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鉄の暗号・鎌倉編

2019/09/22

鎌倉市 地名

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鉄の暗号・鎌倉編


鉄の暗号・鎌倉編

ご好評につき『鉄の暗号・熱海編』に続く鉄の暗号・鎌倉編です。熱海が産鉄・製鉄地帯だったのではないかという疑問を晴らすため、最近は鉄に関する史跡や地名を調べていました。そこで得た知識をもとに、改めて鎌倉を見直してみると、なんと、鎌倉もかなりの規模で産鉄・製鉄地帯であったことがわかりました。

ということで今回は、鎌倉が鉄の都市だったという根拠を史跡と地名から読み解いて紹介していきたいと思います。

鎌倉の鉄の地名と史跡


下地図画像は鎌倉市内における鉄に関する疑いのあるものを含めた鉄の地名と史跡をマッピングしたものです。疑いのあるものも含めたとはいえ、こんな数になるとは思いませんでした。凄いです。そもそも鎌倉の「鎌」は当て字を変えれば釜ともなり、釜は鉄に関連する地名として全国的にも例がみられます。

また鈩などと同じく釜自体がタタラ製鉄そのものを表す例もあります。さらにその釜がまた鎌と表される場合もあるようです。そして鎌倉の「倉」もクロがクラに転訛した例がみられます。クロは黒で砂鉄の色です。

Google map 鎌倉
詳細は最下部のGoogle mapで参照できます

これら鉄に関連するであろう地名と史跡を全て解説していくのは難しいので、今回は選りすぐりの確実性が高い例をいくつかご紹介いたします。

鎌倉西海岸七里ヶ浜地区

虚空蔵菩薩は鉄の神


まずは、鎌倉が産鉄・製鉄の地であったことを証明してくれるのが虚空蔵菩薩です。虚空蔵菩薩は製鉄民の星神で明星天子ともいいます。

石川修道著『宗祖生国の先住者安房に移住した阿波忌部族の動向について』より。
忌部族の産鉄技術の信仰神が星神の虚空蔵菩薩である 。日本全国の虚空蔵山又は妙見山と名称される山は全て鉱山である。房総に仏教が伝播される以前から、忌部族の産鉄信仰は星神を拝した。古神道では、その星神を天御中主命と称し、仏教が伝播されると北辰妙見尊となる。北極星(北辰)の産鉄エネルギーを一番星に見出した時、その星神は虚空蔵菩薩・明星天子と表現される。



井上孝夫著『房総地域の山岳宗教に関する基礎的考察』より。
妙見は北極星、虚空蔵は金星であって、いずれも星神の信仰に関わっている。それと同時に、これらの神々の信奉者は製鉄集団でもあり、清澄山もまた房総の他の山々と同様、製鉄に関係の深い山だということが示唆されている。全国的にみても妙見・虚空蔵が製鉄と関わることはほぼ問違いのないところである。



「産鉄技術の信仰神が星神の虚空蔵菩薩」であり、全国的な例からも「虚空蔵が製鉄と関わることはほぼ間違いない」とあります。さて、鎌倉フリークの皆さんなら虚空蔵菩薩が鎌倉のどこにいらっしゃるかわかりますよね、そう、坂ノ下の極楽寺坂に虚空蔵堂があります。しかも「星神の虚空蔵菩薩」とありましたが、虚空蔵堂の前には星ノ井(星月の井)までありましたね。

坂ノ下虚空蔵堂

ここで改めて坂ノ下周辺を見てみると、稲村ケ崎七里ヶ浜龍口明神と、史跡・地名に鉄の暗号が紛れているのがわかります。

Google map 鎌倉
①虚空蔵堂・星ノ井 ②稲村ケ崎 ③七里ヶ浜 ④腰越 ⑤龍口明神

稲は鉄


谷川健一編『金属と地名』より引用。
「砂鉄は小鉄(こがね)とも種子(たね)ともいう。」「鉄など鉱物を扱う場合、これを植物に見立てて表現する例は多い。例えば、砂鉄のことを稲種などの作物と同じように種といっている。」「稲(いな)は鋳土(いな)で産鉄用語である場合がある。」



