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青龍山瑞巌寺やぐら洞窟遺跡群

2019/05/22

やぐら 寺院 松島

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青龍山瑞巌寺やぐら洞窟遺跡群



松島を代表する寺院・瑞巌寺の正式名称を青龍山瑞巌円福禅寺と云います。伊達政宗に創建されましたが、その前身となる寺院の歴史は鎌倉時代よりさらに遡るようです。そしてここには鎌倉寺社のようにやぐらのある景色が拡がっていました。

基本情報

山号寺号:青龍山瑞巌寺
建立  :天長五年(828)
開山  :慈覚大師円仁

住所  :宮城県宮城郡松島町松島町内91
駐車場 :有り
拝観時間:(季節で変動あり)
拝観料 :大人700円・小中学生400円

公共交通機関:仙石線松島海岸駅から徒歩5分

瑞巌寺縁起


瑞巌寺に伝わる『天台記』によれば、まず天長五年(828)に慈覚大師円仁によって天台宗の延福寺が建立されたと伝えられています。のちに正元元年(1259)頃に北条時頼が法身を開山に迎え臨済宗の円福寺を建立しました。その後、衰退した円福寺を伊達政宗が慶長十四年(1609)に再興し瑞巌寺と寺号を改め現在に至ります。

瑞巌寺法身窟
北条時頼と法身が出会った場所と伝わる

宮城県教育委員会の調査報告書によれば「延福寺は瑞巌寺の北東約500mの山上に位置する松島寺跡にあったと推定されているが確証はない」とありました。実際にもグーグルマップで「北東500m」の辺りを見ると、お寺もないのに「寺下」という地名が確認できます。

また北条時頼が臨済宗円福寺を創建したとき、天台宗延福寺の天台宗徒を追放したと云われています。その天台宗徒が恨みを募らせていたようで、現在観光名所となっている福浦島で北条時頼を呪詛していたとありました。

西行戻りの松公園から見た福浦島
島といっても橋が架けられているので容易にアクセスできる

ちなみに瑞巌寺の山号「青龍山」は北条氏得宗家の菩提寺で葛西ヶ谷にあった青龍山東勝寺と同じ山号です。もしかしたら円福寺時代からの山号なのかもしれませんがよくわかりません。

円福寺とやぐら造営の共通項


瑞巌寺の前身となる円福寺の縁起が鎌倉時代のしかも執権北条時頼に因むという興味深い歴史がわかったので、この辺りをもう少し掘り下げていきたいと思います。

宮城県教育委員会の調査報告書によれば、瑞巌寺境内にある宝物館の建設に伴い発掘調査が行われ、13世紀末から17世紀初頭までの5時期・13世紀層の遺構面が確認され、礎石建物・ 掘立柱建物・池・井戸などの多数の遺構に加え、国産陶器・中国産陶磁器・漆器・多量の瓦などが出土したとありました。また本堂南側でも複数の中世の遺構期が確認され、切石積遺構・暗渠遺構・切石・切石列・整地層などが検出されています。

このことから少なくとも、伝承にあった瑞巌寺の前身である円福寺が中世に存在したことが証明されました。しかしそれ以前の天台宗延福寺の時代の痕跡がないことから、こちらも伝承通り、「瑞巌寺の北東約500mの山上位置する松島寺跡にあった」のかもしれません。

中世の地層から出土した遺物

興味深いのは、「瑞巌寺境内から出土した13~14世紀の瓦が三村山極楽寺跡遺跡群の資料と類似している」という記述があった点でしょうか。三村山といえば、忍性が鎌倉入りするまでは関東における律宗布教の拠点であった場所です。ということはここでもまた忍性が大和国から連れてきた石工集団が松島に来ていた可能性があるのかもしれません。さらに瓦の大きさから現在の瑞巌寺同等規模の建物があったと推定されているとありましたが、現在の立派な本堂と変わらぬ規模の建物が中世にあったという点も驚くべきポイントでしょう。

