)】徒歩で90分
時間はあくまでも目安で大山観光電鉄と伊勢原市観光協会を参照しています。ケーブルカーで行って帰ってくるだけであれば何も問題はありませんが、阿夫利神社下社(上画像⑥)からさらに頂上本社⑧を目指すとなると、鎌倉のハイキングコース感覚ではちょっと厳しいかもしれません。
大山女坂
小田急線伊勢原駅からバスで大山まで向かいました。大山バス停からお土産屋さんや旅館が並ぶ商店街を15分ほど歩くと八意思兼神社が現れます。ここが最初の分岐点となり、ケーブルカーに乗るか、男坂で登って行くか、女坂で行くのかを決定します。男坂経由では大山寺には行けないので女坂で向かいます。新緑の景観と土を踏みしめる感触がたまりません。
分岐点となる八意思兼神社前 |
女坂 |
前不動
しばらくすると前不動なる古めかしいお堂が現れます。この後気づきましたが、ここからまた階段を登るとすぐそこに大山寺があります。大山寺の手前だから前不動なのかもしれません。
前不動 |
大山寺
そしていよいよ大山寺。参道が凄いです。もみじの新緑がこれでもかと視界を埋め尽くします。紅葉の時期にも来てみたいと思わずにはいられませんでした。
大山寺参道 |
階段を登ると大山寺本堂です。ここから眺望が望めます。この日は晴天でしたが、黄砂の影響からか景色がモヤっていました。残念。
大山寺 |
大山寺からの景色 |
境内の丘陵側には”やぐら”のような造作があります。伊勢原市でまさかこんなものが見れるとは思いませんでした。但しいつの時代のものなのかもわかりません。でも横穴があると鎌倉寺社っぽくてイイですね。
大山寺のやぐら |
鯉も泳いでます |
その他鐘楼や大きな宝篋印塔などがあります。狭いながらも素敵な境内です。”もみじ”と”やぐら”が個人的にツボです。
なんかカッコいい! |
圧巻の鉄造不動明王
大山寺は8・18・28と、8のつく日に願行上人が鋳たというご本尊”鉄不動”を拝観することができます。そしてこの日はなんと、8日だったので念願のお不動さまを見ることができました。感激。
堂内は撮影禁止です! |
神奈川県の公文書館によれば、願行は異国(蒙古)降伏の秘法を修する目的で大山に登り、百日間の難行苦行に入ったと云われています。師である意教房頼賢から与えられた一体の鉄造不動明王を前に一心不乱に祈ると、目の前に憤怒の形相をしたおどろおどろしい不動明王が姿を現し、なおも祈りをつづけると、鉄造不動明王はぱっと目を見開いたと云います。これに感涙した願行は、この時の不動明王の姿そのままに二体の鉄造の不動明王像を鋳造したとありました。このうちの一体は”試みの不動”と呼ばれ大楽寺(廃寺)に、もう一体がここ大山寺の鉄不動です。
大山寺縁起
寺伝によれば、大山寺は奈良東大寺を開いた良弁が755年に開山したと云われています。さらに弘法大師(空海)が三世として住持し数々の霊場を開いたとありました。現在登山コース上にある七不思議が霊地信仰として伝わっています。鎌倉時代では、糟谷氏の所領であったため、頼朝や実朝からの寄進など、幕府の庇護を受けていました。その後、一時荒廃したものの、文永年間(1264~1275)に願行上人がお寺の復興に努めました。
七不思議の一つ 子育て地蔵 |
阿夫利神社
大山寺からケーブルカー、もしくは女坂を登って阿夫利神社下社に向かいます。実は大山寺はもとは現在の阿夫利神社下社位置にありました。明治の廃仏毀釈による騒動によって現在の位置に移動することになったそうです。下社のある位置は元からなのか、やはり観光地として整備されたからなのか、よくわかりませんが底面がキレイに削平されているので昔の痕跡などはなさそうです。
阿夫利神社下社 |
そしてここから過酷な登山道を経て頂上まで行くと阿夫利神社本社があります。雨降山という雨乞い信仰があった土地柄ですから、ここ本社のある山頂から祈祷していたのかもしれません。当初は大山頂上まで来るつもりはありませんでしたが、ちょっとした手違いで登る羽目になってしまいました。しかし後日こうして縁起を調べてみると、ここ頂上まで来てこそ雨降山大山寺を堪能したと云えるのかもしれないと思いました。来て良かったです。でもほんと大変でした。
標高1252m頂上付近からの景色 |
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