2014年10月9日木曜日

江ノ島


太古の江ノ島


江ノ島は海底から隆起を繰り返し、現在のように島が完全に海面に姿を現したのは7~8万年前のことと考えられています。現在より一回り大きかった島の形状も打ち寄せる激しい波によって削られ現在のような形になったと云われています。江ノ島にある岩屋と呼称される洞窟は今からおよそ6000年程前から断層に沿って波が掘りすすんだ結果できたものです。このように形成された洞窟を海食洞と云います。島の周りには他にもこのような海食洞がいくつもみられます。

江ノ島稚児ヶ淵
海食洞(第一岩屋)

江ノ島の主な史跡


島全体に散らばるようように江島神社などの史跡が建てられています。歩いて堪能するのがベストですが、面倒くさいと思う方には島の入口(地図画像①)辺りから反対側にある稚児ヶ淵(地図画像⑨)を往来する船便が出ています。ちなみにただただ江ノ島の周りを遊覧する舟便もあります。一番上のタイトル画像はそのときの画です。

江ノ島現地ガイドマップ
①入口(青銅の鳥居) ②沼津宮 ③みどりの広場 ④中津宮 ⑤江ノ島頂部 ⑥一遍上人の島井戸 ⑦山二つ ⑧奥津宮 ⑨稚児ヶ淵 ⑩岩屋

江島神社


江島神社は三宮で構成されています。辺津宮(へつみや)中津宮(なかつみや)奥津宮(おくつみや)の三宮を総称して江島神社と云います。そして島の裏側にある岩屋(地図画像⑩)と呼称される霊窟がそもそもの江島神社発祥の地とされていて、なんと欽明天皇十三年(552)にこの地に鎮座したとありました。

辺津宮入口となる鳥居

江ノ島と陸をつなぐ弁天橋(大橋)を渡り順当に進むとまずあるのが、建永元年(1260)創建の辺津宮(下ノ宮)です。(地図画像②)御祭神は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)。

辺津宮から眺めた江ノ島弁天橋・大橋
沼津宮

仁寿三年(853)創建の中津宮(上ノ宮)の御祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。辺津宮から向かうと途中にあるみどりの広場から雄大な景色が望めます。中津宮はそこからさらに登った山腹に所在しています

中津宮
中津宮からの景色

頂部を越えて島の向こうにある本宮の奥津宮は御旅所とも呼ばれていました。こちらの創建年月日は記されていなかったので不明なのかもしれません。但し、鳥居は養和二年(1182)に源頼朝より奉納されたものとあったのでかなり古い歴史があるようです。御祭神は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)です。

江ノ島頂部から
奥津宮

後深草院二条北条泰時が江ノ島に泊まったことが文献で確認できますが、御旅所という名称からもこの辺りに来ていたのでしょうか。


山二つ


江ノ島をちょうど二分する境となっていることから「山二つ」と云われています。断層に沿って侵食された海食洞が崩落したころで山が二つ出来たと云われています。付近に一遍上人が掘りあてたと伝わる一遍上人の島井戸があります。

山二つ 

岩屋


岩屋は欽明天皇十三年(552)に鎮座したと伝わる江島神社発祥の地とされています。洞窟は波の浸食によって掘りすすめられた自然の造形物で海食洞と呼称されています。全長150mの第一岩屋と50mの第二岩屋で構成され、内部には弁財天をはじめ多くの石造物が置かれています。岩屋詣でとして昔から多くの庶民の信仰を集めていました。あまり勝手なことは言えませんが、パッと見た限り石造物自体はそれほど古いものではなさそうです。

岩屋内部
岩屋内にある石像物 十一面観音立像

岩屋には古くは役の行者(7世紀の呪術者)が参籠したと伝えられています。その他にも青蓮寺の伝承からは弘法大師、吾妻鏡の記述からは寿永元年(1182)に文覚が21日間参籠していたことがわかります。吾妻鏡に記されているものでその他にも私が覚えている限り、承元二年(1208)には鶴岡八幡宮の僧侶がこの岩屋で雨乞いの祈祷を行ったこと、建保四年(1216)には引き潮で江ノ島が陸続きになったなどと記されています。

弘法大師坐像
ここにも鎌倉名物の首のない石像物

北条時政と竜神伝説


北条時政は江ノ島に35日間参籠して子孫の繁栄を祈願しました。満願の夜に女房が現れ「汝が前世は箱根六十六ヶ国の霊地に奉納した善根によって生を得たのであるから、汝の子孫は末永く日本の主となって栄華を誇るがよろしい。但し、その挙動が政道に違うようなところがあれば、七代を過ぎずして滅びるだろう」と言いました。すると女房はたちまち二十丈ばかりの大蛇(竜)となって海中に入っていきました。その跡を見ると大きな鱗が三つ落ちていたことから、時政は祈願成就を喜び三鱗をもって旗印の紋としました。

稚児ヶ淵

逸話は太平記に記されているものです。吾妻鏡にあった頼朝の夢の話と似ていること、それから「七代を過ぎずして滅びるだろう」のくだりが出来すぎです。北条氏はちょうど七世代目で滅びているので、いかにも創作といった感がぷんぷん伝わってきます。たかが伊豆の在地領主があれだけの出世をしたのだから時政は神がかっていただけなんだと後世の人が妬みを込めて言いたかったのかもしれません。



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探索期間 2014年9月
記事作成 2014年10月9日


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