雄島・瑞巌寺奥の院やぐら洞窟遺跡群
宮城県は松島町の松島湾に浮かぶ雄島は、瑞巌寺の奥の院とも呼ばれ、中世から供養の場とされてきた霊場です。そこには鎌倉の葬送文化であるやぐらが造営されていました。
雄島
名称 :瑞巌寺奥の院やぐら洞窟遺跡群
分類 :やぐら
用途 :墓
住所 :宮城県宮城郡松島町松島浪打浜24
公共交通機関:仙石線松島海岸駅から徒歩5分
雄島の歴史
現地案内板によれば、雄島で法華経6万部を読誦した見仏上人の名声を聞いた鳥羽院がその高徳を讃え、松の木1000本を下賜したことから、千松島と呼ばれるようになり、それが松島の地名の由来になったと云われています。このように縁起に鳥羽院が絡んでいるためか、雄島は御島とも記されます。
観応年間(1350~1352)に松島を訪れた宗久が記した紀行文『都のつと』から、雄島が遺骨や遺髪を納め供養する場所であったことがわかっています。島内には洞窟・石窟、もしくは鎌倉でいうところのやぐらが50基以上存在します。
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西行戻りの松公園からの景色 |
松島・雄島洞窟遺跡群
松島にはここ雄島の他、松島三霊廟と呼ばれる瑞巌寺・円通院・天麟院に洞窟遺跡、つまり鎌倉でいうところのやぐらが造営されています。上記した観応年間(1350~1352)に松島を訪れた宗久の紀行文にある「遺骨や遺髪を納め供養する場所」という記録からも、その頃に既にやぐらが営まれていた雰囲気が伝わってきますが、実際に訪れてみると、形状・サイズ・掘削技法からしてほぼ近世に造営されたものがほとんどのように思えました。
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松島洞窟遺跡 |
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松島洞窟遺跡 |
窟内の浮彫りが興味深く、五輪塔だけでなく位牌もしくは卒塔婆のような形状から近世の墓石まで様々な石塔類が彫りこまれています。また洞窟玄室の形状も四角形だけでなく古墳時代末期横穴墓のような切妻型までみられます。その他、五輪塔の形状がスマートで細長いのはその時代の感覚でしょうか。
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松島雄島洞窟遺跡 |
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松島雄島洞窟遺跡 |
渡月橋
雄島に渡って行く橋を渡月橋と云います。渡月橋といえば京都にある渡月橋が全国的には有名なようで、鎌倉時代に亀山天皇が満月の夜に舟遊びをしていたとき、月が橋の上を渡るように見えることから、「くまなき月の渡るに似る」として渡月橋となったそうです。こちら松島にも禅宗(臨済宗)の博識な僧侶が訪れているので、京の渡月橋に因んで付けられたのかもしれませんね。
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渡月橋 |
雄島
雄島には上記した見仏上人に因む妙覚庵・見仏堂、そして妙覚庵跡に建てられた松吟庵などの建物があったそうです。現在あるのが瑞巌寺を再興した雲居希膺の座禅堂となる把不住軒、真珠稲荷、そして頼賢の碑となります。やぐらは特に見仏堂跡・松吟庵跡・真珠稲荷の辺りに集中しています。
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雄島 現地案内板
①頼賢の碑 ②座禅堂 ③真珠稲荷 ④松吟庵跡 ⑤見仏堂跡 ⑥妙覚庵跡の碑 |
島には洞窟遺跡・石碑などの遺跡・史跡だけに留まらず、何とも風情のある雰囲気が漂い、そして松島湾に浮かぶ島々を眺めることができます。
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雄島 |
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雄島 |
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雄島 |
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雄島 |
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雄島 |
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雄島からの景色 |
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雄島からの景色 |
頼賢の碑
島の南端に頼賢の碑というものがあります。見仏上人が雄島で法華経を読誦して12年間を過ごしましたが、13世紀末には頼賢という僧侶が同じように22年間過ごしたことから、見仏上人の再来と騒がれ、弟子たちが頼賢の徳行を讃え後世に伝えるため徳治二年(1307)に石碑を建立しました。撰文(文章作成)は建長寺10世で円覚寺・浄智寺の住持も務めた一山一寧です。
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頼賢の碑 |
頼賢の碑は現地のお堂に収納されているようなので実物を見ることはできませんが、瑞巌寺の宝物館で実物大のレプリカを見ることができます。結構大きくて立派な石碑でした。しかも鎌倉時代のものですから、凄いです。
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頼賢の碑 |
座禅堂
雲居希膺の座禅堂となる把不住軒。堂内には石が置かれていました。松島町オフィシャルHPの松吟庵跡の項に、松尾芭蕉の「雲居禅師の別室の跡、座禅石など有」という記録を紹介していたので、座禅堂にあるこの石はもしかしたらその座禅石というものなのかもしれません。
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座禅堂 |
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座禅堂にあった石 |
松吟庵跡
松島町オフィシャルHPの記述をまとめると、松吟庵は、頼賢の妙覚庵跡に建てられたもので、瑞巌寺を再興した「雲居希膺の別室」(松尾芭蕉:談)であり、また円通院の開山で瑞巌寺100世の洞水の詩に因んで名付けられたとありました。
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松吟庵跡 |
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松吟庵跡 |
見仏堂跡
こちらは雄島のメインイベントでクライマックス、見仏堂跡にあるやぐら群です。3階建てのアパート式洞窟の景観が圧巻。
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見仏堂跡 |
隧道を抜けるとまた渡月橋の辺りに戻ることができます。これは元々やぐらだったものを掘り進めたのかもしれません。
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身仏堂跡 |
ということで、島全体が霊場であったという雄島でしたが、まさに史跡めぐラーにとってはトレジャー・アイランド。ここだけでも松島に来る価値はあると思いました。素晴らしい。
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