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鎌倉十二所の廃道・廃谷戸|和泉ヶ谷

2021/09/16

鎌倉市 旧跡 古道

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鎌倉十二所の廃道・廃谷戸 和泉ヶ谷



鎌倉の十二所には和泉ヶ谷という谷戸がありました。しかし近現代にて鎌倉霊園の用地として整備され跡形もなく廃されてしまいました。そこで今回は『十二所地誌新稿』にあったその和泉ヶ谷の記述をもとに当時の様子を探ってみたいと思います。

和泉ヶ谷


上記のとおり十二所には和泉ヶ谷という谷戸がありました。現在は鎌倉霊園となっています。『十二所地誌新稿』にこれといった記述がなかったので、谷戸に寺院の伝承はないようです。そして主に農地として活用されていたためか、奥畑・無名田・とうほし田・石名畠など、大よそ田・畑の付く字名が多く記されていました。

Google map 十二所
①和泉ヶ谷 ②朝比奈切通 ③十二所神社 ④光触寺 ⑤瑞泉寺

それにしてもよくもまあこれだけ広大な敷地を霊園として買収できたものだと思いましたが、そこはやはり西武が関わっていると十二所地誌に記されていました。納得です。

ちょっと面白かったのは、隠し田という所があって、税金を逃れるための田んぼが目立たないような場所にあったそうです。

和泉ヶ谷の廃道


そこで今回は『十二所地誌新稿』に記されていた和泉ヶ谷を経由する古道に注目してみました。瑞泉寺の一覧亭から和泉ヶ谷を経由して朝比奈峠の中腹、つまり朝比奈切通の熊野神社のある辺りまでに至る道筋が記されていました。

Google map 十二所

①瑞泉寺一覧亭 ②お塔の窪入口 ③女乙坂 ④御坊山 ⑤無名田 ⑥東方司田 ⑦石名畑山 ⑧丸山 ⑨朝比奈峠中腹


『十二所地誌新稿』より引用。

瑞泉寺裏山の一覧亭より茅場山を横断して番場谷お塔窪入口に出て川を渡り、女乙坂を御坊山に登り再び下って無明田を東方司田に出る。是より石名畑山の西麓より頂上に登り、丸山の道に出て朝比奈峠中腹に至る。出口の処々に二、三の矢倉あり、中には五輪塔片が散乱する。



「登って・下って・麓より」などという表現からも、地形に随分と起伏があったことに気付かされます。但しそれも霊園として土地が完全に削平されてしまったのだろうと思っていたら、グーグルマップの3Dで確認すると意外に今でも高低差のあることがわかります。

そしてなんと、これまで個人的に偶然に足を踏み入れた部分がこの記述内にあるので併せてこの道を紹介してみたいと思います。

それからもう一つ、道には名前がないと味気ないですよね。大抵は「六浦道」のように行き先がそのまま道の名になりますが、今回は和泉ヶ谷の特集なので文中にある字名をつけたいと思います。そうですね、⑧の丸山が良さそうです。ですから鎌倉遺構探索はこの道筋を丸山道と名付けます。


丸山道の御坊山


ちなみに文章の冒頭にある「瑞泉寺裏山の一覧亭より茅場山を横断して番場谷お塔窪入口に出て川を渡り、」という部分は現在も普通に歩けます。但し文中にある「茅場山」がよくわかりません。瑞泉寺裏山に、文政十二年(1829)の銘がある「北条家御一門御廟所道」と刻まれた石標の奥の地形が古墳のように盛り上がっているのでその辺りを指すのかもしれません。ですから瑞泉寺裏山から普通に天園ハイキングコースを歩くのだと思います。

瑞泉寺裏山にある江戸時代の石標

「番場谷お塔窪入口に出て川を渡り」とあるので、瑞泉寺裏山から天園ハイキングコースを天園方面に進むと、下りて行ける道があるのでそこを進みます。この道はあまり使う人がいないためか、いくぶん道がゴツゴツしています。

天園ハイキングコースからお塔の窪やぐらに向かう道

しばらくするとお塔の窪やぐらに到着します。他では見れない籾塔形式の一石造りの宝篋印塔が置かれている珍しいやぐらです。

お塔の窪やぐら

そのまま進むと川を渡る小さな橋があります。文中にある「お塔窪入口に出て川を渡り」の部分ですね。


ここまではいいのですが、ここから先は丘陵の崖が結構高いので向こう(鎌倉霊園側)に行ける箇所を知りません。文中にある「女乙坂」に繋がる道がどこかにあるのでしょうか。

