大磯城山公園は、長尾景春が築城した小磯城跡でもあり、そして古墳時代末期横穴墓にさらに郷土資料館まであるという、歴史好きの人にはちょっとしたアミューズメントパークと言ってもいいかもしれません。
Google map 大磯 ①高来神社 ②湘南平 ③大磯駅 ④城山公園 ⑤六所神社 |
大磯城山公園(上地図画像④)は大磯駅③から国道1号に沿って西に大よそ2.4kmの位置に所在しています。周囲より高い台地となっており、昭和初期に三井財閥総帥の三井高棟が別荘を築いていました。
小磯城
長尾景春によって築かれた小磯城は、文明九年(1477)に太田道灌によって落城したと云われています。中世の東海道は公園の北(下地図画像①)、もしくは南側②を通っていたようです。どちらにしろ小磯城(城山公園)は東海道、もしくは相模国を東西に移動する重要な街道を押さえる交通の要衝に位置していました。
Google map 城山公園 赤い線が中世東海道(想定) |
下画像は現代の東海道・国道1号から撮ったもので、左の丘陵が城山公園(国府本郷)、右が旧吉田茂邸(西小磯)となっています。近くにある橋を切通橋と云います。見てのとおり、この辺り近現代で随分と掘り下げられたのでしょう。
城山公園直下を通る東海道国道1号 |
大磯城山公園概要
城山公園は国道を挟んで北側が旧三井財閥別邸、南側が旧吉田茂邸となります。吉田茂邸は火事で焼失してしまいましたが、復元され内部を見学できるようになっています。下画像は現地案内板の旧三井財閥別邸エリアです。こちらに城跡や横穴があるので早速向かってみます。
城山公園現地案内板 ①展望台 ②堀切 ③横穴群 ④郷土資料館 |
大磯城山公園入口 |
小磯城跡
園内は三井財閥時代に大々的に整備されてしまったようで、城跡らしき痕跡はほぼ見られません。しかし入口から階段を登った辺りにそれらしき名残りが微かにみられます。鎌倉の尾根道なんかでもよく見られる堀切状の地形です。ここだけ山道を歩いているような雰囲気です。
堀切状地形 上から |
堀切状地形 下から |
鎌倉の源氏山周辺も現代で公園として整備されてしまっていますが、元々の地形をそのまま利用しているという説もあるので、こちら城山公園でもその可能性が考えられます。また、そもそも別荘や公園の造作にわざわざこのような堀切状の地形を施す必要なんかありませんからね、ここだけは城跡の名残りかもしれません。
城山公園展望台
それでは、展望台があるということなので、見晴台マニアでもある私は早速向かってみました。すご~い!見事な富士山、そして箱根山系の山々に加え相模湾が望めます。見晴台マニアも納得の景色です。
展望台からの景色 |
展望台からの富士山 |
明神ヶ岳と金時山 |
二子山・駒ヶ岳・神山 |
別に汗水垂らして山を登った訳でもないのにこんな景色を見れるのが凄いと思いました。それから、微かにではありますが真鶴の三ツ石や大室山も見えるんですよ。
城山横穴群
少し移動して古墳時代末期横穴墓が集中するエリアにやって来ました。ここに来るまでに大磯では結構面白い横穴を見ることができたので、特筆すべきものはありませんが、こちらでは後世にて随分と改変されているような部分がいくつかみられました。また柵があるので中に入れないという残念なシチュエーションです。
城山横穴群 |
こちらは左側部分と奥壁が切り出されているのでしょうか、ちょっとよくわかりません。
切り出されているような感じのなんかおかしい横穴 |
こちらは奥が随分と深そうです。奥にもう一部屋あって、さらに続く先がクランク状に折れ曲がりもう一つの穴に繋がっています。なんでしょうね、これ。防空壕の類である可能性が最も高いと思いますが、中世城跡の抜け穴だったら素敵です。でもこれきっと防空壕の類でしょうね。
奥行きのあるなんかおかしい横穴 |
洞窟のように奥深いなんかおかしい横穴 |
郷土資料館
それでは、横穴群からも近い郷土資料館に行ってみます。資料館の前面広場には織田有楽斎の茶室”如庵”が移築・復元されていたそうです。石はたぶんその名残りなんだと思います。
織田有楽斎の如庵跡 |
資料館に入ると、縄文時代の土器や高麗寺にあった鎌倉期の仏像などが展示されています。その他、横穴墓玄室内が復元されていました。
郷土資料館 |
横穴墓玄室再現 |
資料館の外には、なんと、シャガ・マニアをも唸らせる一面のシャガ畑。これまで色んな鎌倉寺社でシャガを見てきましたが、これはちょっとスケールが段違い。
美しすぎる感動のシャガ畑 |
ということで、大磯城山公園でした。園内には今回紹介できなかった部分がまだまだたくさんあるので、充分に堪能するには半日を要することでしょう。隅々まで整備された安全な自然環境でゆっくりしたい方にお勧めです。
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