このように砂鉄を種と云うとあります。種(砂鉄)から生まれた稲は鉄ということになり、また産鉄用語である可能性が指摘されています。このことらも稲村ケ崎の「稲」とは鉄である可能性が考えられます。さらに七里ヶ浜は昔は金洗沢と呼ばれていたことが吾妻鏡にも記されています。金洗沢は砂鉄選別の最終工程の場に付けられる名称です。実際にも七里ヶ浜の砂浜が黒いのは砂鉄の色です。

七里ヶ浜

ここで少し遠回りとなりますが、鎌倉の地名の歴史を調べていたとき、吾妻鏡にも記された歴史ある地名である金洗沢を何故わざわざ七里ヶ浜などというどうでもいい名にされてしまったのかと思いましたが、今回の鉄に関する調べものをしている最中に、たたら製鉄の立地条件として「粉鉄七里に炭三里」というたたら製鉄業界のことわざがあることを知りました。

これは製鉄過程において、砂鉄を入手するためには七里(28km)まで離れてもよいが、炭を入手する場所は四里(12km)までにしておけという教えになります。ですから七里ヶ浜という地名は、鉄に関する土地であることを示唆するため、たたら製鉄のことわざ「粉鉄七里に炭三里」の「七里」から名付けられたのかもしれません。もしくは単に紀伊・熊野の七里御浜を真似ただけかもしれませんけどね。

雨乞いの伝承がある田辺ヶ池
そもそもここが金洗沢とも

腰越の五頭竜


井上孝夫著『畠山重忠と鉄の伝説』に「竜蛇信仰はもちろん製鉄民のものといってよいだろう。」とありました。熱海の走り湯温泉には、地中に龍が棲み、湯や煙を吐き出していると伝えられており、その尾は箱根の芦ノ湖まで続いていると云われています。

また三浦半島のたたら浜からも近い観音崎の権現洞穴には大蛇が棲んでいたと伝えられています。どちらも鉄に関連する土地柄です。そして江ノ島からも近い龍口明神社(旧跡)には五頭竜が祀られていました。

江ノ島の海蝕洞穴に祀られた五頭竜

腰越の地名の由来には以下のような言い伝えが残されています。

『かまくら子ども風土記』より
深沢にあった湖に五つの頭を持った竜(五頭竜)が住んでおり、津村の港に来ては子どもを食べてしまうため、人々は泣く泣くこの地を離れたことからこの辺りを子死越・子死恋と云うようになった。



深沢の湖に棲む五頭竜が腰越周辺で子供を食べてしまったということですが、一説にはこの竜は川の氾濫や津波を表したものだとも云われています。そこで、出雲のたたら製鉄の地である菅谷に、こうした事例に当てはまるものがあります。


谷川健一編『金属と地名』より
風化した花崗岩を切り崩してその土砂を樋に流して砂鉄を採取する鉄穴流しの手法は選鉱後、土砂を下流に押し流した。そのために流域一帯は山林の伐採や自然の流砂と相まって、下流地域の川底を異常なまでに持ち上げた。



このような事例から、出雲の菅谷では、常に河川氾濫の猛威にさらされていました。腰越の五頭竜も川の氾濫を表したものだとすれば、菅谷と同じく傾斜地を利用して採鉄する鉄穴(かんな)流しという地形に負荷をかける手法によって引き起こされた災害なのかもしれません。

出雲では、このことによって「八大竜王を祀る大きな石碑が農民の手でいくつも建てられている。」とありました。それは農民の、製鉄民との対立と治水に対する歴史を物語っているのかもしれません。したがって腰越の五頭竜も出雲地方の八大竜王と同義ではないかと考えられます。

腰越からの景色

坂ノ下から腰越にかけて、これらの地名と史跡が単発で所在していたならまだしも、この地区にこれだけ集中し、またそれぞれが連鎖していることからも、これら虚空蔵堂・星ノ井・稲村ケ崎・七里ヶ浜・腰越・龍口明神社は、鉄に関連する地名・史跡と考えられるのではないでしょうか。

