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土肥金山

2019/12/01

鉱山 西伊豆

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土肥金山


土肥金山

ジオパークをテーマに西伊豆へ行ってきました。土肥金山・安楽寺鉱湯・龕附天正金鉱・黄金崎公園・烏帽子山(雲見浅間神社)・室岩洞・沢田公園(白岩山岩壁窟画)など、魅惑の史跡が盛沢山でした。今回はその土肥金山編です。

土肥金山は往時では佐渡金山に次ぐ産出量を誇った金山の坑道跡です。何と言っても、施設が丁寧に整備されているので、家族・恋人と一緒に楽しめるスポットです。

基本情報

名称 :土肥金山
分類 :鉱山
用途 :採石

〇住所  : 静岡県伊豆市土肥2726
〇営業時間:9時~16時30分
〇料金  :1000円(砂金採り体験+750円)
〇駐車場 :有り

土肥金山


土肥金山オフィシャルHPによれば、伊豆市土肥の周辺では、足利幕府時代の1370年代に既に金銀の採掘が始まっていたとありました。ここ土肥金山の発見がいつだったのかは定かではありませんが、天正五年(1577)に市川喜三郎が周辺で本格的な金山開発に着手したといわれています。その後、江戸・明治の全盛期には、佐渡金山に次ぐ生産量を誇り、金40トン・銀400トンを産出したと推定されています。坑道は総延長100km、地底深度180m、面積37ヘクタールに及びます。

土肥金山坑道模型

徳川幕府・江戸時代のイメージが強いのか、入口はあたかも江戸時代アミューズメント・パークの様相です。園内は観光のための坑道の他、資料館や砂金採り体験ができる施設などがあります。期待が高まっているためか、明るい色をした錦鯉も金で出来ているんじゃないかと思えてきます。また園内・坑道内にはいたるところに人形が置かれ、当時の様子を再現しています。

土肥金山入口
土肥金山園内
金の鯉

土肥金山坑道


園内を進むとある坑道は、上記したように100kmあると現地案内板に記されていましたが、100km!って有り得るのでしょうか。ちょうどこの日、ここに向かうため品川から三嶋まで新幹線で移動しましたが、その区間がだいたい100kmとなります。ちょっと信じられないです。そして観光用に進入できる坑道はその100kmのうちわずか350m程です。まぁでも350mもの地下空間がある場所っていうのもなかなかないですから、それでも凄いことなんですけどね。

土肥金山坑道
土肥金山坑道

それでは、土肥金山の金になる、じゃなくて気になる点をまとめたので、一緒に勉強していきましょう。

坑道内の信仰


観光用坑道内の序盤に山(さん)神社、そして終盤には金子地蔵尊が祀られていました。山神社の祭神は、大山祇命で、金山守護の神でもあるそうです。抗夫たちがその日の安全を願ったのでしょう。一方で金子地蔵尊には延命・厄除・治癒を願っていたそうです。

金子地蔵尊
山神社

金山だけあって山神社の鳥居が黄金でできています。ホンモノの輝き。

黄金の鳥居クローズアップ

坑道内の様子


鉱脈を掘るだけでも重労働なのに、坑道内では色々な不具合があるようで、地下水が沸いてきてしまうのもその一つです。それら湧水を汲み上げて排水することを手繰り水替といい、それを行う人を水替人足といいます。このエリアには金脈があることから、その湧水を黄金の泉と呼んでいました。

手繰り水替の場


鉱石はマグマに熱せられた地下水が成分と合わさり岩石の隙間に沈殿し長い時間をかけて生成されます。したがって鉱石のあるところに温泉があり、温泉のあるところに鉱石があります。坑道の一部で温泉が湧いていて、とても蒸し暑いエリアがありました。観光客でさえそう感じるのだから、坑道内で働いていた人たちはなおさらだったでしょう。当時の人たちが裸に近い格好をしていたのは、地熱や温泉熱の暑さに耐えられなかった事情もあるそうです。

坑道で働く皆さん
人形とはいえ撮ってはいけない気がする・・


人形の女性が坑道内の温泉に入っていましたが「女性は坑道内で働かないでしょ」なんて思っていたところ、意外にも夫婦で坑道で働いた人たちもいたそうです。でも確か修験道の本に女性を山や坑道に入れてはいけないとあったので、これは明治以降の事例なのかもしれませんね。

切羽(採掘現場)で働く人たち


坑内の採掘現場を切羽といいます。その切羽が深くなると風通しが悪くなり、さらにこれに温泉熱が加わって、酸欠になってしまう人が出たり、灯火が消えてしまうこともあります。そこで唐箕(木製の手回し送風器)を使って空気を切羽に送っていました。

送風器


留木(鉱木)を使って落盤や落石を防ぐための作業を山留(やまどめ)といい、それを行う人を山留大工といいます。

説明を追加


坑道入口を釜の口、または鋪口といいます。釜の口とは入口が窯の口に似ているため付けられた名前です。坑道の入口には四本の柱を立て天井と左右の壁に丸太(矢木)を並べて土石の崩壊を防ぎ、また入口の上部には石垣を小高く並べます。

坑道出入口
坑道出入口


観光用坑道の出口付近が当初からの坑道部分だったそうで、実際にも怪しい色をした石がいくつも落ちていました。専門的な知識がなくとも何だか凄そうな成分が入った石なんだろうということが伝わってくるようです。

土肥金山の鉱石

資料館


それでは、坑道内を二周して(笑)十分に堪能したので、資料館に向かいます。こちらでも人形や模型などが展示されていて、土肥金山の理解を深めることができます。下画像は千石船(弁財船)と呼ばれる船で、黄金を運搬していました。

土肥港から黄金を運んだ千石船(弁財船)
当時の様子


鉱石から金をとりだす作業をする場所を勝場床屋といいます。金山にはホント多くの工程があって、そして多くの人が関わっていたようです。土肥には奉行所武家屋敷や金山関連の建物をはじめ、商家・旅籠などの町屋が形成され、とても賑わっていたそうです。

当時の様子

こちら下画像は純度99.99%の金塊でその重さ250kgとのこと。実際に触れることができるのですが、重たいので一切動かすことができません。

世界一の金塊

こちら下画像は860kgの金鉱原石。なんと、ここから採れる金はたった30gとのこと。これだけの岩石からピーナッツ粒程度の金しか採れないんです。

金鉱原石

実は、土肥金山に訪れる前に、「この辺りに一か月でも住んで金鉱を見つけたりでもしたらどうなるんだろう」なんて考えましたが、この金鉱原石にある金の比率を知り、それは宝くじを買って一瞬だけ夢を見るようなものだということがわかりました。860kgから30gしか採れないんじゃ見つけたところで個人ではどうしようもできませんからね。宝くじを買わなきゃ当たらないけど買っても当たらないという、あのどうにもならない感じと一緒です。夢が破れた瞬間です(笑)。

金銀鉱石

参考資料

土肥金山
南から来た火山の贈りもの 伊豆半島ジオパーク

西伊豆の史跡

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