瑞巌寺本堂

円福寺の歴史に欠かせない重要な点として、二世住持を建長寺開山の大覚禅師(蘭渓道隆)が務めたことが挙げられます。大覚禅師ともあろう大物が松島にまで来ています。これは執権時頼がそれだけ円福寺の整備に力を入れていたということなのか、もしくは大覚禅師本人の事情や意向があったのか、この辺りはよくわかりませんが、ともかくその後も円福寺住持には大覚派の僧侶が派遣されていたようで、円福寺はしばらく臨済宗建長寺派となっていました。

大覚禅師(蘭渓道隆)

一方で房総半島でも多くのやぐらが造営されていましたが、特に安房国圏内においては、臨済宗円覚寺派や律宗の寺社領があり、また円福寺と同じく極楽寺や東勝寺などの北条氏得宗家に因む寺院からしか出土しない瓦が発掘されていました。

瑞巌寺創建期の大鬼瓦と甍瓦

やぐらが造営されている房総半島の例から判明している調査結果と、ここ瑞巌寺(円福寺)の例を対比すると、得宗家・臨済宗・律宗の三つの要素がそれぞれ共通することがわかりました。もしかしたら、やぐらという葬送文化は、この得宗家・臨済宗・律宗がそれぞれ何かしらの役割を持って営んでいたのかもしれません。また、日本全国には能登や九州などにもやぐらがあるそうなので、その土地にもこの三者が進出した結果がそうなったのかもしれません。

瑞巌寺洞窟遺跡群


瑞巌寺にある洞窟遺跡、つまり鎌倉でいうところのやぐらを見てきましたが、困ったことに、ほぼ近世にて作られたのではないかと思われる形状をしていました。但し、宮城県教育委員会の調査報告書によれば、「13~14世紀と近世の石窟に関わる遺構などを検出し、松島周辺に点在する石窟群の一部は中世にまで遡る可能性が確認された。」とあったので、学術的には松島では中世からやぐらが造営されていたことが証明されています。

鎌倉のやぐらとは雰囲気が異なりとても面白い見学ができました。松島のものはサイズが大きく、またこれでもかと被葬者もしくは供養者が同じ窟内に同居している点が興味深いと思いました。

瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡

やぐらの前面に石像仏が置かれていてイイ雰囲気を演出しています。但し残念なことに、史跡保護のためでしょうか、柵で中に入れないようになっていました。かなり構風化の激しい窟穴もあったので落石の危険性があるからなのかもしれません。

瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡

境内寄りにあった窟穴のサイズが大きく迫力があります。半壊しているところがまた絶妙な遺跡感を醸し出しています。

瑞巌寺洞窟遺跡
瑞巌寺洞窟遺跡

瑞巌寺


瑞巌寺の拝観料が700円だったので、「建長寺の拝観料より高いって一体どれだけ凄い境内なのだろうか」と一瞬胸が躍りましたが、実際に境内にあったのは本堂・庫裏と宝物館だけでした。内訳として、本堂の中に入れるという特別感と、宝物館料金を事前に込みで徴収してしまうというシステムになっています。

瑞巌寺
瑞巌寺
瑞巌寺本堂

境外の海岸には瑞巌寺の五大堂があります。伊達政宗が建立したと云われる安土桃山様式です。周辺は遊覧船乗り場なので観光客で賑わっていました。

五大堂
五大堂からの景色

地方のお寺って東京と違って絶好の見晴らしのある場所が墓苑になっている所が多いですよね。故人が死んでからも居心地の良い場所にいてほしいという遺族の計らい、もしくは本人の希望なのだと思います。松島の洞窟遺跡で供養されている人たちは圏外からの人も少なくないそうです。なぜ松島が多くの人たちから望まれる霊地となったのか、それは現代の見晴らしのある墓苑と同じようにここから見える景色が素晴らしいからなのかもしれません。あの世でも、もしくはせめてあの世では景勝地で過ごしていたいという願いは昔からあったのかもしれません。

五大堂

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