梶は鍛冶


ちなみに五頭竜が棲んでいたという深沢方面に目を移すと、梶原という地名が近接しています。頼朝の懐刀とも評された梶原景時の本貫地です。「梶」は「鍛冶」から転訛した地名であることは全国的にも知られています。

そしてこの梶原の地が本当に鍛冶の地であったなら、梶原氏は鎌倉権五郎景正から派生して梶原氏を名乗っている一族なので、平安末期に既にこの地が鍛冶の地であったことになります。桓武平氏鎌倉党の製鉄地帯であった可能性が考えられます。

Google map 鎌倉
①洲崎 ②梶原 ③笛田 ④火の見下 ⑤葛原岡 ⑥笹目

鉄に関する代表的な地名に、須賀・菅・洲処(スガ・スカ)、須佐(スサ)、諏訪(スワ)、真(サナ)、寒(サム)、錆(サヒ・サビ)、佐倉・桜(サクラ)、笹(ササ)などがあります。鉄が砂(サ・ス)から派生するためでしょうか、比較的サ行にその名が集中する傾向がみられます。

洲崎笹目がこれに当てはまります。出雲・因幡・伯耆地方の鍛冶神伝承に「氏神が片眼になったのは笹でついたため」とあります。ですから笹目という地名は「ササ」と「片眼」という、鉄を表す重要なキーワードで構成されていることがわかります。

ちなみに吾妻鏡では「笹目」を「佐々目」と記していますが、出雲・因幡・伯耆地方では「楽々福」と書いて「ササフク」と読む鉄の神がいます。そもそも当て字は時代や地方でいくらでも変わってしまうので、地名の解読は字をあてにせず、発音で読み解くのがコツみたいですね。

深沢
龍が棲むほどの湖があったとは思えないほど土地開発が進んでいる

六浦道地区

稲荷社の稲も鉄


上記したように、稲村ケ崎の「稲」が鉄であれば、稲荷神社が鋳物師や鍛冶師などから崇敬を集めてきた歴史からも、稲荷神社の「稲」も鉄を表している可能性が考えられます。

鎌倉にある実例として、無量寺跡(鎌倉歴史文化交流館)には、中世末期から近世にかけて刀工正宗の後裔・綱廣の屋敷があったとされ、その綱廣が刀鍛冶を守護する刃稲荷を祀っていたことがわかっています。のちに三菱財閥の岩崎小弥太がその綱廣の刃稲荷を合鎚稲荷として復興させ現在もその跡地が残されています。

合鎚稲荷跡

浄明寺から十二所にかけての六浦道沿いに鎌足稲荷と大江稲荷が所在しています。そしてこの地域、鉄のテーマから改めてみてみると、まさに鉄のエリアです。

Google map 鎌倉
①杉本寺 ②鎌足稲荷 ③大楽寺跡 ④大江稲荷 ⑤鑪ヶ谷 ⑥太刀洗

六浦道沿いの稲荷社


明王院の対面にある谷戸を明石ヶ谷と云い、大江広元の屋敷があったとされています。大江稲荷は、その明石ヶ谷から六浦道を挟んだ対面の谷戸にありますが、大江家の屋敷神であったと云われています。

大江稲荷社

浄妙寺にある鎌足稲荷の名は、鎌倉の地名の由来の一つである、藤原鎌足が鎌を埋めたから鎌倉と呼ばれるようになったという説に対して、新編鎌倉志に、浄妙寺にある稲荷神社が鎌を埋めた旧地と云うとあることから、そう名付けられたのだと思われます。

また吾妻鏡に登場する「大倉稲荷」がこの鎌足稲荷であるという説があります。ちなみに大御堂ヶ谷にある大蔵稲荷は、若宮大路沿いにあった稲荷社が越してきたものであるため、元々「オオクラ稲荷」ではないことがわかります。

鎌足稲荷社

その名の由来は置いておくとして、ともかく、鎌足稲荷と大江稲荷の位置がこれだけ近接していることからも、この辺りに稲荷社を崇敬する鋳物師や鍛冶師が多くいたことを伝えているのかもしれません。鎌倉にはその他にも、源頼朝が創建した鶴岡八幡宮より以前からその地にあったとされる丸山稲荷、観光地としても人気の高い佐助稲荷などがあります。