この辺りの様相はまるでジャングル

そして「女乙坂を御坊山に登り再び下って」の御坊山ですが、これは十二所神社の裏山を御坊山というそうです。実はですね、ここ行ったことがあるんです。

十二所神社の地形をよ~く観察すると登って行ける小切通しがあるのでそちらを進むと御坊山となります。以前この道を発見したとき、どこに連れていかれるのだろうとドキドキしながら登った覚えがあります。

十二所神社の小切通し
御坊山尾根

そしてドキドキしながらたどり着いた先は、鎌倉霊園・・・・・。ちなみに『十二所地誌新稿』のよくわからなくなった道の一つとして「和泉谷或は十二所神社裏から丹海山方面へ」という記述があったので、たぶんこの道だと思われます。方向的にこのまま進むと天園~金沢を往来する古道にぶつかるので間違いないと思います。

以前、金沢から能見堂跡を経由して天園まで歩いてみましたが、確かに、天園に近づいたとき、十二所方面に行ける道筋があったような気がします。

鎌倉霊園・・


丸山道の丸山


「無明田を東方司田に出る。是より石名畑山の西麓より頂上に登り」という部分は鎌倉霊園の敷地なので省かせてもらって、クライマックスの丸山部分に移ります。

朝比奈切通の坂道のピークとなった辺りに石切り跡や熊野神社への分岐路が現れます。その辺りに熊野神社とは反対側の丘陵に奥へ入って行ける道があるのでそちらを進むと、文中にある「出口の処々に二、三の矢倉あり、中には五輪塔片が散乱する」という記述にピッタリのやぐらがあります。たぶんこのやぐらのことだと思います。

「二、三の矢倉あり」の記述にあるやぐら

このやぐらから意外にも登り道があったので行ってみると、石積みや井戸跡らしき横穴などがみられました。

丸山への道
井戸跡らしき横穴


しばらくすると朝比奈切通を見下ろせる場所に到達します。下画像がそれで、小さすぎてわからないかもしれませんが、白い丸部分に人がいますよということです。この辺りをさらに奥へ行くと鎌倉霊園が視界に入るので、たぶんこの辺りが十二所地誌が示す丸山の道だと思われます。「丸山の道に出て朝比奈峠中腹に至る」という記述にピッタリです。

朝比奈切通を見下ろせる場所

ということで、十二所地誌新稿にある廃道の記述でしたが、意外にもそこそこ名残りがまだ残されていたということがわかりました。たぶんですけど女乙坂も霊園側から探せばどこかにあるんじゃないかと思います。


気になる記述


廃谷戸になりながらも意外に名残りがみえたということで気持ちよく終わろうとしたところ、もう少し地誌を読み進めると気になる記述が見つかりました。

『十二所地誌新稿』より引用。

〇〇氏が昭和の初め頃朝比奈峠左側の〇〇氏の所有地を買収したのを手はじめに広大な地域を買収して国宝館(今の観音堂)その他を建て、峠のふもとに入口を造って、そこから山へ登るようにした。その入口の跡は今も石垣が残っている。戦時中は高射砲陣地となり、金沢側より道が造られて出入りしていた。



なんかこの記述、鎌倉霊園の観音堂に近いので、今紹介した丸山道と少しかぶる道筋のようにも思えてきます。文中にある石垣とはもしかして下画像のものかもしれませんし、よくわかりません。

石積み

結局のところ鎌倉って踏み込み過ぎるとこういうオチが待っているんですよね。以前に朝比奈切通を歩いていたら、「これが鎌倉時代からある道なんだぁぁぁぁぁぁ」と大声で叫んでいたハイテンションな女子に話しかけられたことがありますが、これくらいの知識で終わらせておいた方が幸せなのかもしれません。

まとめ


ということで若干後味の悪い終わり方となりましたが、以前に十二所で色々と話を聞かせてもらったご老公がいるので、また機会があれば真相を聞いてこようと思います。また今回の道は、和泉ヶ谷が廃されたといっても霊園として形を変えて存在しているので、思いきって霊園も突っ切ってしまえば完歩できるかもしれません。自分はしないけど・・。

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