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三浦義村の墓|福寿寺塔頭南向院跡

2021/09/26

三浦義村 三浦市

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三浦義村の墓


南向院跡 三浦義村の墓入口

三浦義村の墓

石塔  :五輪塔
所在地 :福寿寺塔頭南向院跡
住所  :神奈川県三浦市南下浦町
駐車場 :なし

公共交通機関:京急「三浦海岸」駅よりバス「剱崎行き」に乗車「岩浦」にて下車



三浦市の金田港の近くにある福寿寺の塔頭・南向院跡に三浦義村の墓とされる石塔があります。原型が全くわかりませんが五輪塔とのことです。『新編相模国風土寄記稿』に「碑高七尺許」とあるので2mもの大きさの石塔でしたが関東大震災によって海中に一度落ちてしまいました。ですから現在の石塔は拾い上げられて組み直されたものとなります。

三浦義村の墓

『三浦半島の史跡みち』によれば、三浦義村の院号を南向院というそうなので、まさに南向院とは、義村の菩提を弔うために創建された寺院だったのでしょう。

南向院跡


三浦義村の墓がある南向院の本寺・福寿寺は上記したように三浦市の金田港の近くに所在しています。このとき三浦海岸から県道を下って向かいましたが、いちいち景色が素敵だったのでなかなか進むことができませんでした。海の向こうに見える双頭の山は房総では有名な富山という山です。

県道からの景色

県道沿いの南向院のある丘陵に大きめな横穴が見えます。三浦半島は鎌倉以上に防空壕の類が多いので、これもきっとそんなオチなのだろうと思いこのときはあまり気に留めませんでしたが、改めて見るとこれはやっぱりやぐらなんじゃないかと思います。

気になる横穴

県道から金田港の目の前を奥に入るとすぐに南向院跡があります。「三浦義村の墓」とわかりやすく記してくれているのですぐにわかります。地図上でいう岩浦八坂神社に向かうように階段を登っていきます。

三浦義村の墓入口

境内の地形が二段構えになっています。階段を登り終えると平場、そしてまた登って義村の墓となります。

途中にある平場

階段を登り終えると上で紹介した義村の石塔が置かれている平場となります。そしてこちらにはもう一つ、近現代で建てられた義村の墓があります。今こうして改めて見て思いましたが、石塔を囲う瓦堀の造作などが満昌寺にある三浦大介義明の首塚とそっくりだと思いました。同じ年代の同じ関係者が整備したのでしょうか。

義村の墓
義村の新しい方の墓

義村の墓の奥に岩浦八坂神社が所在しています。丘陵壁面に鎌倉市教育委員会の調査報告書の用語でいうところの祠状遺構が現れます。鎌倉だと常盤亭跡や十二所神社にあります。たぶんですけどこれは本当にこの祠を祀るように削られたもので、近世以降の造作だと思われます。

祠状遺構

福寿寺


それでは次に福寿寺に向かいます。義村の墓からすぐ近くにあります。この辺り、石垣のせいしょうか、どこか沖縄のような南国風の景色となっています。

福寿寺の近辺

階段を登ると岩浦山福寿寺です。寺伝によれば、正治二年(1200)三月に三浦義村が慶叔を開山に迎え創建したと伝えられています。寺宝として三浦義村の使用した鞍・鎧・脇差等の他、一ノ谷の鵯越の際、義村を導いたという伝承のある勝軍地蔵が保管されています。

福寿寺

福寿寺の奥がコンクリート舗装されているものの若干の旧態地形となっていたのでちょっと奥に入ってみることにしました。

福寿寺奥の地形

なんと、庚申塔があったので、この何気ない道はまさかの旧道、いや、福寿寺が鎌倉時代からあるのでまさかの古道ですよこれ。確かに、海岸線の県道は現代にて切り通されたものでしょうから、もしかしたら昔はここを通っていたのかもしれません。

庚申塔

そしてさらに登るようにして奥に行くと広大な畑地。「寺の裏山には松塚・岩浦の塚という塚が二つ残る。十三塚と呼び、多数あったが、農業のために崩されてしまった。」とあったので、たぶんこの畑地のことだと思われます。

怪しい畑地

そして「じゃぁ~ん!」高台から金田湾の景色が望めます。

金田湾

同族の和田義盛が開いたというお寺は三浦半島にいくつもありますが、三浦義村の開基と伝わるお寺はここ福寿寺しか個人的には把握していません。そして三浦義村の墓と伝わるあの石塔は本人のものである可能性が高いのではないでしょうか。今回紹介した岩浦にある福寿寺及び南向院跡そして義村の墓というこの史跡セットはとても希少価値が高いと思います。

参考資料

鈴木かほる著『三浦半島の史跡みち』
福寿寺現地案内板

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