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龕附天正金鉱

2019/12/16

鉱山 西伊豆

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龕附天正金鉱


龕附天正金鉱

ジオパークをテーマに西伊豆へ行ってきました。土肥金山・安楽寺鉱湯・龕附天正金鉱・黄金崎公園・烏帽子山(雲見浅間神社)・室岩洞・沢田公園(白岩山岩壁窟画)など、魅惑の史跡が盛沢山でした。今回はその龕附天正金鉱編です。中世末期・戦国時代の様相を伝えるエクセレントな金山坑道跡に行ってきました。

龕附天正金鉱は、なんと、甲斐武田家の金堀衆が掘った金山が原型となっている坑道です。ですから史跡としての価値も高く、そして何と言っても、めっちゃ楽しいところでした。

基本情報

名称 :龕附天正金鉱
分類 :鉱山
用途 :採石

〇住所 :静岡県伊豆市土肥2851
〇料金 :600円
〇駐車場:有り


龕附天正金鉱は、後北条氏時代の天正五年(1577)に掘り進められた坑道跡です。土肥金山での説明では、後北条氏家臣の富永三郎左右衛門政家の配下で市川喜三郎がここ土肥周辺の金山を開発していたとありました。一方で既に武田金堀衆が天正金鉱の原型を開発していたともいわれています。

大久保石見守長安(土肥金山史料館)

甲斐武田氏滅亡後に金山の知識を持つ人材が後北条氏領する伊豆半島に流出していた可能性は十分に考えられるでしょう。実際に金山の知識を持っていたのかどうかはわかりませんが、土肥には武田氏家臣の大石仁兵衛、松崎町には同じく武田氏家臣の依田氏などが移住してきています。また徳川家康の下で金山奉行として名を馳せた大久保長安も武田氏の家臣だったことは有名ですね。もちろん彼も土肥金山に関わっていました。

柿木間歩


土肥金山の前を通る国道136号をほんの少しだけ下ると今回訪れる龕附天正金鉱があります。現地案内板に柿木間歩とあったので、この辺りを柿木というのかもしれません。ちなみに間歩とは坑道の意味です。安楽寺の鉱(まぶ)湯と同じです。

天正金鉱からの景色

受付でやり取りをすると、「ガイドがすぐ来るので少しだけ待ってほしい」と言われました。今回は2日間の行程とはいえ、いつものようにせせこましくスケジュールを組み込んでいるので、少しでも多くの史跡をまわれるようにと、「できれば先を急ぎたいのでガイドはいらない」という旨を伝えたところ、それでも「説明がないと理解できないから」と、ガイドを付けることをほぼ強制されました。仕方がないので少し待つことに。

駐車場にある坑道入り口かと思っていた場所 実は金掘り体験場

しばらくすると、そのガイドさんが到着。なんと、杖をついたおじいちゃん・・。「それで坑道に入れるの?」と心配になってきましたが、そのおじいちゃん、じゃなくてガイドさん、意外に歩きは遅くないし、口調もしっかりしていて、何なら若干早口でした。しかも何よりも話し方がうまいんです。たぶんガイドを長くやられているのだと思います。話がまとまっているし、要点を強調するところなど、かなり年季が入っているご様子。この時点で「ガイドいらない」と言った自分の選択が間違っていたことを確信しました。

天正金鉱のガイドさん

そしてさっそく上画像の坑道入口のような場所に向かうのかと思いきや、裏山を登るような場所に案内されました。遠目からは廃された施設かなんかの古びれた看板かと思っていたものが実はこれから向かう天正金鉱の坑道略図でした。

柿木間歩坑道略図

精錬所跡・選別所跡


それでは、ガイド付きの龕附天正金鉱のツアー・スタートです。こちらは精錬所跡とのこと。どのような工程だったのかいまいちイメージがわきませんが、水銀を使って金を取り出していたとのことです。

精錬所跡


こちらの案内板では伊豆における金鉱の歴史や金山の位置などを教えてもらいました。火山半島とも称される伊豆半島は金山半島でもあるようです。

金山の場所案内板


こちらは失礼ながら廃棄してあるものかと思いきや(笑)、天正金鉱ツアーの歴史説明に欠かせないアイテム。このような箱がいくつも並んでいるんです。精錬の過程や江戸時代の金山奉行所などを人形で表し、金がどのように作られ、そしてどこに流れていくかのを説明してもらいました。

ちょっとシュール(笑)


こちらは鉱石を運んだレール跡。ガイドさんによれば、この辺り、住友、その後に三菱が権利を購入したとのことなので、土肥金山と同じく近現代にて稼働していたようです。間隔は狭いものの、ちょっとしたひな壇状地形となっているので、今後、鉱山跡を探索する際には一つのポイントになるかもしれません。

裏山の鉱石を運んだレール跡

黄鉄鉱


次はちょっとした小屋に案内されました。そこには鉱石や小判などが展示されていたのですが、金山ですから、金銀鉱石をメインに色々とあるなか、なんと、黄鉄鉱がありました。少し前に渋沢の鉱山跡に訪れたところ、そこでは黄鉄鉱が採れるとありましたが、その黄鉄鉱がどういう石なのかよくわからなかったので、まさかここでその黄鉄鉱の実物を見られるとは思いませんでした。黄鉄鉱には金色に見える粒々があるので、素人が見た限りでは金鉱石と間違いやすいんです。

