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安楽寺(伊豆市)の鉱(まぶ)湯と千年クス

2019/12/03

鉱山 寺院 西伊豆

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安楽寺(伊豆市)の鉱(まぶ)湯と千年クス


安楽寺の鉱(まぶ)湯と千年クス

ジオパークをテーマに西伊豆へ行ってきました。土肥金山・安楽寺鉱湯・龕附天正金鉱・黄金崎公園・烏帽子山(雲見浅間神社)・室岩洞・沢田公園(白岩山岩壁窟画)など、魅惑の史跡が盛沢山でした。今回はその安楽寺鉱湯編です。

お寺に金鉱と温泉があるんです。そんなお寺聞いたことありませんよね。ですからそういった意味では西伊豆の安楽寺はたぶん日本でここだけにしかないお寺です。

基本情報

名称 :安楽寺の鉱湯
分類 :鉱山
用途 :採石

〇所在地 :安楽寺
〇住所  :静岡県伊豆市土肥709
〇拝観時間:8時30分~17時
〇料金  :150円
〇駐車場 :有り

土肥


今回向かう安楽寺は、江戸・明治に土肥金山で賑わった伊豆市土肥に所在します。ちなみにこの土肥という地名、「どい」ではなく「とい」と読みます。個人的には土肥(どひ)さんという名字の方と知り合ったこともあります。土肥には色んな読み方があるんですね。

金山で賑わっていた頃の土肥(土肥金山史料館模型)

土肥金山のゴールドラッシュによって、江戸時代の土肥には奉行所武家屋敷・坑夫長屋勝場・床屋などの金山関連の建物をはじめ、商家・旅籠などの町屋が形成され、多くの商人や職人で賑わっていました。安楽寺周辺にはその名残の如く、往時では所狭しと商家などの軒が連なっていたのだろうという区画がみられました。この狭い感じが大山旧参道のような雰囲気を偲ばせます。

土肥
土肥

土肥神社


土肥の総鎮守、土肥神社が近くにあります。祭神は豊御玉命(とよみたまのみこと)。ここにはなんといっても樹齢千年の楠の木があります。伊豆半島には来宮神社をはじめ老木・巨木のある社寺がいくつも存在します。不思議ですね。

土肥神社
樹齢千年の大楠

安楽寺


それでは安楽寺へ向かいます。なんとこちらにもフレームに納まりきらない樹齢千年の大楠が山門前にあります。もの凄い存在感。

安楽寺の大楠
安楽寺の大楠

曹洞宗の吉祥山安楽寺は、行基が創建した医王山大泉寺に始まると伝えられており、薬師如来像を本尊とします。有馬・草津などの有名な温泉場には行基本人が開いたとされる開湯伝説が残されています。湯があるということは鉱石もあるので、土肥に訪れた行基もしくは行基一派が既にこの地にただならぬ気配を感じていたのかもしれません。実際にも安楽寺にある坑(まぶ)湯は土肥温泉発祥の湯ともいわれています。

安楽寺

安楽寺の鉱(まぶ)湯


それでは、安楽寺のメインイベント・鉱(まぶ)湯に向かいます。ちなみに「まぶ」とは坑道のことで、別名を医王泉・鉱山の湯・砂金風呂などと云います。慶長十五年(1610)に金鉱を採掘していたところ、薬師如来のお告げにより発見されたと伝えられています。この温泉により当時の安楽寺住職の病が治ったことから、それ以来、多くの人が訪れるようになったといわれています。

安楽寺鉱湯入口

坑道入口をくぐるといきなりそのまぶ湯がありました。現在は入れない、というより入浴する仕様になっていないと言った方が正しいのかもしれません。手を入れてみると湯加減は適温だったように思えました。

まぶ湯
まぶ湯

安楽寺坑道の不可思議


奥に進んで行きます。土肥金山と違ってここには誰もいません。それでいてこの奥深い横穴、この雰囲気、たまりません。

安楽寺坑道

画像を見てもわかるように、上っていくように奥に進みます。実はこれ、坑道としてはとてもおかしなことなのです。この後に訪れた天正金鉱でわかったことなのですが、電気もない時代、坑道内では松明などの火で周りを照らしていたので、煙をどう換気するかが重要なポイントの一つとなります。

煙は高いところに向かうので、一般的な坑道は斜坑といって下るように掘り進め入口方面に煙を逃がしていました。それなのに、ここでは奥に行けば行くほど高くなっていくのです。これでは煙たくて仕事になりません。ですからこの坑道は電気が発明された明治以降に掘り進めたもの、もしくは換気孔としての竪坑がどこかに隠されているのかもしれません。

安楽寺坑道

照明を照らさない暗闇方面にフラッシュを向けてみると岐路がありました。向こうの岩盤が怪しい色をしているのでこちらにも金鉱脈が続いているのかも。

秘密の抜け穴(笑)

女陰型の御神体を祀る謎


坑道最深部にたどり着くと祠が祀られていました。女陰型の御神体を祀る夫婦神社なんだそうです。周りの岩石の色に見とれてその御神体の形状までは気がまわりませんでした。

坑道最深部の夫婦神社

なぜこのような場所で女陰型の御神体を祀るのかはよくわかりませんが、こちらもこの後に訪れた天正金鉱に訪れてみて気付いたことがあります。それは坑道内の鉱脈が割れ目になっていることが要因かもしれません。

割れ目から金を掘りだせるんです。掘っている側はその割れ目から産出される金によって生業を営むことができる訳ですから、これほど有り難いことはありませんし、またその金を産んでくれる割れ目に、生命を育む女性の割れ目をイメージして重ね合わせたのかもしれません。さらに、ここでは温泉も湧き出る訳ですから、なおさら女性器を想像してもおかしくはありませんね。下ネタっぽいですけど真剣な話として。

金鉱石

金鉱石の美しさ


坑道の大よそを把握できると、今度は岩盤のキラキラした鉱石に目が惹かれました。案内板もないしガイドさんもいないので断言はできませんが、金銀鉱石だと思われます。暗い坑道の中で光の粒が輝いている様子は、郊外で見る夜の星空のようでした。

金鉱石

「金なんでしょ?ちょっと削って持って帰っちゃえばいいじゃん」という人は勉強不足です。土肥金山の資料館で、鉱石に含まれる金の比率を知れば、労力に対していかにコスパが悪いかわかるでしょう。

金鉱石

下画像は坑道最深部から振り返ったところです。坑道はそんなに深くありませんが、夢と希望と歴史が詰まった素敵な場所でした。

最深部から入口方面を向いたところ

甲斐武田氏の家臣は何者だったのか


安楽寺に隣接して馬場公園という何の変哲もない公園があります。現地案内板によれば、そこは醸造業を営んでいた旧福室(さかや)家の跡地で、その福室家が甲斐武田氏の家臣・大石仁兵衛の子孫にあたるとのことでした。

この福室家の先祖となる大石仁兵衛がいつ土肥に移住してきたのか、さらにはどのような人物だったのかはわかりませんが、武田氏滅亡後に家臣一族が甲斐から伊豆に逃れてきた例は松崎町の依田氏などが挙げられます。甲斐武田氏が金山開発に尽力していたことはよく知られていますが、実際にもこの後に向かった天正金鉱は、後北条氏の時代に武田金掘衆が掘ったといわれています。もしかしたら、福室家の先祖の大石仁兵衛も、金山に関わる人物だったのかもしれません。

安楽寺からの周辺景色

参考資料

土肥金山
南から来た火山の贈りもの 伊豆半島ジオパーク
伊豆市観光情報特設サイト

西伊豆の史跡

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