タタラ


鈴木かほる著『三浦半島の史跡みち』より
タタラとは踏鞴吹(たたらぶき)のことで、大きな鞴(ふいご)を足で踏んで空気を送り、砂鉄や木炭を原料として製鉄する我が国独自の技法であり、その精錬場をタタラと呼んでいた。



十二所に鑪ヶ谷(たたらがやつ)があります。タタラ製鉄が行われていたことをダイレクトに伝える地名です。実際にも願行上人が大山寺の本尊・鉄不動を鑪ヶ谷で鋳たと云われています。またその願行上人の開いた大楽寺(廃寺)が浄明寺地区にありました。

そして朝比奈切通しの入口にある太刀洗は、梶原景時が上総広常を斬った刀をここで洗ったという逸話にその名が因むとされています。人を斬った刀を洗えばその水は赤くなりますよね。これは酸化した鉄の赤褐色土を表しているものと思われます。現在でも朝比奈切通しではその血の色が確認できます。

朝比奈切通し

製鉄過程において「鞴・吹子(ふいご)を踏む(風を送ること)」役目を番子といいます。そして太刀洗の近くに番やぐらと呼ばれる横穴があります。こちらは朝比奈切通し沿いなので、見張りの番役がいたことにその名が因むと云われています。しかしこちらも鉄のテーマで考えてみると、製鉄が行われていた鑪ヶ谷にあって「番」という名が付けられた訳ですから、ちょっと怪しいですよね。

行基と空海を疑え!


行基・空海(弘法大師)・円仁(慈覚大師)などが訪れたとされる地には、それら一派の教線の拡大という名目とは別に、鉱山資源の探査と取得が目的であるケースが見受けられます。

鎌倉の場合、行基が開いた杉本寺虚空蔵堂、空海が開いた今泉不動江ノ島などがあります。虚空蔵堂は上述したとおりで、杉本寺はそもそも「杉」が鉄に関わる重要なキーワードであることは多くの歴史家から指摘されています。

また空海の開いた今泉不動では、空海が泉を湧き出させたと伝わっていますが、そもそも鉱脈探査をしていたら温泉が湧き出てきたというケースは全国的にもみられます。また泉を鉱石と例えることもできます。そして空海が参籠したと伝わる江ノ島は、役行者も訪れたことになっているので、それはつまり修験道と鉱山に関わる地域であったことがわかります。

杉本寺

まとめ


古代鎌倉では、上記したように、行基や空海の一派が鉱山資源の探査と取得を目的として訪れていた可能性が考えられます。そして平安末期では、桓武平氏鎌倉党が製鉄に関わっていた様子が地名や縁起などからうかがえます。鎌倉時代では、大仏建立のための鋳物師が鎌倉へ多数流入したことは想像に容易です。

また鍛冶師や鋳物師がいたところには、稲荷神社があることもわかりました。そして何といっても、腰越の五頭竜の伝承が鉄に関連する河川の氾濫だったということが説明できたのではないかと思います。

歴史書に「鉄は金に比する」とあるように、我々現代人が思っている以上に、昔は鉄がとつもなく需要のある、そして利用価値の高い資源であり、産業だったのでしょう。昭和時代の下町にあった町工場のように、各地域に鍛冶師や鋳物師がいたのではないでしょうか。往時の鎌倉では、谷戸ごとにお寺があったと云われていますが、もしかしたら鍛冶師や鋳物師も谷戸ごとにいたのかもしれませんよね。

梶原御霊神社
今回の主役は五頭竜と梶原氏

参考資料

谷川健一著『金属と地名』
鎌倉市編『かまくら子ども風土記』
鈴木かほる著『三浦半島の史跡みち』
石川修道著『宗祖生国の先住者安房に移住した阿波忌部族の動向について』
井上孝夫著『房総地域の山岳宗教に関する基礎的考察』『畠山重忠と鉄の伝説』

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