黄鉄鉱

坑道跡


そしていよいよメインイベントの坑道跡です。結構狭いです。さすが戦国時代の坑道跡。安楽寺のまぶ湯で頭をぶつけたので今度は気を付けたいと思います。

天正金鉱入口

坑道に入るその前に、この辺りに露出している岩盤が既に金銀鉱脈とのこと。ちょっと素人には見分けが付きません。

鉱脈

素晴らしい別世界!戦国時代の坑道なので本当に狭いです。土肥金山のあの整備された雰囲気が近現代の坑道だということがここに来てよくわかりました。

坑道 入口方面に振り返ったところ

坑道造作の工夫


坑道は下り坂で岩盤が階段状に削られています。鉱脈を追っていたら下るように掘らなければならなかったと普通は考えますが、違います。これは換気のためなんです。電気のなかった中世・近世では、松明の火を灯りにするため、煙が発生してしまいます。煙は高い所に向かうので、入口方面に煙を逃がすため坑道を徐々に下り坂にしているんだそうです。この状態を斜坑といいます。

斜坑 入口方面を見上げたところ


そしてこちら上を向くと、竪坑といって換気のための坑道があります。一方で、これが武田金堀り衆が最初に掘ったルートだとも云われています。またその他にも、音を響かせないため壁面に溝が掘られていました。こんな狭い所で岩石を鑿で打つ音が延々と響いていたら、それもそれで苦痛ですからね。それにしても、金鉱脈を追うだけでも大変なのに、色んな工夫が必要なんですね、感心してしまいました。

竪坑 上を向いたところ

クライマックスと金鉱脈


そして坑道が何やら明るくなってきました。雰囲気的にもクライマックスです。向こうに「龕」という字が見えます。

坑道

とその前に、この辺りの岩壁が上に横にと、照明が照らされてるからという訳でもなく、何やら明るい色をしていると思ったら、金鉱石と金鉱脈そのものでした。凄いキレイなんですよコレ。ここで思いましたが、金の価値を知らない人がいたとしても、この岩石を見れば、何か特別なものなのだろうということぐらいは気付くはずだと思いました。この画像で伝わるかわかりませんが、それくらいホントにキレイでした。

坑道上部の金鉱石
金鉱脈

そして天正金鉱のクライマックス、坑道の最深部にある龕です。アーチ型をしています。この時代の技術ではこれ以上掘り進んでも煙を換気できなかったため、ここが限界点となります。ここまで大よそ60m。奥壁をアーチ型に彫ったのはこの金鉱脈に対する信仰的な意味合いがあったのでしょう。

天正金鉱最深部

岩盤の割れ目に蛇がとぐろを巻くように金銀鉱脈が沿っています。安楽寺のまぶ湯と同じく、鉱脈を割れ目とアーチ型に仕立て、女陰に見立てあげたのかもしれません。山の女神が割れ目から金(生命)を産んでいると、そう捉えたのでしょう。

近現代の坑道


クライマックスの龕からすぐ横に側道のようにまた坑道が続いています。こちらは近現代に掘った坑道とのことです。確かにちょっと広くなります。

近現代の坑道
近現代坑道の金銀鉱脈

石切り場跡


坑道を出ると、今度は石切り場とされた部分になります。天正金鉱は、金に石にと、色々と活用されてきたようです。

坑道を出ると石切り場跡
石切り場跡

手堀り体験


最後に、序盤で坑道入口かと思っていたところが実は鉱脈の手堀り体験ができる場所でした。もちろん体験させてもらいまいた。岩盤に鑿を当て金槌で叩くのですが、これが思っていたより100倍ぐらい大変なことがわかりました。叩いても叩いても石の粒が飛ぶくらいなんです。これであのように坑道として掘り進めるのがどれほど大変なのか身をもって知ることができました。

手堀り体験ができる場所
ここにも金銀鉱脈

「自分で削ったものを持って帰っていいよ」と言われたので、その辺に落ちていた大きめな石を頂きました(笑)。下画像がそれで金銀鉱石です。別の場所で拾った赤玉(鉄石英)と一緒に持って帰ったら、赤褐色が少し付着してしまいました。

金銀鉱石

天正金鉱は神奈備山か


下画像は翌日に松崎町へ行った帰りにまたここ天正金鉱の辺りを車で走っていたところなんですが、車載カメラの映像で確認していると、天正金鉱の裏山が神奈備山とも思える素晴らしい山容をしていることがわかりました。話が強引になりますが、もしかしたら、神奈備山とは信仰だけでなく、ここであれば金鉱脈のような、何かとてつもないお宝が眠っている場所を暗示しているのではないかと思えてきました。

神奈備山の様相を呈する天正金鉱の裏山

ということで、天正金鉱は素晴らしい史跡でした。土肥金山は整備の行き届いた良さがありましたが、一方でこちら天正金鉱は良い意味で整っていない手作り感に惹かれました。そして何よりもガイドさんがここの一番の名物でしょう。いつまでも元気に現役でいられることを願っています。

天正金鉱のガイドさんがマシンガントークしているところ

参考資料

土肥金山
南から来た火山の贈りもの 伊豆半島ジオパーク
伊豆市観光情報特設サイト

西伊豆の史跡

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